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editとdictionaryに関するmyrmecoleonのブックマーク (2)

  • 電子リテラシー入門 (HitoshiYamada) | 版元ドットコム

    編集者K氏の死を悼み、電子データのリテラシーについて考える 先月、これまで長年にわたり(個人的な部分も含め)お世話になって来た編集者K氏の通夜に参列した。彼は業界では有名な編集者で、屈指のデータ処理を誇り、日の辞書産業を支えてきた編プロの代表的人物であった。 私個人としては、編プロ時代からお世話になっていたし、現在の会社に移ってからも、というより移ってからのほうが何かとお世話になることが多かった。編プロ時代は、彼の会社の下請けとして、データ処理のお手伝いをしたこともあったし、データの処理をお願いすることもあった。例えばだが、複数の辞書データを組み合わせて一つの辞書用の下データを作ったり(これは言ってはいけないことか…)、一行の例文を複数個の問題に分岐させるプログラムを開発したりと、いろいろなことに挑戦させてもらっていた。 当時、それは特別な体験だった。これからはデータの2次利用、3次利用

    myrmecoleon
    myrmecoleon 2008/07/31
    「データの2次利用、3次利用が書籍作りを変えていく」「辞書は時間をかけて作るものではない」「データの重さをどう考えるべきか」辞書の電子データ化のもたらした影響をどう評価し,どうしていくべきか。その葛藤
  • Wikipediaって - 神話に生き、幻想に死ぬ

    Wikipediaには色んな批判がある。たとえば内容のレベルが低いとか間違いが多いとか言うが、質に文句を言うなら自分で書き直せばいい。私はもう少し違ったところで違和感を覚える*1。 Wikipediaを書いている人の大半はたぶん事典を読んだことがない人なのだろう。 たとえば直近だとこーゆー編集の仕方がWikipediaではよいことと思われているようだが、この人、百科事典の記述とレジュメを混同してません? こんなんじゃ情報が有機的につながってこない。こういう編集はよく行われているしこのような記事も多い。というかオタク系記事が基的にレジュメ的書き方なのだが、そういう記事が膨大になるにしたがって普通の記事もその書き方に影響を受け、オタク系記事批判によくある単なるデータベース化が普通の記事にまで侵してきているという構図が考えられなくはないか? そもそもこういう書き方はWikipediaには「中

    Wikipediaって - 神話に生き、幻想に死ぬ
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