「おかしいだろ、これ。」。平哲也会長が発表した会長コメントは、この一言だけ。「端的に思いを表して多くの人に伝えたい」と、約700字にわたる同会の抗議声明と同時に発表した。 声明では「立憲主義、民主主義を真っ向から否定する暴挙で、断じて許されない。法律の廃止、改正を求めていく」と強調。同会のホームページに掲載し、SNSで広がり始めている。 平会長は「世論の関心が高まったのはいいこと」と話す。今後はイベントなどを通じ、法律について広く知ってもらえるよう取り組んでいくという。(田中恭太)
今年度から始まった教員免許更新制で実施される教員向けの講習について、15日現在で39大学が計228の講習の開催を中止したことが文部科学省の調査でわかった。いずれも申し込みがゼロだったり、極端に少なかったりして、大学側が「経営効率が悪い」などと判断したという。受講できなくなった教員は401人おり、代替の講習を探さねばならなくなっている。 教員免許の更新は10年に1度義務づけられ、今後、全国で毎年約10万人の教員が対象になる予定だ。文科省は制度開始に当たって全国の大学にできるだけ多くの講習を開くよう協力を呼びかけてきた。しかし、各地の受講予定者数に対し、大学側がどれぐらいの講習の数を設けるのが適正か考えず、任せきりで十分に調整しなかったため、こうした状況を招いたとみられる。 文科省によると、教員免許更新の講習を開く大学は510。このうち、通信制を除くと、教員の新たな知識などを学ぶ「必修」科
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン はじめに 医療崩壊が叫ばれる昨今。これまでの日本の医療政策は、主に、厚生労働省と日本医師会の間の駆け引きを軸に決定されてきました。一方、医療を受ける国民は、その議論には十分に参加できず、蚊帳の外に置かれてきたのが現実です。 こうなってしまった最大の理由が、医師と、医療を受ける一般国民の“情報の非対称性”にあることは間違いありません。医療は細分化が進み、深い医学的知識と、積み重ねられてきた経験により提供されています。その結果、医師においても、専門分野外については詳しい知識を持っていないという例が珍しくありません。 私は、医療に関する知識が広く社会に浸透することが、医療崩壊を救う第一歩になると考えています。しかし、“情報の非対称性”が大きな壁とし
文部科学省は13日、博物館や美術館の学芸員と図書館司書の資格を得るために大学で必要な単位や科目数を増やす方針をまとめた。「得るのが簡単」との批判もある両資格について、専門性を高めるねらい。3月に省令を改正し、12年度から実施する。 学芸員資格は、現行の8科目12単位以上から、10科目19単位以上に増やす。より実践的な事柄を学んでもらおうと、「博物館資料保存論」や「博物館展示論」などを新たに必修にする。司書は、14科目20単位以上から、13科目24単位以上に。レファレンスサービスや課題解決支援サービスなど、図書館サービスの向上を担える人材育成を目指す。 地方や小規模な大学では教員が少ないところもあるため、施行までに3年間の準備期間をおく。教員が確保できない大学は、養成課程をなくす可能性もある。現在、大学で学芸員や司書資格を得る学生は、それぞれ年間約1万人とされる。(小川雪)
「骨太方針」に反映へ 舛添厚生労働相は17日の閣議後の記者会見で、社会問題化している医師不足の解消に向け、これまで抑制してきた医師数について、増加に転じさせる意向を表明した。閣議後に福田首相と懇談し、首相の了解を得たことも明らかにした。 医師数を巡っては、1982年に抑制の方針が閣議決定され、97年にも抑制継続の閣議決定が改めて行われており、一部の例外措置を除き、抑制方針が維持されてきた。舛添厚労相は「閣議決定を見直す方向で調整すべきだ」と述べ、今後、具体的な増員数や対策の詳細を詰めていく考えを明らかにした。 厚労省が近く発表する「安心と希望の医療確保ビジョン」に医師養成数の増加方針を盛り込み、6月末に閣議決定される「経済財政改革の基本方針(骨太の方針)2008」にも反映させていく方向だ。
報道によると、なんでも、こういう趣旨らしい。 「わが国の文明は世界に誇る和を成す文明で、何でも訴訟でやればいいというのは敵を作る文明だ」「そんな文明のまねをすれば、弁護士は多ければ多いほどいいという議論になるが、私はそれにくみさない」 (司法試験の合格者を年間3000人程度とする政府目標について)「多すぎる。質的低下を招く恐れがある」 よくわからん。そもそも裁判制度をきらいな人が法務大臣やってるってどうよ、というのはさておくとして。そもそも裁判以外のところでも法曹資格者が活躍していくような図式を狙ったんじゃなかったっけというあたりもさておくとして。そもそも何との比較で多すぎるといっているのかというあたりもさておくとして。そもそも何の根拠で「和を成す文明」と呼んでるのかというあたりもさておくとして。裁判以外のところでは人は争わないものだというお考えか?んなことはないよねぇ。ということは、裁判
この国は、絶賛稼動中のスパゲティコードのアプリケーションだ。データのかわりに国民がアプリの中をうろうろしてる。 法律は仕様書だ。政治家はそれを決める最上流のSEだ。公務員はそれを実装するプログラマだ。 そしてシステムは非常に大量のマシンを相互接続して作られていて、それぞれ○○県とか○○市とかの名前がつけられている。さらにそれぞれのサーバーにローカルルール・ローカル仕様(条例)があって担当のプログラマを苦しめる。 それぞれのマシンに専任のプログラマがいて、上流から降ってくる仕様書通りに実装しようと日夜あがいている。仕様書の量はまさに殺人的で、冗談抜きに人を撲殺する凶器に使える。それぞれの仕様書の間では互いに矛盾・対立する仕様があっても気づかないことが多く、実際にそれらを実装した時にどんなコンフリクトが発生するか、そしてそのコンフリクトをどう解決するかなんて誰にも判断ができることじゃない。それ
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