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bookと戦争責任に関するbt-shouichiのブックマーク (2)

  • トップページ |「戦争責任」いわれ辛い 昭和天皇 素顔の27冊

    側近記した昭和天皇の肉声 27年分、1年掛けて分析 小林忍侍従日記 昭和が幕を閉じてから約30年。昭和天皇の身の回りの世話をする侍従を長年務めた故小林忍氏の日記が見つかった。昭和天皇が、晩年まで戦争責任を巡り苦悩する姿や、動植物の研究者としての探究心や家族への温かなまなざしが克明に記されている。1974年から2000年までの27冊に、側近が見た昭和天皇の日常が凝縮している。貴重な昭和後半史として、一連の記事を新聞紙面だけでなく、ウェブ上でも共有したい。(共同通信・小林忍侍従日記取材班) 日記には、昭和天皇の生の言葉が緻密な文字で書き留められている。 「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。(中略)戦争責任のことをいわれるなど」。昭和天皇が1987年4月、小林氏に漏らした言葉だ。死去する約2年前のことだった。 日中戦争や太平洋戦争を経験し

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    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/09/30
    “「細く長く生きても仕方がない。(中略)戦争責任のことをいわれる」というのは、すごい言葉だ。昭和天皇の心の中には、最後まで戦争責任があったのだとうかがわせる。”…半藤はなぜそう解釈する?理解不能
  • 臨陣格殺の現場 - Apeman’s diary

    先日紹介した『司法官の戦争責任』より、臨陣格殺の現場を目撃した法律家の回想を紹介する。今回も引用文の中に長い引用文が含まれていてややこしいのでご注意いただきたい。〔 〕内は引用者の注記。 (…)前野〔東京地裁判事から転じて「満州国」総務庁人事処長、司法部次長などを務めた前野茂〕によれば、前記二つの治安法は、「匪賊討伐という戦闘行動中の緊急的措置として許容されたものであるにかかわらず、軍警は司法制度を無視し、この法規を乱用して事を処理しているのであった。すなわち彼らは『犯罪捜査』の結果逮捕したこの種犯人でも、犯罪の証拠ありと認めれば、『現地処分』ないし『厳重処分』と称し、取り調べ終了後直ちに銃殺または斬殺していたのである。しかも、それが匪団の横行する地帯で行われるのならまだしも、私が刑事司長就任後首都新京に於いてすら実行されているのを知ったときは、肝のつぶれる驚きであった。新京の南郊南嶺は文

    臨陣格殺の現場 - Apeman’s diary
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/04/03
    『司法官の戦争責任』/「リーガル・マインドの薄い組織ではタダでさえ「緊急的措置」を名目に法的手続きが軽視されがちなのに、明文によってその「緊急的措置」にお墨付きが与えられればそれが濫用されるのは必至」
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