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仏教に関するdazedのブックマーク (28)

  • 第10回(最終回):存亡の危機にある日本仏教

    戦後、村社会の崩壊とともに、檀家制度からの離脱者が急増した。そうした人々の受け皿となって目覚ましい成長を遂げた新興仏教教団も、いまやかつての勢いはみられない。しかしこうした「組織」の衰退の流れとは逆行して、仏教に心のよりどころを求める人は増えるのではないか。 檀家制度の崩壊による打撃 1945年、日が第2次世界大戦で無条件降伏した時、日仏教の諸宗派も、国家神道という共通の基盤を失って混乱状態に陥った。現実の権力者である天皇を自分たちの教義に組み込んでいた仏教各宗派は、その教義を全面的に放棄せざるを得ない状況に追い込まれて政治的な影響力を失っていった。同時に、戦後の農地改革によって小作農が自立していくにつれ、地主として収益を得ていた寺院も大きな打撃を受けた。日の仏教界は、江戸時代からの檀家制度による布施だけを頼りにして生きていかざるを得なくなったのである。 しかし戦後、さまざまな要因に

    第10回(最終回):存亡の危機にある日本仏教
  • 墓石が証明する北方領土は日本固有の領土、ロシア「対日戦勝記念日」に考える 「墓は故郷そのもの」、平均年齢87歳を超えた元島民の切なる願い | JBpress (ジェイビープレス)

    軍国主義日に対する戦勝記念日であり、第二次世界大戦終結の日――。ロシアは今年7月、一方的に9月3日を「対日戦勝記念日」と制定した。ウクライナ戦争をきっかけに、関係が悪化している日を牽制する動きとみられる。第二次世界大戦の終戦直前に日ソ中立条約を無視して突如、参戦してきた旧ソ連軍は1945年9月5日までに、日固有の領土である北方領土の占領を終えた。 その北方領土では、ウクライナ戦争前まで夏から初秋にかけて日露の民間交流が盛んであった。しかし現在、領土返還交渉やビザなし交流は中断。元島民による墓参もストップしている。筆者は過去に3度、北方領土を取材した。稿では、当時の現地の状況とともに墓参の様子を紹介したい。 (鵜飼 秀徳:作家、正覚寺住職、大正大学招聘教授) 日人集落の面影は消え去ったが… 私が初めて北方領土の択捉島を訪れたのは2012(平成24)年のことであった。ビザなし交流団員

    墓石が証明する北方領土は日本固有の領土、ロシア「対日戦勝記念日」に考える 「墓は故郷そのもの」、平均年齢87歳を超えた元島民の切なる願い | JBpress (ジェイビープレス)
    dazed
    dazed 2023/09/03
    “色丹島は明治初期、島全体が浄土宗の増上寺(東京都港区)の寺領だった”,“だが、増上寺の寺領であったのはわずか1年ほど。1870(明治3)年に新政府に上知(土地の没収)されている”
  • 第9回:聖性を捨て、世俗化した日本の仏教

    神道だけを天皇政権の宗教的基盤にしようと考えた明治政府は、仏教勢力を国家運営の協力者と捉えるようになった。また、僧侶に肉帯を認めたため、仏教の世俗化が進んだ。そうして聖性を失った日の仏教は釈迦(しゃか)が説いた来の仏教の教えから大きく逸脱していくことになる。 仏教の権益を弱体化 江戸時代の日仏教は、武士の政権にぴったり寄り添う形で平穏に維持されていたが、19世紀後半、国の権力が武士から天皇(貴族)へと移る段階で、仏教界の立場も急速に不安定化していった。新たに権力を掌握した天皇中心の政権は、日古来の宗教である神道を近代的な形に再構築した上で、その宗教的理念を中央集権国家の支柱にしようと考えた。これは、キリスト教世界の上に近代帝国主義を構築したヨーロッパ諸国を参考にした政策である。しかしそうなると、江戸時代までは神道と協調関係にあり、どちらかといえば神道の上位に位置づけられていた

    第9回:聖性を捨て、世俗化した日本の仏教
  • 浄土宗 正覚寺

  • お寺って何?! 問題作『寺院消滅』鵜飼秀徳氏の新刊『お寺の日本地図』が提示する消える寺院と残る寺院の境界線 – 寺社Nowオンライン|

    ミシュラン2つ星獲得!シリーズ「参道をゆく」①曹洞宗大山永平寺(福井県永平寺町)〝禅の里〟のまちづくり〜自治体と共同で未来へつなげる門前再構築プロジェクト

    お寺って何?! 問題作『寺院消滅』鵜飼秀徳氏の新刊『お寺の日本地図』が提示する消える寺院と残る寺院の境界線 – 寺社Nowオンライン|
    dazed
    dazed 2023/07/05
    “「寺院離れ」が進んでいますが、その根底にあるのも、寺院が不要なのではなく、そこにいる僧侶が寺院を地域のために活用できないから、人々の心が離れていったと私は考えています。要するに廃仏毀釈の頃と同じ”
  • 「拝観料は取りたくない」正覚寺住職・ジャーナリストが目指す「人々の幸せな暮らし」とは 鵜飼秀徳 | AERA dot. (アエラドット)

    僧侶とジャーナリスト。二つの顔を持つ鵜飼は「宗教と社会をつなぐのが自分の役目」と語る(撮影/楠涼) 正覚寺住職・ジャーナリスト、鵜飼秀徳。京都にある正覚寺の住職であり、『寺院消滅』や『仏教の大東亜戦争』などの著書を持つジャーナリストでもある。そのどちらもが、鵜飼秀徳にとっては「人々の間から争いを無くし、幸せにみんなが暮らす」ことでつながっている。信仰心は薄れ、「葬式仏教」とも言われる。宗教とは何か、信仰とは何かを改めて問われる時代に、鵜飼は何を見つめるのか。 【この記事の写真をもっと見る】 *  *  * 「鵜飼さんのお寺はこの先かしら」 11月の京都・嵯峨野。紅葉を楽しむ観光客で賑(にぎ)わう道を取材先を目指し歩く途中、前方の4人連れの女性たちの声が聞こえた。車椅子の40代女性、その母親らしき人、つきそう2人はヘルパーだろうか。偶然にも筆者の訪ね先を彼女たちも探している様子だ。間もなく

    「拝観料は取りたくない」正覚寺住職・ジャーナリストが目指す「人々の幸せな暮らし」とは 鵜飼秀徳 | AERA dot. (アエラドット)
  • 浄名寺の円空仏と刈宿の大仏:達人に訊け!:中日新聞Web

    全国を行脚して、12万体の仏像を彫ったとされる円空。その円空作でとっても優しいお顔をされている観音菩薩像が、愛知県西尾市の浄名寺にある。 その浄名寺に行くために、名鉄西尾線の「福地駅」に降りたった。タクシーもバスも見当たらない。仕方ないので歩くことにした。自動車が行き交う県道の歩道をとことこ進む。川を渡りずんずん進み、駅から約40分くらいしたら「円空観音菩薩 浄名寺」という看板が見えて来る。 横道を入ると、すぐ浄名寺に到着した。こじんまりしたお寺で、ちょうど寺の方がいらしたので声をかけると、円空仏の安置されてる小さなお堂を開けて下さり 「どうぞ中に入って、ゆっくりしていってください。お写真もけっこうです」 と言ってくださったので、を脱いで上がらせていただいた。 お堂の正面に厨子があり、そこに高さいっぱいの大きさの円空仏が優しくほほえんでいた。木の元の形を生かして彫られてるようで、体がまっ

    浄名寺の円空仏と刈宿の大仏:達人に訊け!:中日新聞Web
  • 朝熊岳金剛證寺 奥之院

    伊勢志摩地方では「亡くなった人の魂は朝熊山に昇る」と考えられ、葬儀の後は宗派を問わず奥之院を訪れ、卒塔婆を建て供養する習わしがあり、これを岳参りと呼びます。 極楽門を越え長い卒塔婆群の先に、延命子安地蔵菩薩を尊とする奥之院があります。富士見台としても名高く、「海を呑む 茶の子のか 不二の雪」という一休の句碑が建っています。 毎年開山忌(6/27~29)に数万人の人々が参詣します。 サルスベリの花が美しく、秋には紅葉も。

    朝熊岳金剛證寺 奥之院
  • 愛知県碧南市の海徳寺「大浜大仏」!:達人に訊け!:中日新聞Web

    山門の金剛力士像2体は、像高222cm。ヒノキの寄木造、鎌倉時代初期の作で愛知県指定文化財。元は、伊勢の神宮寺の像だった。朱色は、のちの時代に塗られたもの。 1869(明治2)年に、伊勢の神宮寺が廃仏毀釈によって廃寺となったことから仏像が廃棄されようとしていた。それを知り、海徳寺22代寂空和尚と関係者が伊勢に行き、尊の阿弥陀如来像(大浜大仏)や金剛力士像など約60体の仏像を譲り受け、海路にてこの地に運んだ(その仏像の数体は、海徳寺の仁王門の前の「一行庵」という個人管理の仏堂にあり、ガラス越しに拝むことができる)。

    愛知県碧南市の海徳寺「大浜大仏」!:達人に訊け!:中日新聞Web
  • 第8回:徳川幕府の政治体制に組み込まれた仏教

    鎌倉時代に生まれた新仏教の各宗派は支援者を増やすために覇を競い合ったが、江戸時代になって権力が一元化すると、幕府の権力の下で統括されるようになる。檀家制度で民を管理し、租税徴収の一端を担う世俗的活動に組み込まれたことで 日仏教は安定期を迎えた。 対立から安定の時代へ 現在の日仏教には、異なる教義を主張する宗派が存在するが、ほとんどが12世紀から13世紀にかけての多様化の時期に出そろった。鎌倉時代に誕生したそれらの宗派は独自の支援者層を抱えており、その支援者たちのおかげで教団を維持することができたのである。この状況は、別の言い方をするなら、「仏教は人を苦しみから救ってくれる教えだ」といった認識が広く日中に広まり、異なる階層の人たちが立場に応じて仏教の教義を選択し、信奉する時代が到来したのである。 このような仏教の民衆化を、単純に「仏教が日に広まった」という点からみれば好ましいことでは

    第8回:徳川幕府の政治体制に組み込まれた仏教
  • なぜ生物は増え、人は悩むのか──『増えるものたちの生物学』と『風の谷のナウシカ』

    「人はなぜ、生きているのか?」 自分という存在を自覚するようになった頃に、一度は考えたことのある疑問ではないかと思う。 生きることには楽しいこと・気持ちの良いこともあるが、苦しいこと・辛いこともたくさんある。 最近ときどき耳にする「反出生主義」になぞらえて考えるなら、かならず苦しみが伴うのに私たちが生まれてくるのは良くないことで、生まれてこないほうがいいし、子孫など残さないほうがいい……となるかもしれない。 そして人間だけが苦しいわけでない。動物も昆虫も、生きとし生けるものが生きる限り、もがき、苦しむ。 欲しがっても得られない苦しみ、命を脅かされる苦しみ、そして老化や病気による苦しみや死に至る苦しみ。苦を悪とみなし、苦を回避することを善とみなす限りにおいて、人類絶滅や生物根絶をうたう人々の言い分には確かに一貫性がある。 私も私なりに「人はなぜ、生きているのか」について考え続けてきたが、今も

    なぜ生物は増え、人は悩むのか──『増えるものたちの生物学』と『風の谷のナウシカ』
  • 比丘 - Wikipedia

    比丘(びく、巴: Bhikkhu、梵: Bhikṣu)は、仏教において出家し、具足戒を守る男性の修行者である[1]。女性の出家修行者は比丘尼(びくに, Bhikkhunī)。梵語形のBhikṣuの音写から苾芻(びっしゅ)ともいう[2][3]。日では一般には僧侶、お坊さんと呼ぶ。 比丘の生活は涅槃に達することを目的としており、質素な生活を送ることで自身の修行の助けとなるよう設計されている[4]。 インドでは紀元前六世紀ごろから、出家し各地を遊行しながら托鉢する修行者がおり、釈迦もその一人であった。釈迦の弟子が増え仏教教団(サンガ)が成立してからは、その主要な構成員として、信徒に教えを説き、教団を維持する働きをもつ[1]。しかし日の伝統宗派とネパールのネワール仏教、チベットのニンマ派とカギュ派(ならびにその影響下にあるブータン)においては、僧侶の帯と世襲が常態化しており、戒律を始めから受

    比丘 - Wikipedia
    dazed
    dazed 2023/05/16
    “日本の伝統宗派とネパールのネワール仏教、チベットのニンマ派とカギュ派(ならびにその影響下にあるブータン)においては、僧侶の妻帯と世襲が常態化”
  • 鵜飼秀徳の記事一覧 - エキスパート - Yahoo!ニュース

    京都市生まれ。新聞・経済誌記者などを経て、2018年に独立。正覚寺(京都市右京区)第33世住職。ジャーナリスト兼僧侶の立場で「宗教と社会」をテーマに取材、執筆、講演などを続ける。近年は企業と協働し「寺院再生を通じた地方創生」にも携わっている。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)など多数。最新刊に『絶滅する「墓」 日の知られざる弔い』(NHK出版新書)。一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事、大正大学招聘教授、東京農業大学・佛教大学非常勤講師など。

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  • 第1回:目覚めた人ブッダの誕生

    仏教は2500年前にインドで生まれ、中国を経由して6世紀に日に入ってきた。ただし日では、創始者ブッダの唱えた初期仏教は広まらなかった。仏教の変容はいかにして起きたのか。「日の仏教とは何か」を読み解くシリーズの第1回では、ブッダの教えとはどのようなものだったのかを紹介する。 瞑想(めいそう)によって苦しみから解脱 仏教は、約2500年前に歴史上の人物であるガウタマによって始められた。ガウタマは、現在のインドとネパールの国境地帯にあるカピラヴァストゥ王国の王子として生まれた。そのまま普通に成長すれば、国王になることのできる大変恵まれた環境の中にいた。しかし青年期になると、「生きることの苦しみ」を感じ取り、皇太子の身分を自分から投げ捨てて、たった1人で森の中に入り、宗教修行者となった。彼は次のように考えたのである。 この社会には、幸福な人もいれば不幸な人もいる。人の在り方はさまざまだが、全

    第1回:目覚めた人ブッダの誕生
  • チベット亡命政府首相、動画拡散で謝罪のダライ・ラマを擁護

    (CNN) チベット亡命政府のペンパ・ツェリン首相は13日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(87)が動画の中で男の子の唇にキスして「私の舌を吸いなさい」と誘ったことについて、これを擁護する見方を示した。 インド首都ニューデリーでのイベントで、記者団に対して述べた。ツェリン氏はダライ・ラマの行動について「罪のないもの」であり、誤解されていると説明。動画が物議を醸したことで、ダライ・ラマの信奉者たちは「傷ついている」と付け加えた。 同氏によれば、ダライ・ラマの聖性は常にその高潔さと共にある。それは仏教徒としての生き方を追求することに由来し、そこには禁欲も含まれる。長年にわたる精神の訓練により、人は感覚的な快楽を超えた存在になっているという。 ダライ・ラマは10日、当該の動画について謝罪した。動画はソーシャルメディアで拡散し、世界中から児童虐待の非難を含む批判の声が上がる事態となっていた

    チベット亡命政府首相、動画拡散で謝罪のダライ・ラマを擁護
  • ダライ・ラマが謝罪 少年に「私の舌を吸って」

    チベット・マクロードガンジの寺院で礼拝に出席したチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(2023年4月5日撮影、資料写真)。(c)AFP 【4月10日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(87)は10日、インドで行われた公式行事の際、会見した少年に口づけした上で自分の舌を吸うよう促す動画がソーシャルメディアで拡散し、批判を巻き起こしていることを受け、謝罪声明を発表した。 拡散した動画は2月28日、インド北部ダラムサラ(Dharamshala)郊外のマクロードガンジ(McLeod Ganj)での行事の際に撮影された。 敬意を表するために身を乗り出した少年の唇にダライ・ラマがキスをし、次にダライ・ラマが少年に「私の舌を吸って」と言って舌を突き出す様子が映っている。 ツイッター(Twitter)の公式アカウントには「猊下(げいか)は少年とその家族、そし

    ダライ・ラマが謝罪 少年に「私の舌を吸って」
  • エピソード - 視点・論点

    「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞を受賞した山さん。世界中で調査した住宅を紹介しつつ、コミュニティー作りを意識した建築を行ってきた思いを語ります。

    エピソード - 視点・論点
  • 世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー - クラウドファンディング READYFOR

    クラウドファンディング終了のご報告と御礼 この度は法隆寺のクラウドファンディングを応援くださり、誠にありがとうございます。おかげさまで、7月29日をもって募集期間を無事に終えましたことをご報告申し上げます。 当初は不安を抱きながらの挑戦でしたが、支援募集開始の翌朝という早さで第一目標金額の2000万円を達成し、驚くべきことに最終的には七千数百名の方々から1億5000万円を上まわるご支援(※)を賜ることができました。改めまして、関係者一同心より御礼申し上げます。 (※代理支援分を含めた金額) ご支援金以外にも、公開時と達成時には多数のメディアで取り上げられ、予想もしていなかったほどの大きな反響をいただきました。応援コメントでは、ご参拝くださった際の思い出や、法隆寺を未来へと繋いでいくことへの応援のお言葉を数多く頂戴しました。感謝の思いとともに、法隆寺を護り継ぐ責務を改めて実感しております。

    世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー - クラウドファンディング READYFOR
    dazed
    dazed 2022/07/29
    最終日7/29に見たら、支援者7,311人、総額1億4524万と、すごいことになってて驚いた。
  • 即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏

    これらの即身仏を護持しているのは、いずれも江戸時代に湯殿山信仰の拠点となった寺院である。湯殿山の御宝前(ごほうぜん、明治以降は御神体)は山そのものでなく、温泉の湧き出る巨岩。温泉に含まれる鉱物が固まった「温泉ドーム」と呼ばれるもので、湯殿山は古来より出羽三山の奥の院として崇められてきた。 1641年に羽黒山が天台宗に統一されて以降、出羽三山では天台宗と真言宗の対立が深まった。徳川幕府の公認を得て巨大な勢力となった天台宗に対して、真言宗側は寺社奉行に訴訟を起こして、「三山のうち、羽黒山・月山は天台の山、湯殿山は真言の山」という裁定を得た。 即身仏となったのは一代限りの修行者を意味する一世行人(いっせいぎょうにん)で、門前集落の出身ではなく、外部から来た下層の宗教者である。真言宗側は、湯殿山で一世行人を修行させることで宗教的能力を体得させ、布教の前線で活動させて天台宗に対抗した。江戸時代に庄内

    即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏
    dazed
    dazed 2021/12/13
    “即身仏となったのは一代限りの修行者を意味する一世行人(いっせいぎょうにん)で、門前集落の出身ではなく、外部から来た下層の宗教者”,“僧侶は弟子を跡継ぎとし、修験者は妻帯ゆえ子息に跡を継がせた”
  • ダライ・ラマ、85歳の誕生日に「ファーストアルバム」発表

    ダライ・ラマ14世。インド・ブッダガヤにて(2020年1月5日撮影、資料写真)。(c)SUMAN / AFP 【7月7日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世が85歳を迎えた6日、ファーストアルバムをリリースした。 【関連記事】84歳の誕生式典、ネパール政府が許可せず中止に 「内なる世界(インナーワールド、Inner World)」と題されたアルバムには、ダライ・ラマ14世による瞑想(めいそう)の祈りや仏教の教えが収録されている。ニュージーランドのミュージシャンで信徒のジュネル・クニン(Junelle Kunin)氏による説得が実を結び、5年の制作期間を経て発表に至った。 クニン氏によると、レコーディング現場でのダライ・ラマ14世は「明確なビジョンを持って作品づくりと向き合っていた」という。同氏は「マントラ(真言)も収録されているが、宗教的な作品ではな

    ダライ・ラマ、85歳の誕生日に「ファーストアルバム」発表
    dazed
    dazed 2020/07/07
    ダライ・ラマ「ファーストアルバム」Apple Musicでも配信されてた。ジャンルは「ディヴォーショナル/スピリチュアル」