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  • 智恵の海 「脳と瞑想」(プラユキ・ナラテボー/篠浦伸禎著)書評

    「最先端脳外科医とタイの瞑想指導者が解き明かす苦しみをなくす脳と心の科学」(書副題) 近年、瞑想とは何か、瞑想の効果とは何か、などについて医学的・脳科学的・心理学的に解明しようとする試みがなされてきているが、書もその一環であると考えて良いだろう。ただこので特徴的なのは、僧侶と脳外科医の対談がメインとなっていることと、実践的であるということである。 プラユキ・ナラテボーは、日の大学卒業後タイの大学院に留学し、タイで出家しそのままタイのお寺の副住職になった日人僧侶であり瞑想指導者である。 篠浦伸禎は、覚醒下手術という患者の意識を保ったまま脳外科手術を行う最先端脳外科医である。 対談ということで、他の書籍とは違った長所と短所がある。長所としては一人で書いたのでは思いつかないであろう発見や発想がある点、短所としては対談ゆえに全体の構成にややまとまりを欠く点が主に挙げられるが、一貫している

    智恵の海 「脳と瞑想」(プラユキ・ナラテボー/篠浦伸禎著)書評
  • 智恵の海 諸法無我は間違い?

    前々回、前回の諸行無常は間違い?、一切皆苦は間違い?で、 諸行無常と一切皆苦の解釈は、おそらく来のブッダの意図とは違うと解説しましたが、 今回はシリーズ最終回の諸法無我についてです。 諸法無我は通常、人間としての我は存在しないと解釈されていますが、 この解釈は主語である諸法の部分を完全に無視しています。 我というのは存在しないというのは究極的には正しいと、 クリシュナムルティもオショー(ラジニーシ)も言っていますが、 この文脈ではそこまでは言っていません。 原文にあたってみましょう。(ダンマパダ279) sabbe dhamma anatta ti yada pabbaya passati atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiya http://ccbs.ntu.edu.tw/BDLM/lesson/pali/reading/gatha279

    智恵の海 諸法無我は間違い?
    mangakoji
    mangakoji 2014/06/21
    そうかも
  • 智恵の海 一切皆苦はやっぱり間違い

    一切皆苦は間違いということであるサイトに書き込みをしたところ、 筆者の友人がいろいろ調べてくれて判明したことがあるので書かせていただきます。 調べて判ったことを整理すると以下になります。 ・厳密にブッダの言葉を増支部三集より引用すると、 「一切諸行は無常なり。一切諸行は苦なり。一切諸行は無我なり。」であり、 この三つは三相と呼び常にセットである。 ・ここでの苦(dukkha)とは勝義諦(聖なる真理(ariya sacca))としての苦で、 苦しみと解釈するのではなく「不安定」「空しい」と解釈するのが正しいらしい。 ・行(サンカーラ)とは一般的にはconditioned thingの意味、 十二縁起や五蘊の文脈ではmental formationの意味で使われるらしい。 行(サンカーラ)についてはここでは正確には何を指しているのかさらに研究が必要ですが、 いずれにしても一切の「物事」という意

    智恵の海 一切皆苦はやっぱり間違い
    mangakoji
    mangakoji 2014/06/20
    なるほど。
  • 智恵の海 ティク・ナット・ハン式瞑想の特徴

    ヴィパッサナー瞑想と呼ばれることはあまりありませんが、 番外編としてティク・ナット・ハン式瞑想を紹介しておきます。 ティク・ナット・ハン(1926~)はベトナムの禅宗仏教僧で、 ベトナム戦争のさなかに微笑を説き、 呼吸を中心にしたシンプルな瞑想を指導しています。 ティク・ナット・ハンの教えは今ここにあること(マインドフルネス)、 微笑むこと(平和、幸福)です。 仏教にありがちな、この世は苦である、生きていることに意味がないとは言わず、 この世は美しい、あなた自身に気づけば生きていることが無意味だとは思わないだろう、 と言っています。 その点オショウやクリシュナムルティやニューエイジに近い部分もあります。 瞑想は座禅、歩行禅があります。 座禅では、息を吸って微笑む、息を吐いて微笑むと指導しています。 歩行禅では、一歩歩んで平和を足跡に残す、一歩歩んで幸福を足跡に残すとしています。 そして自分

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