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ブックマーク / voice.php.co.jp (2)

  • 「夜の街」の憲法論―飲食店は自粛要請に従うべきなのか

    真の立憲主義を守る国家の責任 ようやく冒頭の話に戻るが、左派系各紙の憲法記念日の紙面に私が落胆したのは、それらが、この物理的(生命・健康)にも経済的(営業規制)にも切迫した危機に直面した状況のなかで、あえて「ジェンダー」という観点から「承認(アイデンティティ)の政治」を前面に押し出し、「再分配の政治」を軽視しているからなのだ。 もちろん、コロナ下での若年女性の自殺の急増など、明らかに社会のジェンダー構造に起因する深刻な問題が存在しているのは、よくよく理解しているつもりだ。しかし、ジェンダー構造のような広く深く浸透した社会文化的意味秩序は一挙・全面的に改訂できるものではない。 それは粘り強く長い時間をかけて丁寧に解決されるべき問題なのである。コロナ下においてジェンダーをことさらに重視するのには、いまにも死にそうな重症患者に「普段から事を節制して運動とかもやったほうがイイですよ」とアドバイス

    「夜の街」の憲法論―飲食店は自粛要請に従うべきなのか
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2021/06/19
    “公衆衛生のために日々、生-権力を行使する国家は/なぜ自らの権力行使(営業規制)が正当化されるかの「根拠」を誠実で明瞭な言葉で説明する、重く厳しい責任を課されている”
  • 「夜の街」の憲法論―飲食店は自粛要請に従うべきなのか

    「経済的自由」は「精神的自由」より劣るのか ところで、スナックをはじめとする飲店に対して、この間、当たり前のように行なわれている「時短」や「休業」要請などの営業規制は、いったい何を根拠として行なわれているのだろうか。 そのことを考えるにあたって、かつて憲法学と法哲学の間で行なわれた「二重の基準」論争を振り返ってみたい。 憲法学においては、営業の自由を含む「経済的自由」の公権力による規制は、表現の自由などの「精神的自由」の規制よりも緩やかな司法審査に服すこととなっており、このように規制対象によって基準が二重になっていることを指して「二重の基準」と呼んできた。 噛み砕いて言うなら、「営業の自由」は「表現の自由」や「報道の自由」などに比べると、簡単に政府による規制の対象となってしまうのである。このようなかたちで経済的自由を精神的自由に対して劣位に置くのは、「知識人」特有の偏見なのではないかと法

    「夜の街」の憲法論―飲食店は自粛要請に従うべきなのか
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2021/06/19
    “「孤独な呑んべえ/地域の社会文化的荒廃と極右の伸張(Bolet, Drinking Alone)」/パブの閉店は、人びとの社会的孤立を引き起こし、イギリスの労働者階級の生活条件の悪化のシグナルになっている”
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