つるま @clane_2015 近畿のとあるお寺に残された写真です。この観音像が撮影された場所、年代を探しています。 これだけ巨大な観音像なのに、日本のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです。年代は昭和初期〜20年代と推定されます。 仏像、着物、植物、建築などのマニアの方のご意見、情報お待ちしてます。 pic.twitter.com/kdhfyDWa43 2017-12-01 11:29:34
インターネット情報によると、現地の新聞に掲載された記事や創造論者による図書に記述があるようだが、所蔵資料では、発言したことを確認できる資料は見つからなかった。 関連する記述のあった次の資料を紹介する。 ※「」内は引用 ①『チャールズ・ダーウィン生涯・学説・その影響(朝日選書 571)』(ピーター・J.ボウラー著 朝日新聞社 1997) p262「ダーウィンは死期が近くなってきても、それまでより宗教的になったわけではなく、根本主義の宗教思想家(ファンダメンタリスト)の一部が言っているような、ダーウィンは死の床で改心したというような話を支持する証拠は何もない。」 ②『ダーウィン:世界を揺るがした進化の革命(オックスフォード科学の肖像)』(レベッカ・ステフォフ著 大月書店 2007) p126(ダーウィンの死後)「ダーウィンが臨終の床で進化論を捨て、自分はキリスト教徒だと宣言したという噂が広まり
1 新編 仏像図鑑 186.8/シ p.269~:各羅漢図に関する解説と図画はあるが、配置順は記載なし。 2 総合仏教大辞典(上) 180.3/ソ p658 1以上の結果は得られず。ただし、日本の清涼寺に、国宝の仏画があるという記載はあり。 3 国宝大事典(1) 絵画 709.1/コ p.130~ 東京国立博物館および、清涼寺所蔵の仏画の掲載あり。ただし、これは、各羅漢が活躍する場面のもので、全羅漢が集合したものではない。配置順はわからなかったが、各羅漢には、番号付けされていることが、解説文p132~133より分かった。 「十六羅漢に対する信仰は、唐時代に玄奘が『法住記』を漢訳して後に盛んになり、それを描くことは唐時代に始まった。(中略)『法住記』が説く十六羅漢は、~」とあり、以下をまとめると、下記のとおり。 第一尊者=賓度羅跋囉惰闍尊者(ひんとばらだじゃそんじゃ) 第二尊者=迦諾迦伐蹉尊
NDC その他の東洋の諸言語 (829 9版) 参考資料 【資料1】 梵字大鑑 / 種智院大学密教学会∥編 / 名著普及会 , 1983 /8298/33/1 【資料2】 梵字悉曇 : 慈雲流の意義と実習 / 静慈円∥著 / 朱鷺書房 , 1997.11 /8298/3037/97 【資料3】 密教大辞典 第1巻 ア-ケ / 密教辞典編纂会∥編 . 改訂増補版 密教大辞典再刊委員会(種智院大学密教学会内)増訂 / 法蔵館 , 1968 R/1885/M474/M2-1 キーワード 照会先 寄与者 備考 調査種別 事実調査 内容種別 質問者区分 登録番号 1000034229 転記用URL https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000034229 コピーしました。
「鶴岡八幡宮寺修法」とは史料の名前ではなく、鶴岡八幡宮で行われた行事のことである。 『鶴岡社務記録』(鶴岡叢書第2輯 鶴岡八幡宮社務所発行 1978年)の元亨元年(1321)の部分に記述があり、これを提供。 まず、この史料の活字本が存在するかどうか、活字本がないとすれば、どこで原本等を所蔵しているのかなどを調べるため、『国書総目録』『古典籍総合目録』(岩波書店)にあたったが、どちらの本にもこの史料についての記載がなかった。そこで、修法とは何か『日本国語大辞典』(小学館)で調べたところ、「しゅほう…仏語。密教で、国家または個人のために、災をはらって福を祈り、あるいは怨敵降伏などのために行なう加持祈祷の作法」とあった。 このことから、「鶴岡八幡宮寺修法」とは史料名ではなく、鶴岡八幡宮で行われた行事のようなものであると考え、『鶴岡社務記録』(鶴岡叢書第2輯 鶴岡八幡宮社務所発行 1978年)を見
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