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訃報とideaに関するmyrmecoleonのブックマーク (2)

  • 訃報:川喜田二郎さん89歳=「KJ法」の考案者 - 毎日jp(毎日新聞)

    ネパールでの学術探検や知的発想法「KJ法」の考案者として知られる文化人類学者で東京工大名誉教授の川喜田二郎(かわきた・じろう)さんが8日、肺炎のため亡くなった。89歳だった。葬儀は近親者のみで行い、お別れの会を後日開く。喪主は喜美子(きみこ)さん。 三重県出身。旧制三高、京大時代、今西錦司らの下で山岳部に所属し、調査探検にかかわる。東京工大や筑波大で教授を歴任した一方、日ネパール協会会長なども務めた。84年には、ネパールの山村での生活改善運動の功績で、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞。 カードで情報を整理する「KJ法」は広く普及した。著書に「鳥葬の国」「ネパール王国探検記」「発想法」など。

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2009/07/09
    KJ法の作者さん亡くなったのか。文化人類学だったのね。南無。
  • 黒川紀章さん追悼 建築家・磯崎新 日本初のメディア型建築家 (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    黒川紀章の栄誉や業績はすでにメディアに報道されているので、ここでは私の個人的な想(おも)いだけについて語りたい。 半世紀昔、私たちは丹下健三チームのスタッフとして東京を湾上に伸展させる構想作りに従事した。これは20世紀最後のユートピア計画であった。もちろん東京はびくともしない。私たちは挫折覚悟でプロジェクトをつくる意義を学んだ。 あのころ、岡太郎と丹下健三が近代芸術におけるアバンギャルドを体現していた。私たちは彼らの手伝いをし、影響を受けた。エポックメーキングだったと称された大阪万博に参加した。近代のユートピアがここで具現化したのだった。ユートピアを目指すアバンギャルドが、それ故に役割をおえた。歴史の皮肉である。 建築家として自立する時期にあった私たちは、あらためて態度選択を迫られた。私は建築を建築として思考する道を選んだ。建築を批判的にデザインする。一方、黒川紀章はメディアの中で行動す

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2007/10/17
    「悲観することはない。いいアイデアさえ残れば、自らの手を超えても誰かが実現する」「アイデアはひとり歩きをする」これはいい言葉。
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