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地方と研究に関するusataroのブックマーク (7)

  • asahi.com(朝日新聞社):「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長 - 文化トピックス - 文化

    「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長(1/2ページ)2011年1月13日16時16分 居城の跡に立つ小西行長の銅像。「極悪人」との反発でトタン板で覆われていたこともある=熊県宇土市 豊臣秀吉の家臣で、関ケ原で敗れ刑死したキリシタン大名、小西行長(1558〜1600)の人物像が大きく転換している。石田三成と並ぶ実務派で、朝鮮出兵では外交交渉を担ったが、勇敢な加藤清正とは対照的に卑劣な武将として描かれることが多かった。だが近年、領国だった熊県内で研究が進み、伝承や逸話の多くが事実とは思えないことがわかってきた。 ◆寺社弾圧 尾ひれつき伝承 居城だった宇土城跡(熊県宇土市)には行長の銅像が立っている。高さ5.6メートル。没後380年を記念し1980年に2千万円を投じ完成した。だが、この銅像は除幕式の翌日から2年近くトタン板で覆われていた過去がある。 「仏教や神道を弾圧し寺社

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    usataro 2011/01/13
    「果たした役割は大きいのに影が実に薄い行長」
  • 荘園制論を理解するために - 我が九条

    黒田俊雄の学問的体系がマルクス主義に立脚しているという、自明の前提を再確認してきた。弁証法的唯物論に即して黒田の論を整理すると、下部構造としての荘園制論、上部構造としての権門体制論、そして社会的意識諸形態としての顕密体制論がある。 マルクスは相互の関係について次のように説明する。 人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定す

    荘園制論を理解するために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/10
    権門体制論と黒田荘園制論の説明としては確かにこの通り/天皇が公で上皇が私、荘園が私的だという位置づけはすでに過去の理解/畿内を先進、九州や関東を後進地帯とする理解はもはや全く成り立たないと思う
  • ASIOS公式ブログ: 『郷土史と近代日本』が刊行されました。

    藤野です。  ブログ第2弾は新刊紹介です。  由谷裕哉・時枝務編著『郷土史と近代日』(角川学芸出版、3月31日初版発行)が最近発売されました。アカデミック・ライブラリーというシリーズの1冊で、発売は角川グループパブリッシングです。  「『歴史』とされた出来事は、どのように郷土の意識形成に関わったのか。『守られるべき伝統』を発見した郷土史家たちが、記念・顕彰行為に積極的に関わってきた歴史を中心に、具体的な事例をあげて分かりやすく解説」する書籍。  早くいえば「広義の郷土史記述を、近代日のなかでさまざまな観点から捉え直そうとする論文」集です。14人の執筆者が個別論文を寄稿し、それを3部に分類収録しています。  その第3部・第13章として収録されているのが、 藤原明「近代の偽書『東日流外三郡誌』の生成と郷土史家」 という論文です。  『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)をご存知ない方の

    usataro
    usataro 2010/03/31
    これはおもしろそう。
  • 東京新聞:新技術で広がる 古文書の可能性 氏家町史にデジタルデータ活用:栃木(TOKYO Web)

    膨大なデータ処理が伴う郷土史の編さんをスムーズに進めようと、さくら市教委が古文書をデジタルカメラなどを使って保存し、「氏家町史・史料編」三冊を刊行した。古文書はマイクロフィルムで保存するのが一般的とされ、デジタルデータを利用して発行した郷土史は全国的にも例がないという。 (上田千秋) 同市は二〇〇五年三月に氏家町と喜連川町が合併して発足。氏家町史編さんは〇四年から始まり、〇九年三月までに発刊するよう求められた。「時間も予算も少なく、従来のやり方ではとても無理だと思った」と当時の担当者だった橘川恵介・氏家公民館長(51)は振り返る。

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    usataro 2009/10/21
    問題はむしろ収集した史料を編纂後どういう形で保管し管理していくかだが、デジタル化でそのめどは立っているのだろうか。
  • 「火焚き神事」で社殿が全焼…阿蘇の霜神社 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    26日午後0時15分頃、熊県阿蘇市役犬原(やくいんばる)、霜神社の火焚(ひたき)殿から出火、木造平屋約60平方メートルを全焼した。けが人はなかった。 霜神社は、国指定重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」の一つ「火焚き神事」を行うことで知られる。火焚き神事は毎年8月19日〜10月16日、火焚殿の中で火を燃やし続け、煙をご神体にあてて農作物の霜よけを願う祭事で、2千数百年前から行われていたと地元では言い伝えられている。今年も行われ、地元の住民が交代で火を絶やさぬよう見守っていた。 県警阿蘇署の発表などによると、火焚殿内には出火当時、当番の女性2人(いずれも70歳代)が、火を燃やしていた場所とは少し離れた部屋にいた。出火に気付いた時には建物内から炎が上がっていたという。 神社には殿、火焚殿、御仮屋(おかりや)があり、神事用の火は火焚殿の隣の御仮屋で引き続き燃やす。地元区長の男性(68)は「大

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    usataro 2009/09/28
    以前この神事について原稿書いたことがある。確か籠る役は少女だったと思うんだが。
  • asahi.com:「赤米行事」継承最後の一戸-マイタウン長崎

    usataro
    usataro 2009/06/11
    対馬の話。確かに負担が大きいから頭屋制で維持するのはむずかしいだろうな。あとでなんか書くかも。
  • 「山本菅助」への信玄書状を発見

    信玄(晴信)が菅助にあてた書状の一部。左端に「山菅助との」とあり、その右隣に信玄の花押がある(県立博物館提供)   戦国時代の武将武田信玄(晴信)に仕えた「軍師・山勘助」が実在したか注目される中、信玄が家臣山菅助にあてた書状が、群馬県安中市の民家で見つかった。山梨県立博物館の調査によると、信玄が菅助に褒美を与えたり、家臣の見舞いを命じた内容の2通で、信玄の花押(署名)が入り、「山菅助」と記されていた。これまで菅助の存在を示す史料は1969年に北海道で見つかった、信玄が奥信濃の市河氏にあてた書状「市河文書」だけだった。県立博物館は「『山菅助』という名の人物がいたことは間違いなく、菅助の人物像や功績などを研究する上で貴重な史料」としている。  名前の字が異なる「山勘助」は、江戸時代の軍事書「甲陽軍鑑」などに有能な軍師として登場するが、実在を裏付ける学術的な史料はなく、一家臣として

    usataro
    usataro 2009/05/03
    戦国の文書だとまだまだこうして見つかるものなんだなあ。
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