にいがたさくら@小話する人 @monkey_across 最近ハマってる動画は東大が出してる「世界史」の世界史 この導入部分だけでももうクソ面白い。 受験戦争に勝ち抜いて入ってきてこれ講義されたら痺れるわ (私はクソ田舎の大学だったのでちょっと羨ましい) ocw.u-tokyo.ac.jp/course_11348/ pic.twitter.com/4Y7ByC6nAG 2023-05-26 01:31:14 リンク ocw.u-tokyo.ac.jp 「世界史」の世界史(学術俯瞰講義) コーディネータ:羽田 正 ナビゲータ:後藤 春美 皆さんの多くは、高等学校で「世界史」を学習したはずです。大学入試の科目として「世界史」を選択した人も多いでしょう。ですから、ちょうど数学の定理や物理の法則のように、高校生が世界中で同じ世界史を学んでいるのだと信じているのではないでしょうか。しかし、実はそう
コーディネータ:羽田 正 ナビゲータ:後藤 春美 皆さんの多くは、高等学校で「世界史」を学習したはずです。大学入試の科目として「世界史」を選択した人も多いでしょう。ですから、ちょうど数学の定理や物理の法則のように、高校生が世界中で同じ世界史を学んでいるのだと信じているのではないでしょうか。しかし、実はそうではありません。 世界史という名前の科目は、日本や中国など東アジア諸国に特徴的にみられ、欧米や中東などでは単に「歴史」と呼ばれる科目しかありません。また、大筋は同じだとしても、国によって、教科書の内容は微妙に異なっています。世界史は、決して一つではないのです。なぜでしょう。 世界史の理解は、自分たちの生きる世界をどう認識するかということ、すなわち世界観と深くかかわっているからです。現代世界でも、人々の世界観は同じではありません。まして、過去においては、地域や時代によって様々な世界観があり、
大学受験で日本史選択だったために、世界史をほとんど勉強してこなかったのだが、年末年始の休みを利用して教科書(山川出版社 『詳説 世界史研究』)を読んだ。 1/2(月)追記 ブコメにて、「 『詳説 世界史研究』 は 「教科書」 ではない」という指摘をいただきました。ここでは 「教科書」 を 「高校で使う教材」 ぐらいの意味で捉えてもらえれば幸いです。また、他にも指摘をいただいた点について修正を加えました。問題意識としては変わっていません。 それでびびったのが以下の点。 ・ 旧約聖書の記載(特に出エジプトの下り)を史実として書いている。 ・ ヴェーバー『プロ倫』の主張を史実として書いている。 ・ ウォーラーステインの 「近代世界システム論」 を前提に近代の記述が進む。 ・ アジアでの 「勤勉革命論」 が何の疑いもなく紹介される。 ・ 資本主義の説明が、ほぼマルクス『資本論』の主張を丸呑みしてい
公文式の教室は「江戸時代の“寺子屋”みたい」と言われることがありますが、そもそも江戸時代の寺子屋で子どもたちは何を学んでいたのでしょうか? 寺子屋での学び 「寺子屋」で学んだことといえば「読み」「書き」「算盤」をあげる方が多いと思います。 当時の子どもたちは7歳前後になると寺子屋に入門し、寺子(てらこ)となります。始めは「いろは」のような簡単な文字の「書き方」の手本を師匠が示し、一文字ずつ字突き棒で「読み方」を教えます。寺子は文字の「書き方」と「読み方」を覚えると、すぐに自分の席に戻り、師匠の「書き方」、「読み方」を何度も繰り返し、真似して身につけます。そして同じように書けるようになったかを師匠に確認してもらいます。これが寺子屋の一連の学び方です。 寺子屋の学習風景に見えない学び 寺子たちは能力に差がありますから、進み方は全て個人別で、課題が与えられていきます。いろはが覚えられると、師匠は
「宿題を忘れた!」苦い経験。「遊ぶのは宿題をしてから」といったルール。今も昔も子どもを悩ませる宿題は、どのように定着してきたのでしょうか。 世界史ブログ「歴ログ」の中の人が、学校では教わらない「宿題の世界史」をご紹介します。 はじめに みんな自発的におこなっていた?近代以前の「宿題」 ドイツで広がった授業の内容を頭にたたき込むための宿題 アメリカに導入された宿題システムは猛反発を受けた ソ連の「スプートニク成功」がアメリカの宿題に影響を与えた 「宿題はよいのか悪いのか」議論があるフランス 宿題の時間が少なくても学力が高いフィンランド 宿題の時間が増えると点数が上がるデータもある 「そもそも宿題は何のためにあるのか」を考え直そう はじめに こんにちは。「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運営している尾登(おとう)と申します。世界史のさまざまなおもしろネタの収集をライフワークとしています。 世界
日韓が衝突する背景にはいつも「歴史認識」の問題が存在する。現在、最大のトピックになっている徴用工問題をはじめ、振り返ると、歴史教科書、竹島、慰安婦……と歴史問題が浮上するたびに、日韓は対立してきた。 なぜ日韓の歴史をめぐる議論は噛みあわないのか。その背景には何があるのか。そこで「文藝春秋」編集部では、朝鮮半島研究を専門とする神戸大学の木村幹教授と、韓国出身のジャーナリスト崔碩栄氏の対談を企画。「韓国における歴史とは何か?」というテーマで語り合ってもらった。 「事実にかなった歴史」ではなく「理にかなった歴史」 印象的だったのは、対談中、木村教授が次のような指摘をしていたことだ。 「韓国語の『正しい歴史(オルバルン・ヨクサ)』という言葉は、『事実にかなった歴史』という意味ではなく、『理にかなった歴史』『あるべき歴史』という意味で使われます」 神戸大学の木村幹教授 ©文藝春秋 その上で、木村教授
男女問わず「君(くん)」付けで名前を呼ぶのが慣例の国会で、衆院予算委員会初の女性委員長、野田聖子氏(自民)が発言者を「さん」付けで指名し、注目を集めている。国会では、なぜ「君」付けで名前を呼ぶのが主流なのか。 1日の予算委。野田氏は壇上から、「質疑の申し出がありますので順次これを許します。岸田文雄さん」と呼びかけた。委員会後、その理由を「一般社会では男女の別なく『さん』付けで呼び合うことが多い。その方が自然にお呼びできると思った」と語った。 衆議院と参議院の規則には「互いを敬称で呼ぶ」とあるだけだが、発言者を「君」付けで呼ぶのが慣例だ。1890年の第1回帝国議会以来で、当時の議事録には貴族院の伊藤博文議長が、発言者を「君」付けし、議員同士も「君」と呼んでいる記録が残る。 海原徹・京都大学名誉教授(…
(台北 17日 中央社)来年度から実施予定の小中高の社会科の学習指導要領づくりが教育部(教育省)によって進められている。今月13日の会議では、高校の歴史科について、歴史上の出来事を年代別にまとめる指導方針から、テーマ別のアプローチに変更する方針が固まった。これまで独立していた中国史は東アジア史と関連させて扱われることになる。これに対し、野党・国民党は、政府は中国史を削減し、中国的要素を排除しようとしていると反発を示した。 同部は今回の改訂について、これまでの、一つの地域に焦点を当てた歴史学習から脱却し、「中国と東南アジア」「台湾と世界」など地域間の交流を重視する方針に転換する立場を示している。生徒が国際的な視野で歴史を捉えられるようにするのが狙い。同部は今月末までの審議完了を目指す。 国民党立法院党団(議員団)は14日、記者会見を開催。曽銘宗書記長は、政府の政治的な目的は明らかであり、新し
※部分画像公開であった資料のうち、1,629点について全文画像の公開を行いました。(2018.05) ※部分画像公開であった資料のうち、2,368点について全文画像の公開を行いました。(2017.02) ※解題一覧のページを公開しました。(2017.02) このコレクションは、中央図書館に所蔵されている教科書の中から、江戸時代の寺子屋で使用された「往来物」から昭和26年までのものを画像化したものです。約5,600冊収録しました。 詳細は教科書コレクション解説をご覧下さい。 時期区分 「教科書制度」で6区分しています。 学科(教科)区分 「哲学」「自然科学」等の大分類9区分のもとを、それぞれ「修身」「算術」などに区分しています。 学校制度区分 「初等教育」「中等教育」「師範教育」などに区分しています。 利用上の注意 資料の利用方法や書誌データの見方については教科書コレクション利用の手引き
国内有数の教科書コレクションをもつ広島大学図書館(東広島市)は、江戸~近現代の教科書を画像化して無料公開するサイトで、公開する教科書を増やした。これまでの2・5倍、約4千冊の全文を公開している。来年度中にはさらに対象を広げ、サイト上の約5600冊全てを公開予定という。 拡張したのは「広島大学図書館教科書コレクション画像データベース」。同館が所蔵する約3万冊の教科書のうち、江戸初期~1951年の貴重な教科書を画像で保存し、広く研究・教育に役立てようと2001年に公開を始めた。だが大半は部分公開で、全文を公開していたのは約1600冊にとどまっていた。 江戸時代の寺子屋で使われた「往来物」と呼ばれる教科書や、明治時代の地理の教科書「世界国尽(くにづくし)」(福沢諭吉著)、坪内逍遥が編纂(へんさん)した国語読本など貴重な資料の全文画像を収録。うち約200点には、内容や成立の背景を広大教員が説明する
「鎖国」が消える――。 文部科学省が14日に公表した次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会科で「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改める。中学歴史でも史料に忠実に、「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更する。 文科省によると、これまで小中学校社会科の学習指導要領では「鎖国」が使われてきた。しかし、江戸幕府は長崎でオランダや中国との交易を許しており、薩摩(鹿児島県)など3か所でも外交と貿易が行われ、完全に国を閉ざしていなかったことから、実態に即した表記にする。 文科省の担当者は「当時、鎖国という言葉は使われていなかったので、正しい言い方にした」としている。 また、現行の中学歴史の指導要領にある「聖徳太子」は、「厩戸王(聖徳太子)」に改める。ただ、小学校ではなじみがあるとして、「聖徳太子(厩戸王)」の表記にする。実際の教科書では、すでにこうした変化は現れている。
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