択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の4島からなる北方領土は、第2次世界大戦で日本が敗れた1945年にソ連に占領された。引き継いだロシアとの領土交渉は解決に至らず、日ロ両国の間に平和条約はない。打開をめざす安倍晋三首相とプーチン大統領との22日の首脳会談を前に、問題点を整理する。 歴史経緯:旧ソ連、1945年9月5日までかけて占領 江戸時代末期から明治期の日露戦争に至るまでの50年間、両国が結んだ日露通好条約、樺太千島交換条約、ポーツマス条約の三つの国際条約によって、千島・樺太の領有権は揺れ動いた。しかし、北方四島は一貫して日本領だった。 転機は第2次世界大戦だ。日本は米英両国との開戦前にドイツ、イタリアと三国同盟を結び、ソ連との間では中立条約を結んだ。日本の敗色が濃厚となっていた1945年2月、ソ連のスターリンは米英両首脳とのヤルタ会談で、対日
終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題です。12月15日にはプーチン大統領が来日し、山口県長門市で首脳会談が行われます。ことしは、平和条約締結後に歯舞群島、色丹島の引渡しを決めた1956年の「日ソ共同宣言」からちょうど60年の節目になりますが、平和条約や領土交渉の進展はあるのでしょうか。 あらためて、日ロ間にはどのような領土をめぐるやりとりがあったのか。歴史を振り返ります。
ストックホルム・アピールの全文とベルリンのソビエト戦争記念碑(英語版)を描いたソ連の郵便切手(1951年)ストックホルム・アピール(英語: Stockholm Appeal)は、1950年に採択され世界の人々に署名を呼びかけた、核兵器禁止を求めるアピールである。 概要[編集] 1949年9月、ソビエト連邦による原爆保有声明が発せられ、1950年1月、ハリー・S・トルーマン アメリカ合衆国大統領はこれに対抗し水爆製造命令を出すなど、米ソを中心とした核軍備競争が拡大し、国際緊張が高まっていた。 こうした中、1950年3月16-19日にスウェーデンのストックホルムで開かれた平和擁護世界大会(World Congress of Partisans of Peace)第3回常任委員会は、(1)原子兵器の無条件使用禁止、(2)原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現、(3)最初に原子兵器を使用した政府
世界平和評議会(せかいへいわひょうぎかい、英語: World Peace Council)は、ポーランドのワルシャワで設立された組織。冷戦当時に東側諸国(社会主義国)政府の主導で設立された。日本からは日本共産党系の日本平和委員会が加入している[3]。 歴史[編集] 壇上にパブロ・ピカソによる『鳩』を掲げた東ベルリン会議。1952年7月1日。 1949年4月、パリで平和擁護世界大会(World Congress of Partisans of Peace)の第1回大会が開かれた。冷戦が激化し始める中、フランス政府が東側諸国代表の入国を拒否したため、東側諸国の1国であるチェコスロバキアのプラハでも同時開催された。 1950年11月16日-22日、ワルシャワで第2回平和擁護世界大会が開かれ、81か国から2065人が参加。冷戦下においてアメリカや日本、西ドイツなどの西側諸国と対峙するソビエト連邦や
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