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建築と考古学に関するusataroのブックマーク (5)

  • 足利義満、白河院を超える力を誇示か 金閣寺「幻の塔」:朝日新聞デジタル

    室町幕府3代将軍、足利義満が権力の象徴として築いた巨大な七重塔。史料も少なく実態が分からなかった“幻の塔”を飾った相輪の一部とみられる破片が金閣寺(京都市北区)で初めて出土したと、京都市埋蔵文化財研究所が8日発表した。中世史や建築史の研究者らは強い関心を寄せる。 「北山大塔が実在したという物証がついに出土したことは大変にうれしい」と話すのは、「室町幕府論」(講談社刊)などの著書がある早島大祐・京都女子大准教授(日中世史)。南北朝統合を実現させた義満は将軍職を義持に譲ったが、手に入れた強大な権力と財力を示すため、自分が住む北山殿に金閣と大塔を建てたと推測する。 「平安後期に白河天皇が法勝寺… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読み

    足利義満、白河院を超える力を誇示か 金閣寺「幻の塔」:朝日新聞デジタル
    usataro
    usataro 2016/07/08
    興味深いが、どこら辺が大塔の相輪だという根拠になっているんだろうか。この記事だけだとちょっとわかりづらい。
  • 「空中茶室」の遺構発見 京都・石清水八幡宮 - MSN産経ニュース

    江戸時代の学僧・書家で茶道の大成者の1人、松花堂昭乗(しょうじょう)が暮らした宿坊「瀧坊(たきのもとぼう)」の遺構が京都府八幡市の石清水八幡宮境内で見つかり、4日、同市教委が発表した。 合わせて崖(がけ)の斜面から張り出した「懸(かけ)造(づく)り」の茶室「閑雲軒(かんうんけん)」とみられる建物の礎石も発見された。地面から床までの高さは6メートル以上で、茶室としては類例のない構造だった可能性が高いという。 瀧坊は男山の中腹に位置。昭乗は17歳で坊の僧となり、寛永4(1627)年に住職に。小堀遠州から茶道を学んだとされる。 発掘調査では閑雲軒の床を支えていたとみられる3基の礎石が確認された。崖面からは約8メートルせり出しており、長い柱で床を支える「空中茶室」だったことが分かった。 茶室からは京都盆地が一望できたとみられ、市教委は「清水寺の舞台のような構造で、雄大な景色を見ながらお茶を楽し

    usataro
    usataro 2010/11/06
    瀧本坊の発掘らしい。懸造の茶室なんてあったんだ。でも発掘とかが松花堂昭乗関係に偏ってるような気がする。
  • asahi.com:商館倉庫 苦心の復元-マイタウン長崎

    usataro
    usataro 2010/08/21
    「「平戸オランダ商館」倉庫の外観がほぼ完成」
  • 寺院創建年、一目瞭然の推定法 「雨落溝」列数から 奈文研 - MSN産経ニュース

    6〜8世紀の飛鳥、奈良時代の寺院や宮殿の築造年代について、発掘調査でしばしば出土する石組みの排水路「雨落溝(あまおちみぞ)」の構造変化から導き出すユニークな推定方法を、奈良文化財研究所研究員が提唱した。年代が新しくなるにつれて雨落溝の石列数が減ることに着目。築造年代が謎とされてきた奈良県明日香村の川原(かわら)寺は、7世紀中ごろと推定されるという。 建物の創建年代については、土器の形の変化や建築様式などをもとに絞り込むのが一般的で、雨落溝による推定はこれまで考えられていなかった。 奈文研の青木敬研究員(35)が、明日香村の石神遺跡の発掘を担当した際、屋根からの雨水を処理する雨落溝の幅が他の遺跡と比べて広いことに気づき、奈良県の古代建造物を中心に雨落溝の形態を比較した。 その結果、雨落溝の底石の列数が、6世紀末の飛鳥寺中金堂(明日香村)で5列▽7世紀中ごろの石神遺跡が4列▽7世紀後半の飛鳥浄

  • 2代目敦賀駅舎の石畳、姿現わす 仮駅舎建設地から、市が活用検討へ 社会 福井のニュース:福井新聞

    記事一覧 2代目敦賀駅舎の石畳、姿現わす 仮駅舎建設地から、市が活用検討へ (2010年6月14日午後8時45分) 仮駅舎建設工事に伴い、姿を見せた2代目駅舎時代の石畳=JR敦賀駅前 新しいJR敦賀駅舎建設に伴い、同駅前広場で始まった仮駅舎建設現場から、1909年から敦賀空襲で焼失するまで使われていた2代目敦賀駅舎時代の石畳が姿を現している。福井県敦賀市疋田で採取した「疋田石」を使ったもので、市では「新駅舎や駅前広場の整備での活用を検討したい」と話している。  2代目駅舎は、気比神宮横から移転し、現在のJR敦賀駅に建設された。1945年の敦賀空襲で駅舎は焼失、仮設の駅舎を経て、51年に現在の駅舎が完成した。現在の駅舎整備時に、残っていた石畳の上にアスファルト舗装を行ったという。  5月下旬から、新駅舎建設に伴い現駅舎北側で仮駅舎の建設が始まっており、石畳は掘削工事で約3センチのアスファルト

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