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学問と教育に関するusataroのブックマーク (9)

  • 「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン

    すこし前の話だが、ツイッターで個人的に関心を引かれた投稿があった。投稿者は、プロフィールによれば外資系コンサルへの勤務経験を持ち、投資やキャリアデザインに関係したブログを運営している方だ。 気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない — シャイニング丸の内 (@shimaru365) 2018年2月20日 このツイート(https://twitter.com/shimaru365/status/965893822512218113)は「春はあけぼの」のせいでギャグになってしまったが、実際のところ「漢文は社会で役に立たない」という主張自体には同意する人も少なくな

    「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ | 文春オンライン
    usataro
    usataro 2018/03/06
    漢文学習なんて履修時間短いだろ。高校までの教育って基本的にはずっと変わらない知を学ぶべき。実生活に必要だが10年で陳腐化する知識なんて社会で学べばよいし、社会人が学ぶシステムこそ整備すべき。
  • 日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか

    いいかげん納得のいく理由を教えてくれ。 今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。 おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも「古文・漢文」という"学問"が、根的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文・漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。多少なりとも共感能力と良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。 ようするに言いたいのは、ここでの古文・漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことなる議論だってこと。 専門的な学問を「

    日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか
    usataro
    usataro 2018/01/05
    毎年このネタ出てくる。/古文漢文で扱う内容こそ千年くらい日本における学問だったわけで、極小化しているとはいえ日本にとっての古典への窓口は民主的な形で開いておく必要がある。なお中国語学習とはまったく別。
  • 勉強が何の役に立つのかを全力で考えた。

    前置き先日、はてブホッテントリにこんなブログがあった。 「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺すhttp://mubou.seesaa.net/article/272799592.htmlブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。 それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、 「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」 というものだった。 で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺

    勉強が何の役に立つのかを全力で考えた。
    usataro
    usataro 2012/06/09
    要するに国語・歴史嫌いなだけの薄っぺらい実学偏重論。職業に資することだけが教育の目的ではない。政治的教養や文化・歴史的教養は、民主主義社会では資産や職業、地位にかかわらず享受する機会が与えられるべき。
  • 大学とは何か?

    このタイトルは何だか明治の初期の論文のタイトルのようですが、今こう訊ねられた人は、どう答えるのでしょうか? 当事者である文部科学省の幹部や、大学の先生方、学生を含め、多くの人達の答はそれぞれに相当異なったものになるように、私には思えます。 しかし、今、この瞬間も、この定義さえ定まらぬ「大学」に入学する為の受験勉強に、多くの若者達が多大の時間をかけ、神経をすり減らしています。そして、一旦入学すると、4年間(修士課程に進む人は6年間)の長きにわたり、大学の構内で過ごす時間が彼等の生活の中心になり、国からも家計からも、毎年膨大な金銭が拠出されます。 ここで使われている時間と金銭の事を考えると、「大学」というものは、我々の社会全体にとって明らかに極めて重要なものなのでしょう。しかし、もしそれがそんなに重要なものであるのなら、それが正しく機能しているかどうかに、我々はもっと関心を持つべきです。 私の

    大学とは何か?
    usataro
    usataro 2010/11/08
    企業人の大学に関する発言で興味深いのは、企業の側が大学の学術・教育的な資源を使いこなせていないとは全く考えてないところだ。この話も然り。
  • 17、大学改革・科学・技術/2009年総選挙《各分野政策》 /日本共産党

    17 大学改革、科学・技術 国民の立場から大学改革を実現し、科学・技術の調和のとれた振興をはかります 1.「構造改革」による大学再編をやめ、国民の立場からの大学改革を実現します 自民・公明政権が、「世界最高水準の大学をつくる」といいながら、「効率化と競争」に拍車をかける「大学の構造改革」をすすめた結果、大学の教育・研究現場に深刻なゆがみと疲弊がひろがっています。 国立大学は、法人化によって運営費交付金が毎年1%削減され、財政ひっ迫による教育・研究基盤の弱体化、基礎研究の衰退、大学間格差の拡大と地方大学、人文系、教育系大学の経営危機をもたらすなど、極めて深刻な事態に陥っています。私立大学でも国庫助成が削減され、定員割れした私学は「不要だ」とばかりに補助金がカットされています。私立大学の経常費に対する補助割合が11%に低下し、学生の学費負担の増大、教育・研究条件の国公私間格差の拡大、中小私大・

    usataro
    usataro 2009/08/06
    実に適切な提言だ。
  • いっそ東大と京大だけにしちゃったら? : 404 Blog Not Found

    2009年03月04日18:30 カテゴリArt いっそ東大と京大だけにしちゃったら? 案の定、[これはひどい]タグが付きまくりなのだけど、ちょっと待った! 国立大学の統廃合私案 - Chikirinの日記 で、ふたりで「国立大学って何校必要?」ってのを勝手に考えた。そもそも現時点で何校あるのかも知らなかったので文部科学省のサイトの一覧を一緒に見ながら考えた。もしこの提案が、 北海道大学=とりあえずここを中核大学として残す。 北海道教育大学=北大に統合 帯広畜産大学 =北大に統合(キャンパスは残す。畜産は北海道で研究する必要がありそう。) 旭川医科大学 =北大に統合。北大の医学部と何かが大きく違うなら抗弁してね。 室蘭工業大学 =廃校(名前が“時代の産業”を表しているよね。) 小樽商科大学 =廃校(名前が“時代の産業”を表しているよね。) 北見工業大学 =廃校(名前が“時代の産業”を表して

    いっそ東大と京大だけにしちゃったら? : 404 Blog Not Found
    usataro
    usataro 2009/03/05
    この話自体は極論だとしても、実際のところ偏差値の高低とその大学に在籍する研究者の研究の善し悪しとはあまり関係ないので、学生にいろんな授業が提供されうるという意味ではいいかもしれない。
  • 博士卒で就職先ないない言ってる人、なぜ塾や中学・高校で教えないのですか? @heis.blog101.fc2.com

    [気になる]ドクターコースへ行った人バトン! 一般企業に就職してみて気付いたのですが、私は研究しかできないというタイプではありません。たぶん、企業でも普通にやっていけたと思います。でも、研究ってかなり向き・不向きがある職種なんですよね。で、私がやりたいことっていうのは、あまりやる人がいなくて、たぶん私がやらなければそのまま埋もれてしまうと言うか、そういうマイナーな分野です。多少似たようなことをする人が出てきているのをみて、「お、これはおいしいところを取られてしまいそう」と思って戻ったのですが、実際には取られてませんねw話がずれましたが、自分しかできないことがあるとしたらそちらを優先してもいいんじゃないかと、そんな不遜なことを考えたわけです。そうそう。そういうの大事だよね。 文系の場合、企業への就職(研究職)はまずありませんし、研究機関も非常に数が限られていますから、就職=大学教員と言えます

    usataro
    usataro 2009/01/25
    つい最近まで東京都の地歴科教員採用の倍率が200倍以上とか知らないのかな。で採用されたらまず島嶼部。あと中高では研究者は必ずしも歓迎されない。以前は教壇立ってて研究者って人も多かったんだけどね。
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    月に1冊、未知なるを読もうという試み(2024年1〜3月) はじめに 1月:【暇・退屈論】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 2月:【決済】ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン『教養としての決済』 3月:【自炊】土井善晴『一汁一菜で良いという提案』 総括 はじめに 社会人として過ごす年数も少なくはなくなっ…

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    usataro
    usataro 2008/08/18
    学問への姿勢が「お客様」なんだな。教員の側にも教える技術は必要だけれど、学びたい、研究したいという動機は学生自身が自分で獲得するもんだ。それがないなら学問なんかやるな。
  • (22) アカデミアへの進路の固定はどうして起こるのか - うすっぺら日記

    はじめに ちょっと前のことになりますが、テレビ番組で取り上げられたことなども影響し、いくつかのブログなどでいわゆるポスドク問題が加熱しています。そういったところでの議論をざっと見た感想では、進展に向けて気持ちの面では前向きな意見が多くなってきてはいるが、具体的な良策は見えないし、悲観的なムードはやはり漂っているという感じを受けました。 バイオテクノロジージャーナルという月刊誌があり、そのポスドク記事を読んでいるのですが、8月号では「ポスドク問題は、最悪の形で収束する」と書かれてありました。実に悲観的な一文ですが、それが現実のものとなりうるかもしれないなと正直思ってしまいます。 さて、これまでいくつか博士の就職についての文章を書いてきましたが、記録しておくべき文章がもう一つあるとずっと感じていました。それは、「なぜ僕は就職活動することになったのか」ということです。さらにこれを分割して、「なぜ

    (22) アカデミアへの進路の固定はどうして起こるのか - うすっぺら日記
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