昨日の記事をざっくりまとめると、ゼロ年代初頭(『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』)のクドカンの批判力は、90年代的な自意識と心理主義とスノビズムに対して、マイルドヤンキー的な「ジモト」の閉じた時空間を対置したところにあった。これが、先鋭化してコミュニティを自己解体し、ばらばらの「個」の連鎖になっててしまったものが『マンハッタンラブストーリー』であり、その反動で浅草という古い街の「大家族」に回帰したのが『タイガー&ドラゴン』だった。そして以降、クドカンは基本的に後者をいかに拡大していくか、という路線になっていく。 要するにファスト風土化する郊外を肯定するのか、人情下町商店街に回帰するのか、という問題がここにはあった。クドカンは最初から後者に傾いていたが、「池袋」や「木更津」という「ダサい街」をそこがタテのつながり(家族、伝統)よりもヨコのつながり(仲間)との関係の場である限り