政府は20日、当初目指していた日本学術会議法改正案の今国会の提出を見送る方針を固めた。政府関係者が明らかにした。 改正案は、会員選考に第三者が意見を述べる「選考諮問委員会」を設けることなどが柱。しかし、第三者の介入を招き独立性を損ねるなどとして、学術会議側が反発。野党からも批判が出ていた。 学術会議は、改正案の今国会への提出を思…
権力にゆがむ専門知 専門家はどう統制されてきたのか (朝日選書) 著者:新藤 宗幸 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:新書・選書・ブックレット 「権力にゆがむ専門知」 [著]新藤宗幸 2020年の日本学術会議の任命拒否問題や、コロナ禍での専門家のあり方など、政治と専門家との関係を改めて考えさせられることが多い今、思わず手に取った本だ。両者の関係が時代とともに変容してきた様子を、日本の近代化から解き明かしている。 「専門知」は政策を作ったり、特定の分野で判断を下したりするのに必要な深い知識だ。それが集積されるのは学界だけではなく、官僚組織など多岐にわたる。 専門的な知見から助言をする役目だが、ややもすれば政策を正当化するための道具ともなりかねない。 本書によれば、かつて意識的な緊張関係を保っていた専門家と政治の関係が変化したのは1980年代の中曽根政権下だった。新自由主義の流れとともに国会審議
まさにこれにつきます。日本では安全保障論、軍事研究、戦争研究が「悪」として避けられてきました。だが村野さんのようにそれに精通していなければ、現在目の前で行われている戦争の意味も、本質も、今後の展開も理解できないのではないか。それは戦後の日本の平和教育の最大の盲点であったのでは。 https://t.co/5KLV8Fosxe— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) March 14, 2022 そして、今テレビなどのメディアでご活躍される鶴岡路人さんはロンドン大学キングスカレッジ戦争学部という最高の名門で博士号、東野篤子さん、小谷哲男さん、合六強さんは平和・安全保障研究所安全保障奨学プログラム修了と、正規の日本の大学以外で安保研究を行ってきた「隠れキリシタン」。— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) 2022年3月14日
2022年2月24日にロシア=ウクライナ戦争が始まって1週間がたった。暗い気持ちで毎日を送っているのだが、それはひとつには戦争の情景を見ることによるものであり、ひとつには私の知っているロシアが崩れていくことによるものであり、ひとつには研究の展望がどうなるのか分からないことによる。戦争の情景を見るのが辛いことについては、どうしようもない。ウクライナ以外にも戦争はあったという指摘もあるが、自分はロシア・ウクライナに関心が深いのだから、とくに辛いのである。現地の人が悲惨であることはいうまでもない。その上で、自分の感慨として、ここに思ったことを書いておきたい。 私の知っているロシアが崩れていくこと。ロシアはもう30年以上関心がある世界である。最初はソ連に関心があったのだが、90年代半ばに現地を徐々に知るようになってから、ロシアへの関心が大きくなっていった。いつもロシアのことを考えているので、それが
松野博一官房長官は7日の記者会見で、日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題を巡り、岸田内閣として新たに任命する考えがないとの認識を示した。
加藤勝信官房長官は29日の記者会見で、日本学術会議の幹事会が、菅義偉首相が任命を拒否した会員候補6人を4月の総会までに任命することを首相に求める声明を全会一致で決定したことについて、「一連の手続きは終了している」と述べ、要望に応じない考えを改めて示した。 加藤氏はまた、拒否した理由の説明と6人の任…
記事:白水社 日本の「近代化」と「豊かさ」をめぐる思索! 野原慎司著『戦後経済学史の群像 日本資本主義はいかに捉えられたか』(白水社刊)は、内田義彦、大河内一男、高島善哉、小林昇、水田洋、伊東光晴という戦後経済学の巨人に即し、社会科学が輝いた時代を解明する。 書籍情報はこちら マルクスが捉えた資本主義社会は、西欧とりわけイギリスをその十全な発展のモデルとしたものであり、日本における資本主義の現状にそのまま当てはまるかは疑義が残ることに気づいた知識人たちがいた。彼らは、日本における資本主義を改めて考えた。彼らが考え出した日本資本主義の段階的発展の理論は、マルクス・レーニンに影響されつつも、日本独自の理論展開であった。彼らの考えは論争となった。日本社会は、どのような資本主義社会であり、どのような段階にあるのかをめぐって、1920年代から30年代にかけて論争が交わされたのである。それが日本資本主
戦前のいわゆる「天皇機関説問題」で迫害を受けた憲法学者の美濃部達吉の手紙が愛媛県内で保管されていたことが分かりました。手紙はみずからの学説について「迫害を受けることは心外だ」と記され、専門家は当時の美濃部の心境を伝える貴重な資料だとしています。 これは戦前、愛媛県の新聞記者だった曽我鍛に宛てたもので、孫の健さんが自宅で保管していました。 手紙は、美濃部達吉が「天皇機関説問題」で貴族院議員を辞職した翌月の昭和10年10月の日付で、議員辞職について「腰くだけのやむなき事情でざんきの至り」と記し、恥ずかしいことだとしています。 美濃部がとなえた天皇機関説は「天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治権を行使する」という明治憲法の学説で、後に陸軍や議会の一部などから激しい批判を受けます。 これについて、手紙には「学問の身内の権力や暴力のために迫害を受けることはいかにも心外だ。今後も言論の自由の許す
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