近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。 昭和を代表する陸軍の参謀7人を取り扱った著作である。いずれも興味深い内容であるが、評者として最も印象深かったのは第5章の池田純久であった。池田は昭和前期陸軍派閥抗争の1つの焦点である統制派と皇道派の対立において、統制派を代表する人物であったにもかかわらず研究がほとんどないからである。 この統制派と皇道派の対立において特異なことは、皇道派の存在は明白だが、統制派の存在は当事者が否定することが多いことである。このため誤って存在しないとする研究者すらかつては存在した。しかし、池田は自ら自分が中心であったとして存在を認め、研究を大きく前進させたのであった。 池田は189
ベトナムとの戦争の傷は、癒えていなかった、ということだろうか。この場合のベトナムとの戦争とは、米国のことではない。中国のことだ。通常は「中越戦争」と表記されているこの戦争は1979年に起きる。今年でちょうど40年を迎えた。 © 2017 Zhejiang Dongyang Mayla Media Co., Ltd Huayi Brothers Pictures Limited IQiyi Motion Pictures(Beijing) Co., Ltd Beijing Sparkle Roll Media Corporation Beijing Jingxi Culture&Tourism Co., Ltd All rights reserved わずか1カ月に満たない短い戦争だったが、殺された双方の兵士の数は中越双方あわせて数万人を軽く超える凄惨なものだった。かつては兄弟国としてともに
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