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communicationとparadoxに関するmyrmecoleonのブックマーク (3)

  • 論文15 メタコミュニケーションのパラドクス(1)

    メタコミュニケーションのパラドクス  (1)    (『大阪樟蔭女子大学論集』第30号、1993年3月発行) 入江幸男 コミュニケーションを行うとき、それをうまくするために、コミュニケーション自体についてコミュニケーションを行うことは、我々が日常生活の中でもしばしば気づいていることである。このコミュニケーションについてのコミュニケーションを、メタコミュニケーションと呼ぶことがある。小論では、まずメタコミュニケーションとは何かを検討し、次にメタコミュニケーションに特有のパラドクスを分析して、最後にそれらのパラドクスがコミュニケーションの成立にとって重要な働きをしていることを指摘したい。 第1章 メタコミュニケーションとは何か。 第1節 メタコミュニケーションの広がりと重要性 我々がコミュニケーションを行うときには、コミュニケーションの進め方についての合意がなければうまくゆかないし、

  • そろそろディスコミュニケーションツールがほしい - 一本足の蛸

    インターネットを介したコミュニケーションツールは多数開発されているが、それに比べるとディスコミュニケーションツールのほうはまだほとんどない。いや、あるのかもしれないが実例を見たことがない。 ディスコミュニケーションツールなどいらないという人もいるかもしれない。確かに合理性だけ追求するなら、そんなものは不要だ。コミュニケーションをとりたくなければネットにアクセスしなければいいのだから。だが、人間はそんなに簡単な生き物ではない。 たとえば、壊れた扇風機は暑くないときに使えるし、穴のあいたコップは喉が渇いていないときに役立つ。同様に、誰とも繋がりたくないときのためのツールがほしくなることもあるのだ。 自分あてにしか送れない電子メール、書いた文字がすべて?に変換されるチャット、到達するのに125年かかるメッセンジャー、スワヒリ語のスパムコメントのみ受け付けるウェブログなど、そういったツールは技術

    そろそろディスコミュニケーションツールがほしい - 一本足の蛸
    myrmecoleon
    myrmecoleon 2007/07/16
    「壊れた扇風機は暑くないときに使えるし、穴のあいたコップは喉が渇いていないときに役立つ」
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    myrmecoleon
    myrmecoleon 2007/01/08
    定義という行為に関わる矛盾。定義せねば議論できない。定義したらもはや当初したかった議論はできない。/でも定義できなくても,どこかつながってるという認識をもち,会話できるということが素晴らしい。
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