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これはすごいと3.11に関するmyrmecoleonのブックマーク (4)

  • 東日本大震災:泥まみれ資料救おう 岩手の図書館所蔵、電子データ化--山梨のNPO - 毎日jp(毎日新聞)

    津波被害に遭った岩手県の陸前高田市立、大槌町立の2図書館が所蔵していた郷土資料を電子データ化して保存する取り組みを山梨県笛吹市のNPO法人「地域資料デジタル化研究会」がボランティアで始めた。泥まみれの資料を一枚一枚スキャナーで読み取り、ハードディスクに保存して来年3月末までに被災地に届ける予定だ。【曹美河】 同NPOは歴史文化をデジタル化して後世に残そうと99年に結成された。現在メンバーは司書、会社経営者、主婦ら約30人で、山梨県を中心に図書館の資料を電子データ化し、閲覧や保存をしやすくする活動をしている。 理事長の小林是綱(ぜこう)さん(67)は司書や館長として約40年間、図書館に勤務し、09年4月から今年3月末まで、岩手県立図書館の指定管理者総括責任者だった。震災直後は、被災地の沿岸部の図書館を歩いた。特に2図書館は津波で建物内部が壊滅し、多くの蔵書が流失していた。半世紀前の議会議事

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    myrmecoleon 2011/10/05
    そうか,是綱さんつながりか。素晴らしい試み。
  • Twitterブログ: 東日本大地震における地球規模の情報の流れ

    大きなイベントがあると、人は Twitter を使って友達や家族、世界中のフォロワーにニュースや自分の考えを共有するようになりました。そして、ある場所から発せられた情報がリツイートや返信、ダイレクトメッセージを通じて瞬く間に世界中に拡散します。この現象は、ワールドカップなどのスポーツイベントからテレビで幅広く報道されるようなロイヤルウェディングまで、様々なイベントにおいて見られました。また、今年の3月11日に発生した東日大地震のような大規模災害に直面した際にも見られました。特に東日大地震では、地震とその直後の津波の際に合計5回に渡って5,000 TPS (秒間ツイート) を超えたことが確認されています。下記のビデオは、東日大地震において、世界中の Twitter での情報の流れを示しています。 パーソナルメッセージ 地震直後、友達や家族の安否を確認するための日国内から発信されるツイ

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    myrmecoleon 2011/06/30
    3.11のときの国内-外のツイート・リツイートの流れを可視化。面白い。
  • 今こそIT・ネットの出番:地震、その時Googleは 「1秒でも惜しい」と怒涛の開発、海外にもバトンつないで - ITmedia ニュース

    3月11日金曜日。東日大震災の直後から、六木ヒルズ(東京都港区)26階にあるGoogle法人のオフィスの一角に、技術者など十数人のスタッフが集まっていた。小さなこたつ机を囲み、ひざを突き合わせる。「われわれに何ができるのか」――真剣な議論と開発の日々が始まっていた。 「いかに早くリリースするか」 オフィスを小走りで移動、リポDの山も こたつ机を囲んだメンバーの1人が牧田信弘プロダクトマネージャーだ。普段はモバイル向けGoogleマップを担当しているが、地震後はすぐに米国オフィスと連絡を取った同僚とともに、人の消息情報を登録・検索できる「Person Finder」の準備に取り掛かった。 Person Finderは、昨年1月のハイチ地震の際にGoogleが公開したシステム。昨年2月のチリ地震や今年2月のニュージーランド地震でも利用されている。牧田さんらはPerson Finderの

    今こそIT・ネットの出番:地震、その時Googleは 「1秒でも惜しい」と怒涛の開発、海外にもバトンつないで - ITmedia ニュース
    myrmecoleon
    myrmecoleon 2011/04/07
    「我々のミッションは、情報を整理していかに早く見やすく届けるかということに尽きる」ある意味,Googleがやったことは「震災時に図書館は何ができるのか」のひとつの解だったのかな,と思える。
  • 伊藤園 震災後3日で被災地に60万本飲料水提供できた理由(NEWSポストセブン) - エキサイトニュース

    3月11日に発生した東北関東大震災。ボランティアが震災直後の被災地にはいったとき、避難所で見たのは、積み上げられた伊藤園の飲み物ケースだったという。 伊藤園では、震災後わずか3日間の間に、被災した岩手、宮城、福島各県にお茶やミネラルウオーターなど60万を提供。そのスピードはどこよりも圧倒的に早かった。 同社広報部の担当者は語る。「被災地にある営業所だけでなく、東北地方の営業拠点から可能な限り支援物資を提供しました。すべて各営業所が独自に判断して、飲料を配布して回りました。とにかく非常事態なので飲み物の種類を限定せず、倉庫にあるものをどんどん支援物資として運び出しました」 その後、交通事情がある程度整ってからは社からも追加支援。これまでにトータルで100万を超える飲料を提供したという。それにしても、営業所、場合によっては社員ひとりひとりが判断して行っていたというのは驚きだ。そこには、全

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2011/04/04
    「工場や倉庫にある飲料水は、販売物というだけでなく、非常時には救援物資に変わるものという認識でいます」「今回の震災での対応は当然のことであって、ボランティアとは考えておりません」
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