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3.11とreportに関するmyrmecoleonのブックマーク (8)

  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
    myrmecoleon
    myrmecoleon 2015/03/12
    「家内は山形大に勤めていて、翌日(12日)の入試で山形に行っていたから無事です。」震災の翌日,当時の職場(山形大)行って「まさか入試したりしないよね?」「ですよねー」みたいな会話したの思い出した。
  • 実測データ収集へのこだわりで、被曝水準の低さが裏付けられる - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    デニス・ノーミル(Dennis Normile) 原文:Insistence on Gathering Real Data Confirms Low Radiation Exposures (Science 10 May 2013: Vol. 340 no. 6133 pp. 678-679) (翻訳 山形浩生) 東京: 2011年3月、福島第 1 原子力発電所での惨事が展開する中で、早野龍五は放射性物質の放出についてツイッター投稿を始めた。この東京大学素粒子物理学者は、次第に地域住民の被曝をめぐる論争にますます深く引きずり込まれるようになっていったのだった。当局がきちんとした事実を提供していないことに失望した早野は、学校給の放射性セシウム検査を始めた。これは福島周辺の環境で最も量の多い放射性核種だ。そして、汚染物をべることで地元住民がどれだけ放射性核種を吸収しているか計測しようとし

    実測データ収集へのこだわりで、被曝水準の低さが裏付けられる - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 対談記録『空から見た被災地、陸から見た被災地。私たちが見た東日本大震災』 - 日本ユニバ震災対策チーム 事務局活動報告

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2012/07/02
    「自分たちは正しい情報を運べばよかったんです。物を持っていく必要はなかったんです」「これはないのか、あれはないのか…そういう判断は、現地の人が見極めてやっていければいいのかなと思いました」
  • 避難より議論だった40分…犠牲者多数の大川小 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災で全校児童の約7割にあたる74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市立大川小学校で、地震発生から児童らが津波にのまれるまでの詳細な状況が13日、市教委や助かった児童の保護者らへの取材で明らかになった。 学校側が、具体的な避難場所を決めていなかったことや、教諭らの危機意識の薄さから避難が遅れ、さらに避難先の判断も誤るなど、様々な〈ミスの連鎖〉が悲劇を招いた。 市教委の調査などによると、3月11日午後2時46分の地震発生時は、児童は下校中か、「帰りの会」の途中だった。校舎内の児童は教師の指示で校庭に集合し、学年ごとに整列した。下校中の児童もほとんどが学校に戻った。 午後3時頃、点呼を終えると、教頭と数人の教諭が桜の木の下で、「山へ逃げるか」「この揺れでは木が倒れるので駄目だ」などと話し合っていた。学校の津波の際の避難マニュアルは避難場所について「高台」としていただけで、具体的な場所

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    myrmecoleon 2011/06/13
    「「死んでたまるか」と口にする男子児童」ただただ悲しい。
  • 国際放射線防護委員レポート111号(ICRP111) | team nakagawa

    2008年にまとめられた「国際放射線防護委員会」レポート111号「原子力事故もしくは緊急放射線被ばく後の長期汚染地域住民の防護に関する委員勧告」(注1)が、2011年4月4日付けで特別無償配布されています。 注1: ICRP Publication 111, Application of the Commission's Recommendations to the Protection of People Living in Long-term Contaminated Areas after a Nuclear Accident or a Radiation Emergency. http://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP%20Publication%20111 このレポートは、適応される状況が異なる「緊急時被ばく状況における放射線防護に関す

    国際放射線防護委員レポート111号(ICRP111) | team nakagawa
  • あの時起こったこと...震災時に「使えた」のは

    あの時起こったこと...震災時に「使えた」のは 震災から一週間が過ぎ去ろうとしています。 未曾有の大災害に見舞われた方には心からお悔やみと応援の言葉を贈らせていただきます。頑張れなんていいません。生き延びてください...そして後日互いに笑い合えるようになれればと思っています。 さて、東京でも強い地震が訪れました。私はシステム部署の事務所内にいたのですが、最初の揺れの時はたいしたことがないだろうと思っていました。ところがその後すぐ「縦」に建物が揺れた感覚がありまして... こいつはずい!と思って瞬間同僚の...開発では私のリーダーにあたる方がとっさに非常階段のドアを開けに走りました。私もその後に続きましたが...ドアを開けた瞬間強い揺れとともにドアの外のビルが大きく揺れているの見えて。 「これはやばい!」 その時背後をインフラ関係での私のリーダー担当の方がサーバールームに向かって走っています

    あの時起こったこと...震災時に「使えた」のは
    myrmecoleon
    myrmecoleon 2011/04/13
    「サーバーラックとチークダンスを踊る数組の男達がそこにいました。」
  • けーわい神の降臨場涙が止まらない。

  • ど〜でもい〜日記 : 南相馬市の実情

    2011年03月21日23:45 カテゴリ 南相馬市の実情 いろいろなご批判やご意見もあるかと思いますが... 3/21、南相馬市にある避難所(原町第一小学校)に、わずかではありますが品や飲料の支援物資を自主的に届けてきました。 福島第一原発から半径30km内の自主避難区域(屋内退避)のエリアにある南相馬市の病院や避難所には、放射能汚染を恐れて物資が搬入されてこないという情報を聞き、前日深夜に神奈川の実家のプリウスで出発しました。 (燃費がいいので向こうで給油しなくても帰って来れる) 原発の30kmラインギリギリを走りながら、昼12時頃南相馬市に着きました。 すでに70〜80%の住民が避難している町に人の気配は無いのですが、電気、水道、ガスのライフラインは復旧しているので、信号機だけが律儀に点灯しています。 小学校の校庭に満杯の自家用車が停まっていましたが、体育館には20〜3

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2011/03/22
    「避難した人が泣く泣く放して行ったペットの犬たちが空腹のためか凶暴化」「ガソリンさえ届けば」
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