韓国アイドルグループ「防弾少年団」のJIMIN(ジミン、23)が原爆Tシャツを着用し波紋を広げ、結局「ミュージックステーション」出演取りやめに発展した騒動で、該当Tシャツを手掛けたデザイナーが謝罪した。 JIMIN(BTS(防弾少年団)) の最新ニュースまとめ TシャツのデザイナーであるLJカンパニーのイ・グァンジェ代表は、韓国メディアの取材に応じ「反日感情と日本に対する報復などの意図があるわけではなかった」と明かした。 また「ブランドをスタートさせた当時、ストリートファッションが流行していた。そのとき、私自らが歴史に関心を向けており、若者たちが着るファッションに歴史意識を込めれば、少しでも歴史に興味をもってもらえるのでは、と考えて(Tシャツ)をつくった」と経緯を説明。 イ代表は、問題となった原爆の写真について「その部分は、日本をばかにするような気持ちはなかった。原爆が投下され、日本が無条
43年8月、チャーチルとルーズベルトがカナダ・ケベック州で原爆を共同開発すると決めた秘密協定「ケベック協定」。米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できない=英国立公文書館所蔵(岡部伸撮影) 【ロンドン=岡部伸】第二次大戦中の1945年7月、英国のチャーチル首相(当時)が米国による日本への原爆使用に最終同意して署名していたことが、英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。約1カ月後の広島と長崎への原爆投下に至る意思決定に、チャーチルが深く関わっていたことを裏付ける資料として注目されそうだ。 同館所蔵ファイル(CAB126/146)によると、原爆開発の「マンハッタン計画」責任者、グローブス米陸軍少将が45年6月初め、英国側代表のウィルソン陸軍元帥を通じて英政府に日本に対する原爆使用を許可するよう求めた。 打診は、米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できないなどと定
1945年8月9日の長崎への原爆投下を前に、米海軍への長崎出撃などを禁じた同軍の極秘電文3通が米国立公文書館で見つかった。同1~4日付電文で、太平洋艦隊司令長官が日本近海で部隊を率いる第3艦隊司令官に送信していた。米兵の被ばく防止と原爆投下を計画通りに進める狙いがあったとみられる。第3艦隊の攻撃目標も長崎から東北地方に変更され、その後の東北空襲につながったことも判明した。 【写真特集】被爆3日後の惨状生々しく 記者が撮った40枚の写真 米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の工藤洋三事務局長=山口県周南市=が昨年、同公文書館保存のファイルから発見した。いずれの電文も太平洋艦隊司令長官ニミッツが、前線で第38任務部隊を率いる第3艦隊司令官ハルゼーに送っていた。工藤事務局長によると、海軍の前線に原爆投下に関する情報が事前に伝わっていたのが確認されるのは初め
11月25日に90歳で死去したキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長。親日家として知られたカストロ氏だが、2003年3月の来日時には広島を訪問している。1962年、人類史上最も核戦争の危機が高まったとされる「キューバ危機」を経験したカストロ氏にとって、広島の訪問は「長年の夢」だったという
ロシアのマトビエンコ上院議長が3日、長崎市を訪れ、長崎原爆資料館を見学し、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で献花した。ロシア政府要人の長崎訪問は1991年にソ連(当時)のゴルバチョフ大統領が訪れて以来。マトビエンコ氏は「早い時期に長崎を訪問したい」という、プーチン大統領の意向を田上(たうえ)富久・長崎市長に伝えた。 マトビエンコ氏はプーチン大統領の側近で、参議院の招きで10月31日に来日し、3日に長崎入りした。資料館を15分ほど見学し、追悼平和祈念館では芳名録に「犠牲者のことを考えると心が痛む。二度とこういう悲劇が起こらないように頑張りましょう」と記帳した。 見学を終えたマトビエンコ氏は田上市長に「原爆を落とす必要性は全くなかった。一般の国民がどれほど亡くなるか想定できた。米国による実験だったと思う」と感想を述べ、「長崎を最後の被爆地にという活動を支援する」と語った。報道陣の取材には「広島
<2016年5月27日にバラク・オバマ米大統領が広島を訪問するのに先立ち、本誌は原爆投下を決断した第33代大統領ハリー・トルーマンの孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルを訪ねていた。2時間余りに及ぶインタビューの中で、ダニエルが率直に語った「祖父の決断」とその責任、そして、彼自身がヒロシマ・ナガサキの被爆者と交流を続ける理由とは> (写真:トルーマン元大統領と幼き日のダニエル、1959年) 謝罪(apology)──バラク・オバマ米大統領の広島訪問を前に、日米両国でにわかにこの言葉への注目が高まっている。オバマは日本人に謝罪すべきなのか。日本国民は米大統領に謝罪を求めるのか。戦時中の行為をめぐる「謝罪」について、日本はこれまで他国から求められることはあっても、こと原爆に関してアメリカにそれを求める声は大きくなかった。 では国家間の話ではなく、「当事者同士」という個人レベルの謝罪についてはど
オバマ大統領が広島を訪問し、核兵器廃絶へ向けてのアピールをした。日本ではオバマ大統領の広島訪問が、あたかも“核廃絶に向けた世紀のイベント”であるかのごとく取り上げられていたようである。 しかし、それと平行して、アメリカをはじめとする国際軍事サークルで話題となっていたのは、「中国の報復核攻撃戦力が強化されている」という“核なき世界”とは隔絶した話題であった。 まもなく始動する核ミサイル搭載の中国戦略原潜 アメリカ国防総省が作成した2016年版『中国軍事レポート』では、「中国人民解放軍海軍は、戦略原潜による西太平洋海域での核抑止パトロールを2016年中には開始するであろう」との予測が述べられていた(「今年の『中国軍事レポート』はどこが不十分なのか」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46933)。それを受けてアメリカやイギリスなどのメディアや軍事関係者たち
米国のバラク・オバマ大統領の広島訪問が、71年前の原爆投下の是非を巡る議論を日米両国で改めて再燃させている。 広島と長崎への原爆投下は、戦争を早期に終わらせ、戦火の犠牲者を最小限にするために本当に必要だったのか。それとも米国には、原爆を両都市に落とさなくてもすぐに日本に完全勝利するだろうという展望があったのか。 米国では新しい史実も明るみに出て多様な議論が生まれている。だが、投下「正当」論が米国の“正史”であることは変わらない。正史は今も揺らいでいないことを日本側としては知っておくべきだろう。 原爆投下の是非を巡ってテレビ番組で討論 原爆投下の是非をめぐる議論には、私自身も米国で関与してきた。今でも忘れられない大きな舞台は、約20年前にCNNテレビの討論番組「クロスファイア」に出演したことだ。米国では20年前にも、すでに原爆投下の是非を巡る議論が盛んだったのである。
被爆地・広島を訪れたオバマ米大統領は、「サプライズ」の贈り物を残した。大統領手作りのカラフルな4羽の折り鶴。原爆投下の10年後、白血病で亡くなった少女にまつわる「平和のシンボル」だ。核廃絶の願いを世界へ広げようと、託された広島平和記念資料館(原爆資料館)は公開の準備を始める。週末の28日、館内は修学旅行生らで混み合った。 オバマ大統領は27日夕、広島到着後すぐに原爆資料館を見学した。同行者らによると、オバマ氏は約5分間、数点の展示資料と向き合い、岸田文雄外相の説明に熱心にうなずいた。なかでも関心を示したのが、佐々木禎子さんの折り鶴。アクリルケースを特別に外すと、オバマ氏は顔を近づけてじっと見ていたという。 「実は折り鶴を持ってきました」。オバマ氏が突然そう切り出すと、随行スタッフがトレーに載せて運んできた。梅や桜の花が彩る和紙を丁寧に折り、「少し手伝ってもらったけれど、私が作りました」。白
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オバマ米大統領の広島訪問は海外でも広く報じられた。そのなかで少し関心を引いたのが、インデペンデント紙の記事「広島のバラク・オバマの高慢な修辞は、彼の混合した記録と矛盾している(Barack Obama's soaring rhetoric in Hiroshima contradicts his own mixed record)」(参照)」だった。 記事の副題には、「在任中、オバマ大統領はアメリカの核の力を向上させるために30余年の努力を開始した(In office, President Obama has launched a three-decade effort to upgrade America's nuclear strength)」とあるが、これが表題にある「his own mixed record(彼の混合した記録)」に呼応している。一方では核廃絶の修辞を高慢に掲げつつ、
アメリカのオバマ大統領が現職の大統領としては初めて被爆地、広島を訪問することについて、NHKが広島県内の被爆者200人余りに聞いたところ、9割を超える人が「評価できる」、「どちらかといえば、評価できる」と回答しました。 この中で、オバマ大統領が広島を訪問することについて尋ねたところ、「評価できる」と答えたのが177人で全体の77%を占め、「どちらかといえば、評価できる」は37人で16%となり、合わせて214人、93%がオバマ大統領の広島訪問を評価していることが分かりました。一方、「どちらかといえば、評価できない」は6人で3%、「評価できない」は2人で1%でした。評価する理由としては、「被爆の実態を見ることに意義がある」とか「アメリカ国内で反対の世論があるなかで訪問を決断したから」という意見がありました。 また、オバマ大統領に広島で何をしてほしいかを複数回答で聞いたところ、「原爆資料館の見学
元広島市長の平岡敬氏(88)に聞く オバマ大統領は再び「核兵器のない世界」に言及したが、手放しで喜んではいけない。米国が「原爆投下は正しかった」という姿勢を崩していないからだ。原爆投下を正当化する限り、「核兵器をまた使ってもいい」となりかねない。私たちは広島の原爆慰霊碑の前で「過ちは繰り返しませぬ」と誓ってきた。原爆を使った過ちを認めないのなら、何をしに広島に来たのかと言いたい。 日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。
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