「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長(1/2ページ)2011年1月13日16時16分 居城の跡に立つ小西行長の銅像。「極悪人」との反発でトタン板で覆われていたこともある=熊本県宇土市 豊臣秀吉の家臣で、関ケ原で敗れ刑死したキリシタン大名、小西行長(1558〜1600)の人物像が大きく転換している。石田三成と並ぶ実務派で、朝鮮出兵では外交交渉を担ったが、勇敢な加藤清正とは対照的に卑劣な武将として描かれることが多かった。だが近年、領国だった熊本県内で研究が進み、伝承や逸話の多くが事実とは思えないことがわかってきた。 ◆寺社弾圧 尾ひれつき伝承 居城だった宇土城跡(熊本県宇土市)には行長の銅像が立っている。高さ5.6メートル。没後380年を記念し1980年に2千万円を投じ完成した。だが、この銅像は除幕式の翌日から2年近くトタン板で覆われていた過去がある。 「仏教や神道を弾圧し寺社