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historyとnavyに関するdazedのブックマーク (6)

  • いまからちょうど100年前…「関東大震災」という未曽有の大災害で、「日本海軍」はどう動いたか(神立 尚紀) @moneygendai

    いまからちょうど100年前の1923年(大正12年)9月1日11時58分、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。 この地震により、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、山梨県で震度6を観測したほか、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5から震度1の揺れを観測した。(当時の震度階級は震度0から震度6までの7階級だったが、家屋の倒壊状況などから、強いところでは現在の震度7相当の揺れがあったと推定されている) 発生が昼時間と重なったことから火災が多発。津波、土砂災害なども発生し、死者・行方不明者は10万5千人余にのぼった。「関東大震災」と呼ばれる。 この震災についてはこれまで多くの論考が発表されているが、海軍・連合艦隊による救難活動について触れられることはあまりない。ここでは、震災にさいして当時の海軍がどのように動いたかを振り返ってみたい。 大震災の前々日

    いまからちょうど100年前…「関東大震災」という未曽有の大災害で、「日本海軍」はどう動いたか(神立 尚紀) @moneygendai
    dazed
    dazed 2023/09/01
    被災地支援のために長門が全速航行したので英軍に秘密がバレたとか、海軍の軍服が白いので朝鮮人だと疑われた、英米中が支援をする中、ソ連だけは国民扇動を目論んでいたとか、いろいろ興味深い内容だった。
  • 長官の死から80年、真実が今 機密情報、日米で懸け離れた認識:時事ドットコム

    長官の死から80年、真実が今 機密情報、日米で懸け離れた認識 2023年08月04日08時01分配信 日海軍航空部隊の奇襲攻撃を受け、ハワイ・オアフ島の真珠湾軍港で炎上する米戦艦=1941年12月7日(AFP時事) 最高指揮官の死から80年。歴史の中に埋もれかけた真実が今、白日の下にさらされようとしている。真珠湾攻撃の立役者・山五十六連合艦隊司令長官の搭乗機撃墜の契機となった、米軍による暗号解読。どの電文が傍受され、暗号が解かれたのか、戦後、国内で論争が続いてきた。それは、日の敗戦で暗号書を含む機密文書が焼却処分され、闇に葬られたからだ。 旧日海軍、乱数表を使い回し 山巡視電は指示に反する運用 米が暗号解読、長官機撃墜 しかし、新たに確認された米海軍の機密解除史料は、問題となった山長官の前線巡視電について、別の暗号書で使い回され、言わば「手あか」の付いた乱数表が、更新の指示を無

    長官の死から80年、真実が今 機密情報、日米で懸け離れた認識:時事ドットコム
  • 「無用の長物」と批判された戦艦「大和」の建造が、じつは「合理的」だったといえる「意外なワケ」(播田 安弘)

    1941年(昭和16年)の12月8日は、真珠湾攻撃が行われた日です。この奇襲作戦と同時期に、同年8月に進水式を終えたばかりの新型戦艦が試運航を行っていました。設計コード「A140-F6」、進水式で「大和」と命名された史上最大の戦艦です。その巨体はもちろん、46cm砲という主砲も、世界最大のスケールを誇りました。 しかし、残した戦果や実戦歴から、無用の長物と言われたり、航空機による戦闘が主流になりつつある時代に逆行していたことから、“時代錯誤の大艦巨砲主義の産物”ともいわれてきました。 映画『アルキメデスの大戦』では製図監修をつとめて、大和などの登場艦船の設計図をすべて描き、また『日史サイエンス』『日史サイエンス〈弐〉』の著者でもある船舶設計技師が、大和は当に無用の長物・時代錯誤だったのかを考えます。 まずは、大型戦艦計画が浮上した当時にさかのぼり、その時代背景から見てみましょう。 巨

    「無用の長物」と批判された戦艦「大和」の建造が、じつは「合理的」だったといえる「意外なワケ」(播田 安弘)
    dazed
    dazed 2023/06/18
    “ほとんどの日本人は、太平洋戦争のあいだ、日本でいちばん大きな戦艦は長門だと思っていた(…)大和という戦艦があったことが広く知られるようになったきっかけは、終戦から7年がたった1952年の『戦艦大和ノ最期』”
  • 世界の海軍で活躍したネコたち、専用の制服やハンモックも

    1914年、英国海軍の水兵が「HMSセンチネル号」のネコたちとともに、ラム酒の樽を囲んでポーズをとる。この年、米国海軍は船へのアルコールの搭載を禁じたが、何千年にもわたって船乗りたちの健康、幸福、安全を守り続けてきたネコの乗船は認められていた。(PHOTOGRAPH COURTESY OF DR. RUTH J. SALTER) 彼らはトム・ザ・テラー、ウォックル、バウンス、ダーティー・フェイスなどと呼ばれ、タフな水兵たちと一緒に、名高い軍艦で何万キロも海を渡った。船乗りたちの貴重な仲間で、小さな制服を作ってもらったり、専用の小型ハンモックをもらったりした。一生を通じて、地に足をつけたことがない者も多かった。世界中の海軍で活躍したネコたちのことだ。 ネコが船に乗るようになったのは、人間が海に出るようになってすぐのころからだ。ネコが世界中に広まったのは、主に船乗りたちによるところが大きい。古

    世界の海軍で活躍したネコたち、専用の制服やハンモックも
  • 米空母キティホークが廃棄処分へ、70年代には人種暴動の舞台にも

    甲板に艦載機を配置し、メキシコ湾を航行する米空母キティホーク=2003年3月/Steve Helber/AP 韓国ソウル(CNN) それはかつて、インド太平洋における米国の軍事力を示す最大のシンボルだった。ベトナムからペルシャ湾まで数々の戦闘を経験し、ソ連の潜水艦との衝突事故も生き延びた。 だがUSSキティホークと呼ばれた艦船の輝かしい日々も幕を閉じる。役目を終えた巨大空母はワシントン州からテキサス州まで、約2万5750キロの最後の花道を歩み出した。その後は解体され、スクラップとして売りに出されることになる。 昨年、テキサス州ブラウンズビルにあるインターナショナル・シップブレーキング・リミテッドは、退役軍艦の処理を担当する米海軍海洋システム・コマンドから1ドル足らずでこの艦船を買い取った。 全長約319メートル、幅約77メートルの空母は巨大すぎてパナマ運河を通過することができない。そのため

    米空母キティホークが廃棄処分へ、70年代には人種暴動の舞台にも
  • CNN.co.jp : 日本の自衛隊、その実力は<1> 他国とそん色なし - (1/2)

    (CNN) 75年前の12月8日、真珠湾攻撃で米海軍に未曽有の打撃を与えた旧日軍。その同じ国が今、軍事大国としてまた世界の先頭集団に入っていると、専門家らは指摘する。 戦後の憲法で自衛目的以外の戦力は持てないとされてきたにもかかわらず、日は復活を果たした。むしろこの制約があったからこそ、日の軍事力は強化されたのではないかという説もある。 「パイロットにしろ艦にしろ、日はどんな相手にも引けを取らない」と話すのは、米陸軍指揮幕僚大学(CGSC)のジョン・T・キューン教授だ。 しかも日は他国の何分の1かのわずかな予算で、これを成し遂げた。 そんな日を取り巻く安全保障の力学は今、変化のただなかにある。米国ではトランプ次期大統領が外交のシナリオを一変させ、戦略地図を塗り替えようとしている。 日の海上自衛隊は世界の海軍のランキングで5位以内に入る。そう評価するのはキューン教授だけではない

    CNN.co.jp : 日本の自衛隊、その実力は<1> 他国とそん色なし - (1/2)
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