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中学生・高校生のオモコロ読者のみなさん、こんにちは! セブ山おじさんだよ! みなさんは、物心ついた時からすでに身近な場所に「インターネット」が存在していて、水道や電気と同じように、ライフラインのひとつとして「ネット環境」が整っていた世代ですよね。 成人してから初めて「インターネット」というものに触れたセブ山おじさんからしてみると、君たちはすごく恵まれていて、とっても羨ましいよ。いいなぁ。 でもね、「インターネットが身近にある」っていうのは、「親バレ」というもっとも恐ろしいことと隣り合わせだと僕は思うんだ。 友だちの前で調子コイてる姿とか、夜中に書いたポエムとか絶対に、親にバレたくないよね? この記事を読んでいる君は「ウチの親はパソコンに疎いから大丈夫ッスよw」と思っているかもしれないけど、それって本当かな? あなたのネット上での活動や発言なんて「親は何も知らないし、何も見てもいない」って果
それは記録。 背中が痛いと訴えてくる息子を裸にしたところ、広範囲に内出血跡を見つける。詳細は省くが、殴られたらしい。「すわイジメ」と気負いたつのではなく、ゆっくりと子どもの話を聞く。度を越した悪ふざけなのか、陰湿なやつなのか見きわめがつかないし、子どもの話なので一貫性が見出しにくい。 まず、子どもの話を遮ることなく最後まで聞く。たずねるニュアンスの「訊く」のではなく受け入れるように「聞く」。そいつを逐一記録する。客観的に述べるのは難しいだろう(大人だってそうだ)、だから矛盾点には目をつぶり、ありのまま記録してゆく。ついでに写真も撮っておく。トラブルが大きくなり、収拾がつかなくなってからではなく、(たとえ一面からでもそれを自覚しつつ)子どもからヒアリングを続ける。 次に、「親は味方だ」というメッセージを伝える。独りで抱え込むなという。どうしても言いたくないのであれば、無理に聞くことはない。親
2年生の算数の教科書。ロールプレーイングゲームのように、問題を解いて、鍵を集めていく、という仕立てだ理科の教科書に出てくる「学年目標ツリーハウス」。学習する各単元の内容を「ツリーハウス」の模型にして、それぞれのつながりがわかるように工夫した ゲーム会社大手のバンダイナムコゲームス(BNG)がプロデュースした小学校の教科書が文部科学省の検定に合格し、来春から学校現場で使われることになった。「教育事業に進出し、子どもたちを楽しませるノウハウを生かしたい」と老舗(しにせ)の出版社・学校図書に持ちかけ、共同制作した。ロールプレーイングゲーム(RPG)のような物語仕立てで問題を出題するなど、異色の内容だ。 今回つくった教科書は、算数、理科、国語の3教科。BNGの石川祝男社長は「学校教育の象徴である教科書づくりにかかわりたかった」。一方の学校図書も、学校での教科書のシェアは1〜2割程度にとどまって
「説明上手」が「考えさせ上手」とは限らない――プレゼンとティーチングの違い:プロ講師に学ぶ、達人の技術を教えるためのトーク術(1/2 ページ) 「難しいことを分かりやすく説明する能力」は現代のビジネス社会では大変貴重ですが、プロフェッショナル人材を育てるためには、分かりやすく説明するのではなく「考えさせる」ことを目指さなければなりません。 先日あるプロ講師と話をしていて驚いたことがありました。その時の会話を再現しましょう。 吉見さん 僕が今自分の課題と考えているのは、セミナーの中で受講者が「考える」ワークを入れることなんですよ。これがどうもまだうまくできてないんですよね。 開米 えーっ! 吉見さん、あんなにセミナーうまいのに、まだやってないんでしたっけ? 吉見さんというのは本誌で「まだ1人で営業に行っているんですか? ~2人で始める『ユニット式営業組織」のススメ~』」を連載している吉見範一
もっちりと詰まった食感が特徴のベーグル。欧米では単に焼いて食べたり、サンドイッチにしたりとメジャーなパンですが、数学好きが位相幾何学を利用してベーグルをカットするとこのようになる、という見本です。 詳細は以下。 Mathematically Correct Breakfast -- Mobius Sliced Linked Bagel これはニューヨーク州立大学のコンピューターサイエンス学科の教授、ジョージ・ハート氏が公開しているもの。授業の一環として学生にやらせてみたところ、大変好評だったとのことです。 X軸上で最もZ座標が大きくなる点をA、小さくなる点をC。Y軸上かつベーグル上でY座標がもっとも原点と近くなる点をB、Bの反対側かつ遠くなる点をDとします。 それぞれの点を用いて補助線を引きましょう。 ABCDの各点を通ってぐるっと一周する線を描きます。 赤の線は黒の線をZ軸で180度回転
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090813/1250130867をざっと読んで、自分の思うところを以下書く。 1 「現代文の授業は何のためにあるのか判らない」というのは高校まで私も思っていた。大学卒業後かなり長く思っていた。大学受験の「現代文」は今どんな感じなのか遠く離れているので判らないが、塾講師をして高校受験中学受験の「現代文」すなわち「国語」を担当して、「何のため」というより「誰のため」なのか判った。 日本人には、日本語の文章の読めない人が、たぶん2〜3割くらいいる。そういう人のために「現代文」という授業と科目は存在する。「日本語の文章の読めない日本人」のことを「読解力がない」という。ブログを書く人はたいがい読解力は高い。マンガオタクアニメオタクは少なくとも「文学的文章」の読解力はそこそこ高い。そのため、「なんのために現代文という授業と科
2〜3日前の読売新聞に静岡産業大学学長の大坪壇先生のコラムが掲載されていました。これが思わず拍手したくなるような内容だったので掲載しておきます。全文掲載はまずいのかなとも思うのですが,これは是非読んでいただきたい内容なので踏み切りました。問題があれば削除いたします。 内容は,「学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない」というもの。そう言われれば多くの人が「そりゃそうだ」と思うんでしょうけど,実際は多くの大学教員が教育よりも研究に時間を割いているというのが現実ですよね。 なんでこういうことになるのかというのを居場所論で考えてみると,要するに大学教授というのはいかに教育を行ったかではなく,いかに研究業績を出したかが大学での居場所につながるのだろうと思うのです。その状況ではある程度仕方がない。教育者が,その教育内容でもって評価されるようなシステムの構築が必要なんでしょうね。
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