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史記と秦漢に関するnagaichiのブックマーク (9)

  • 記録へのこだわりと執念|ちくま新書|佐藤 信弥|webちくま

    2024年大河ドラマ『光る君へ』で、主人公のまひろ(紫式部)が学んでいた歴史書『史記』。その執筆にあたって、司馬遷はどのようなものを参照したのでしょうか。古代中国王朝の「記録」を出土文献に探り、歴史観の興りや歴史認識の変遷を読みとく『古代中国王朝史の誕生』冒頭を公開します。 中国古代の歴史書に関して、筆者には好きな話がひとつある。『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』の襄公(じょうこう)二十五年に見えるエピソードである。春秋時代、現在の山東(さんとう)半島に位置する斉(せい)の国に崔杼(さいちょ)という重臣がいた。この人が棠姜(とうきょう)という未亡人にひと目ぼれしてに迎えた。 ところが悪いことに斉の君主の荘公(そうこう)が以前からこの棠姜と私通していたのである。だから彼女が崔杼と再婚したあとも、荘公は崔杼の邸宅に通って関係を続けた。それだけでなく彼の冠を持ち出して人に与えて辱(はずかし

    記録へのこだわりと執念|ちくま新書|佐藤 信弥|webちくま
  • 『史記』に学ぶべき知識人の役割とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    Executive Summary 司馬遷『史記』に登場する焚書坑儒は、儒者どもが体制批判したせいだとされるが、実は穴に埋められた儒者たちにもそうされる十分な原因があったのかもしれない。かつて儒者を厚遇していた始皇帝だが、封禅の儀式のやりかたに結論を出せず、しかも後から揚げ足をとって悪口を述べた儒者の役立たずぶりに呆れた可能性がある。 これは二千年以上の時をこえた現代であっても、儒者=知識人の役割について何かしらの示唆を与えるものかもしれない。いやあ、古典って当にすばらしいですね。 落合『殷』を読んでちょっと興味が向いて『史記』を実際に読み始めておるですよ。 史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫) 作者:司馬 遷筑摩書房Amazon 一応歴史記録で話は淡々と進むし、紀ではなぜか各種エピソードが何度か繰り返されて、続きを読んでいるつもりが話が戻っていたりして面らうし、おもしろいからみん

    『史記』に学ぶべき知識人の役割とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    nagaichi
    nagaichi 2022/02/07
    「殷の紂帝」「周の武帝」「儒教的な徳を積んでいるかで決まる、という立場」ツッコミどころ満載な雑語りだなあ。
  • 霍光出現の予言 - てぃーえすのメモ帳

    褚先生曰・・・(中略)・・・黄帝終始傳曰『漢興百有餘年、有人不短不長、出白燕之郷、持天下之政、時有嬰兒主、欲行車。』 (『史記』巻十三、三代世表、) 前漢後半の頃の話では、「漢が興って百余年、燕の地出身の中肉中背の人が天下の政治権力を握り、その当時の幼い天子は車で行こうとする」という怪しい予言があったそうな。 褚先生(褚少孫)は霍光と昭帝のことだと解釈している。 実際には霍光が自分の権力の正当化の一環として流した噂、という感じもしないでもない。

    霍光出現の予言 - てぃーえすのメモ帳
  • 東武侯 - てぃーえすのメモ帳

    武帝少時、東武侯母常養帝、帝壮時、號之曰「大乳母」。率一月再朝。朝奏入、有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母、又奉飲糒飧養乳母。乳母上書曰「某所有公田、願得假倩之。」帝曰「乳母欲得之乎?」以賜乳母。乳母所言、未嘗不聽。有詔得令乳母乗車行馳道中。當此之時、公卿大臣皆敬重乳母。 (『史記』巻百二十六、滑稽列伝、褚先生補、郭舎人) 漢の武帝の乳母、東武侯の母は武帝に大変重んじられた。 公田を下賜されたとか、皇帝の専用道路を使う事を許されたとか、相当な特別待遇であったことが窺える。 ところでこの「東武侯」についてだが、『史記』高祖功臣侯者年表によれば「東武侯郭蒙」という者がいるが、彼の血統は郭蒙の子の郭他が呂后六年に継いで景帝六年に処刑されて途絶えたとされている。 『史記正義』などは「東武侯の母」が郭他の母だと考えているようだが、郭他の母ではどう若く考えても文帝の年代になってしまい、武帝即位後も健在で

    東武侯 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2012/08/13
    『史記索隠』では、「東武侯母」の「侯」を姓と取って、「東武(県)の侯母」と解釈しているようだけど。
  • 司馬遷を中心とした中国の史家話

    お菓子っ子 @sweets_street @Jiraygyo @bb_sabure @rudel101 後漢から、急に史書が奥歯に物が挟まったような表現しかしなくなるんですよね。前漢までのあっけらかんな表現と違ってて、こそこそやってるようで寂しいですよ(´・ω・`) 2012-07-25 16:54:34 地雷魚 @Jiraygyo 漢書と史記が出来が良すぎた(笑) RT @sweets_street: @bb_sabure @rudel101 後漢から、急に史書が奥歯に物が挟まったような表現しかしなくなるんですよね。前漢までのあっけらかんな表現と違ってて、こそこそやってるようで寂しいですよ(´・ω・`) 2012-07-25 17:03:19

    司馬遷を中心とした中国の史家話
    nagaichi
    nagaichi 2012/07/26
    若い頃にフィールド・ワークしてるのが司馬遷の強み。
  • 自由・恥辱・礼 - heuristic ways

    漢軍が滎陽(けいよう)で楚軍の包囲下に陥り苦境にあったとき、漢王(劉邦)は陳平を呼び、打開策を尋ねる。このときの陳平の答えが、実に遠慮のない、あけすけな、忌憚(きたん)ない物言いで、思わず笑ってしまう。*1 漢王は陳平を呼んだ。「この動乱は、いつになったら落ち着くのだろうか」「項王のもとには、慎み深くて部下思いの人柄を慕って、礼を好む廉節(れんせつ)の士が多く集まります。だが、その項王も論功行賞となると、出し惜しみがはげしく、ために士が離れていってしまう。大王の場合、傲慢不遜(ごうまんふそん)なお振舞が多く、廉節の士は集まりませんが、気前よく爵位や封邑(ほうゆう)をお与えになりますので、変わり者で利につられやすく恥知らずな連中が多く集まっております。両者の短所を去り、長所をあわせてこそ、天下はお指図のままに落ち着きましょうが、大王が相手かまわず人を侮(あなど)られるかぎり、廉節の士は集まっ

    nagaichi
    nagaichi 2010/07/28
    拱手の礼ってのがあるけど、右拳を左掌で抱え込んで、わたしは貴方に敵意を持ちませんよって表れだしね。
  • 中国史に関して(司馬遷に関して)

    当時の災異思想に関しての話だと思うのですが、 司馬遷の『史記』の中に、 当時続いていた異常気象に関して司馬遷が 「●●を釜茹でにしたらこの異常気象は治まる」 といった趣旨の記述をしていると聞いたか読むかした記憶があります。 記憶が曖昧で、 1.「●●」に該当する人物は誰か 2.この話の出典は『史記』のどこか(もしくは当に『史記』なのか) がはっきりと思い出せません。 ネットで調べてみてもそれらしい話は見当たらないのですが、 もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。 宜しくお願いします。

    中国史に関して(司馬遷に関して)
    nagaichi
    nagaichi 2010/03/15
    『史記』平準書第八「桑弘羊を釜茹での刑にすれば、雨が降るだろう」
  • 『漢書』の在庫切れ | 傳疑樓雜記

    知らなかった。『漢書』の文庫は在庫切れになっていたんだ。おなじ筑摩書房の文庫でも『史記』の方は在庫がまだあるらしいのに(紀は筑摩書房のサイトでは在庫切れのようだが)。いやはや、なんというか、ご愁傷様です。 中国では『漢書』と『史記』は併称され、どちらもよく読まれた書物なのだが、日ではなぜか『史記』の方が有名で、『史記』の方が断然おもしろいという人もいる。ということで、『漢書』の在庫がなくなるのもまたやむを得ぬところだろう。 かくいう私は『史記』よりも『漢書』の方が好きだったりする。もちろん『史記』も好きなことは好きだ。例えば紀の経書とだぶる部分とか、世家の一部(斉・魯などの聖賢の時代と関わる部分)、あるいは孔子世家と孔子弟子列伝などなど。ただし戦国期以降の『史記』は読む気にならない。『史記』には独特の土臭さがある。面白いと思える人はそこが面白いのだろうが、私はその土臭さがたまらなく

  • 本当は恐ろしい司馬遷 - てぃーえすのメモ帳

    『漢書』司馬遷伝のいわゆる「任少卿に報ずる書」について。 司馬遷の友人の任安(少卿)は、中書令という宦官の要職についた司馬遷に「古の賢臣の義」を責める書を送った。 ここでポイントが2点。 1つ。司馬遷の返答を見るに、任安は「不測の罪」により命さえどうなるかという状況であった。 もう1つ。任安はどうやら「推賢進士」について司馬遷に述べていたらしい。つまり、「古の賢臣の義」というのは「賢者を推薦すること」のようなのだ。 おそらくだが、「賢者」とは任安自身のことを指すのだろう。ぶっちゃけると命乞いである。 獄に下され処刑も迫った窮地にあって、 「皇帝の側近になった貴方から、賢者=自分を皇帝に推薦して助けてくれないか」 と任安は頼んだのであろう。 司馬遷はこう答える。 「俺が李陵を弁護したら獄に下された時、皇帝の側近の誰も俺を助けてくれなかったよね。それは少卿も自分で見てきたから知ってるよね」 任

    本当は恐ろしい司馬遷 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2009/02/28
    武田泰淳が読んでいて寒くなると書いた「任少卿に報ずる書」。
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