→第1回「成り上がり政治ファミリーの系譜」はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/51596 ルペン一家を狙ったテロ 国民戦線の内部は最初から、「新秩序」の若い武闘派と、大衆迎合的なルペン周辺の一群とにわかれていた。 しかし、「新秩序」は左翼団体や警察と市街戦を繰り広げた結果、翌1973年に解散を命じられ、大きく力をそがれた。これを機に、ルペンは次第に党内での主導権を確立した。 1974年、ルペンは初めて大統領選に立候補した。得票は19万票あまり、有効投票の0.75%に過ぎなかった。大統領には中道のヴァレリー・ジスカール=デスタンが選ばれた。 ジスカール=デスタン政権時代はルペンと国民戦線にとって、次の飛躍を準備する期間となった。この間、1976年に起きた二つの出来事で、ルペン一家の生活は変化し、大きく揺れた。 一つは、早世した富豪の支持者の遺産と、富豪が所有し
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