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2年間エンジニアとして働いた会社を2015年に退職し,筑波大学大学院の修士課程(ほんとうは博士前期課程という)に進学した. 社会人から学生になるというのは海外ではよくある話なようで,筑波大の留学生の友だちにもそういう人が多いけれど,日本ではあまり見ないので誰かの役に立つことを期待して経験談のようなものを書く. そもそもこれは入学した時点で書くつもりだったのに,もう卒業まであと2か月という時期になってしまった.すみません. 進学した経緯 まずは学部生のときのはなし.私は学部生のときも筑波大学に通っており,自分で好きなものを作ったりインターンシップを通じて,プログラミングが楽しいと思っていた.そこで,大学院には行かず就職しようと考え,少しの就職活動を行って3年生の2月10日にグリーに内定をもらった(内定をもらったのがニートの日だから覚えやすい!).IT 企業は早くから就活が始まり,早くに内定が
はじめに 以下の記事に触発されて、自分のゲームクリエイターとしての原体験を書いていこうと思う。 創作とは無縁の幼少期 創作やプログラミングの原点という話になると、幼少期の体験が挙がることが少なくないが、 僕にはそういうのが一切なく(少なくとも記憶には)、羨ましくすら感じる。 とは言え、人並み以上にゲームは遊んでいて、 FF、DQ、LAL、バハムートラグーン、クロノトリガー&クロス、聖剣伝説、ロマサガ、サガフロ、 MOTHER、スーパーマリオRPG、ヒーロー戦記、幻水、アークザラッド、ポポロクロイス物語、 Moon、デジモンワールド、リンダキューブ、グランディア、ワイルドアームズ、ゼノギアス、 火星物語、レガイア伝説、等などRPGだけでも数えきれないほどの名作に触れていた。 でも不思議と自分で作ろうと思った事はない。 おそらく、大人の言う 「ゲームが好きだからってゲームを作る仕事が出来るわけ
それどこをご覧の皆さま、はじめまして。もうすぐ3歳になる娘の父badです。娘と遊ぶのが大好きで、はてなブログで娘の成長日記をつけています。 今回は娘と一緒に寒天ゼリーをつくった話をこちらに書こうと思います。 話は1年前にさかのぼります。2歳の誕生日にままごとセットを娘に買いました。プラスチックの包丁でプラスチックの野菜を切る、よくあるおもちゃです。買った時は本当にハマっていました。箱に入ってるすべての野菜を包丁で切り、バラバラの野菜を繋げて箱にもどし、また最初から切りなおす……。これを何度も何度もやって遊んでいました。 やがて娘はままごとセットであまり遊ばなくなりました。子どもは飽きっぽい。そうかもしれません。新しく買った絵本やおもちゃに目移りしているだけ。そうかもしれません。 しかし親バカな自分はある一つの仮説がどうしても捨てきれなかったのです。 「もう娘はままごとを極めてしまい、もはや
子供に「死」の概念を教える機会は、そうそうありません。 ペットの死は、「ずっと続くように見える日常が、実はいつ終わってもおかしくないんだ」という、生きる上でとても重要な認識を育みます。 幼児には刺激が強すぎるという意見もあるかもしれません。 が、私は「死」と向き合う機会を作るのも、親の重要な役割だと思っています。 ペットがもたらしてくれるものは、抱えきれないくらい大きい 先週末、家族だったキャバリア・キングチャールズ・スパニエルが亡くなりました。 11歳でした。 ソファーから落ちそうになると、「誰か受け止めてー」とそのまま無防備に落ちていくような、純真無垢な犬でした。 子供の頃、3歳で初めて犬を買ってもらってから、この子で3頭目の犬でしたが、いちばん忘れられない犬です。 子供が生まれてからは、なかなか相手をする時間を作れませんでした。 キャバリアは心疾患の多い犬なので、運動不足もたたったの
Redditで話題になっていたポストを訳してみた。 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかったという高校生の独白にたいしてつけられたこのちょっと長めの返信がとても的確で示唆に富んでおり、多くの人のこころをつかんでいました。私自身、勇気づけられるというか身につまされるところがあり、忘れないために翻訳をしてみました。 まずは高校生の独白から。 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった 僕はいま高校の最終学年で、次の6月に卒業する予定です。高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。 総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。 また僕は、自分
人はなぜ「自分は大丈夫」と思うのか,防災研究家の片田群馬大学教授に聞く(前編) 群馬大学工学部教授 片田 敏孝氏 人は,何らかの被害が予想される状況でも「自分は大丈夫」と思ってしまいがちだ。一般ユーザーの「セキュリティ対策をしなくても,自分は大丈夫」と思う意識に,悩んでいるセキュリティ専門家は多いだろう。防災研究家で群馬大学工学部教授の片田敏孝氏は,人のこのような心のあり方を「正常化の偏見(normalcy bias)」と呼ぶ。 「正常化の偏見」とは,「自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価したりしてしまう人の特性」のことを言う。片田教授によれば,津波の危険地域に住んでいても,しばらく津波がなかったり,「津波警報」が出ても実際に津波が来なかったりすると,人は次に津波警報が出ても「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」と思って,避難しなくなってしまうという。 それでも片田教授は,津波や土砂
19歳、最後の記事です。 きっと誰にでもある、 でもなかなか思い出せない種類の、小さなエピソード 10年くらい前、僕が小学生5年生か6年生のときですが、当時まわりで流行っていた遊戯王カードを十数枚ほどランダムに寄せ集めて封をしたオリジナルパックを、近所や学校の友だちに200円か300円で売っていました。レアカードも入れてほぼ均等に妥当なレートになるよう商品設計を心がけていましたが、たまに大当たり(紙切れ1枚で例えば3000円のレアリティがあるものも結構多く存在します)が出るので、商品としてけっこう魅力のあるものでした。今思えば、すでにあるものを再編成して付加価値をつけて売るという、僕の人生初めてのビジネスでした。小学校の卒業文集では、学年で一番足が速くてスポーツ万能な親友が「プロ野球選手になって1億円で契約する」と書いていた夢のとなりに、僕は「年商5億の会社をつくる」と書いていました。正直
これはちょっと自慢ですが、僕はある分野でかつて神童と謳われてた事がありまして。今は凡人ですが。へへ。 で、僕はその過去の栄光のおかげで、特別才能のある子供達の英才教育現場に従事してきたのだけれども、そこで天才と呼ばれる彼らを見続けて、彼らが(そして思い返せば僕も)必ずと言って良いほど通過する心理的な難所に気がついたので書いておくことにします。ほんとに単純なことだけど。 彼らは成長の過程でまず、自分の中の万能感を認め、飼い慣らさなければならない。それまでの小さなコミュニティでは自分の優位性を再認識し、その存在を確立する手助けをしていた万能感が、渡航や進学で大きなステージに出たとたんに鈍重な重荷になる。万能感の根拠が相対的なものでしかなかったことに気がつくわけですね。 ある種の天才児達はここを乗り越えることが出来ない。万能感を適切な形に処理できないまま現在の自分とのギャップに苦しんで潰れてしま
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