戦後の道内画壇をリードした函館出身の画家岩船修三(1908~89年)が、戦時中に国民の戦意高揚のために描いた戦争画が函館護国神社に保管されていることがわかった。旧日本軍守備隊が全滅した1943年(昭和18年)のアッツ島の戦いを描いた作品で、縦約190センチ横約280センチと戦争画としては道内最大とみられる。専門家は「これほど大型の作品が戦後80年近くたって見つかることは珍しい。アッツ島玉砕に対する軍の思い入れの強さを示す重要な作品だ」と話している。
【ドレスデン聯合ニュース】ドイツ東部ドレスデンの民族博物館で1日(現地時間)、旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」の展示を含む企画展が終了した。ドイツの公共博物館での少女像展示はこれが初めてだった。レオンティーネ・マイヤー・ファン・メンシュ館長は、展示の意図は「反日」ではなく「記憶の文化」だったが、日本から驚くほど強い圧力をかけられたと、聯合ニュースのインタビューで語った。 4月半ばに始まった企画展は戦争や暴力の経験と被害体験の克服をテーマとし、ナチスのユダヤ人虐殺なども取り扱った。 少女像は移動式と青銅製の2体が展示された。企画展開幕にあたっての記者会見の前日、ドイツにある日本大使館の文化担当公使は少女像の撤去を要請する書簡を博物館に送ってきた。続いて、少女像撤去を求める電子メールが1日100通以上殺到した。日本や米国、ドイツ国籍だという人たちからのメールだった。 スタッフに
2020年7月、北海道白老郡白老町において、アイヌ民族博物館(1984年開館)を発展させたウポポイ(民族共生象徴空間)が設立されました。また、アイヌ文化を取り扱った漫画『ゴールデンカムイ』も話題となり、2024年1月には実写映画化もされました。 そこで、浮世絵ではほとんど描かれることのない北海道、なかでもアイヌ民族の暮らしを描いた浮世絵を紹介いたします。 明治3年(1870)、浄土真宗の僧侶である大谷光瑩(こうえい)、法名「現如(げんにょ)」は、明治新政府からの命を受け、北海道の開拓事業と布教を行いました。 その様子を伝えたものが、翌明治4年(1871)頃、浮世絵となって刊行された「現如上人北海道巡錫絵図」です。点数は、大判錦絵15点、大判錦絵3枚続1点。絵師は、二代国輝、三代広重、二代国貞、小林永濯といった、当時の人気絵師たちが分担して制作しています。 今回は、その中から3点の浮世絵をご
日本軍慰安所制度を告発し、その犠牲を記憶する少女像が、新たにドイツ首都ベルリンに建立された。 そこは在外公館が近いわけでもなく、日韓合意ですら表現規制できないはずだが、日本政府は撤去を求めていくという。 ベルリン少女像「撤去を」加藤氏 元従軍慰安婦の被害を象徴 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース 加藤勝信官房長官は29日の記者会見で、ドイツの首都ベルリンの公有地に初設置された、元従軍慰安婦の被害を象徴する少女像の撤去を求める考えを示した。「極めて残念だ。撤去に向けてさまざまな関係者にアプローチし、わが国の立場を説明するなど働き掛けていきたい」と述べた。 無関係な国家に記念碑をたてる意味がわからないという反発も散見される。そのひとつが杉並区議の小林ゆみ氏*1によるツイートだ。 どうしてベルリンに慰安婦像? ベルリンに設置することに、どんなメッセージや意味があるのでしょうか。 ベルリ
令和二年四月、今年の春はいやに肌寒く感じていたが、ようやくこの季節らしい日差しが降り注ぐようになった。伸び放題になってきた木をそろそろ手入れしなければと思っていたある朝に雨戸を開けると、ほんの二尺ほどの近さで鳥と目が合った。猫の額ほどの庭、よく見るとオリーブの木に鳩が巣を拵えている。ちょうど掃き出し窓に立った私の目の高さである。これは困った。たくさん集まってきて糞を落とされたりしてはたまったものではない。そうなると近隣にも迷惑がかかるであろうし、追い出すべきか否かと悩んでいたが、既に卵を温めている様子である。最早追い出しにくいではないか。 調べてみたところ、そこらの公園などで群れているドバトではなく、キジバトのようである。たしかに公園のものより少し細身で色柄も違う。きりっとしていてどことなく野鳥の趣である。キジバトは群れず、単独、或いはつがいで行動するとあり、なるほど昼と夜で雄と雌(私には
株式会社アートジャパンの代表山田聖子氏の著書『教養としての「芸術」入門』より一部を抜粋し、欧米と日本の「芸術文化」の差について解説します。 日本と異なり、「アート」で子を教育する欧米文化 外国人、特にアメリカやヨーロッパの人は、日頃から芸術に触れ楽しんでいます。というのも欧米では、日常生活のなかに芸術が根付いていて、身近にあるからです。 実際に、外国人の友人や仕事関係の方の家にお招きいただくと、どの家に行っても「アート」が飾ってあります。絵画や、彫刻のような立体造形、額装された写真、季節や行事に合わせた装飾のほか、ヴィンテージギターを飾っている人もいます。家のなかで、その人なりに芸術を楽しんでいるのです。自分の好きな作品を選び美しく飾るという習慣は、無意識に芸術の教養を深めているのです。自分の個性を磨き、表現することにもつながっています。 また、飾られた作品を眺めながら「素敵な絵だけど、誰
群馬県立近代美術館で22日から展示予定だった、県内の「朝鮮人犠牲者追悼碑」をモチーフにした造形作品が、同館の指導で解体撤去されたことがわかった。追悼碑をめぐっては、存廃が法廷で争われている。同館は「県は碑の存廃をめぐる裁判の当事者。存否の両論を展示内容で提示できない以上、適さないと判断した」としている。 撤去されたのは、前橋市の作家白川昌生さんの作品「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」。布を使って追悼碑を表現した直径5メートル、高さ4メートルほどの作品で、同県在住の芸術家の作品を集めた展示の一つに予定されていた。同館と白川さんによると、同館幹部らが21日夕、展示前の最終点検で不適と判断。白川さんと修正を模索したが、最終的に同館側が撤去を求めたという。 碑は、戦時中に動員・徴用され、建設現場などで働いて死亡した朝鮮人らを追悼する目的で、市民団体が2004年、県立公園内に建立。県は14年、碑の前で開
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波の絵で世界でも非常に有名な葛飾北斎。日本人にとってもあまりに見慣れたあれ以外の北斎作品もまた凄い。特に老人になってからの作品は圧倒されます。あまり知られていない、“波の絵じゃない”北斎の傑作を紹介します。(年齢は数えではなく、現代一般的な満で紹介します) 色彩感覚ずば抜けてる 八方睨み鳳凰図 下絵(1848年) 葛飾北斎 87歳ごろ 長野県にある岩松院の天井に描かれた天井画。そのサイズはなんと畳21枚分! この大作を86歳から87歳までの1年かけて仕上げたというからすごい。とにかく迫力が半端ない!ビビッドな色味、鳳凰の目力も尋常じゃない。まさに魂が込められているような力強さがびしびしと伝わってくる。ちなみに天井画は今も当時の色彩と光沢を保っているという。 海外が驚愕した“北斎ブルー” 甲州石班沢(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70歳〜74歳ごろ 藍摺絵(藍色の濃淡の
早稲田大学図書館に保管されている“おなら戦争”を描いた『屁合戦絵巻』がすごい 記事公開日:2012/02/25 19:12 | 最終更新日:2012/02/25 19:12 この記事を共有しませんか? Tweet その昔、排泄物を武器として使っていた時代がありました。たとえば、古くは鎌倉時代末期の武将・楠木正成(くすのきまさしげ)が敵軍にグルグツと煮立てた“人糞”を浴びせかけ、相手の戦意を喪失させたと伝えられています。 また、第一次世界大戦ではアメリカ軍が風上からスカンクのおならの臭いのガスを流し、ドイツ軍をかく乱したとも言われています。そんな“スカトロジーと戦争”の限界を表現した絵が、日本でも早稲田大学図書館に蔵書されています。 その絵の名前は『屁合戦絵巻』。今から166年前、1846年の作品です。 この年は、アメリカ東インド艦隊司令長官のビッドル提督が率いる軍艦2隻が浦賀に入港した年で
金理有 @orashitoriegumo @takashipom 昨日は搬入があったので遅れてですが一連の陶芸ついーとを興味深く拝見しました。村上さんは「焼物」全体と言うよりは、特に「器」にこそ可能性を見出されているのでしょうか?「器」を取り巻く環境こそが美術界のパラダイムを変えうると… 2010-10-11 10:42:00 takashi murakami @takashipom んなこと、言ってない。陶芸は陶芸なんじゃねぇ〜の?美術のパラダイム、なんてでかい話しはしていない。でも、陶芸の小さな世界だって、問題点とかあるでしょ、ってこと。RT @orashitoriegumo: 「器」を取り巻く環境こそが美術界のパラダイムを変えうると… 2010-10-11 11:06:02
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