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宋に関するnagaichiのブックマーク (85)

  • 中国絵画風の街が広がる都市建設シム「Thriving City: Song」のアーリーアクセスが本日スタート

    中国絵画風の街が広がる都市建設シム「Thriving City: Song」のアーリーアクセスが日スタート ライター:蒼之スギウラ IndieArk Gamesは日(2023年4月21日),White Star Studioが手掛ける新作タイトル「Thriving City: Song」(原題,宋上繁华)のアーリーアクセスを,Steamで開始する。対応言語は英語中国語(簡体字)のみ。 作は,中国の宋王朝を舞台にした都市建設シミュレーションゲームだ。プレイヤーは都市整備を任された役人となって,民衆の生活を安定させつつ,都市を拡大していくことになる。 中国絵画のタッチを現代風にリファインしたアートスタイルが特徴で,キャラクターのイラストはもちろん,マップ上に配置される建物やアイコンにも手描き風のイラストが採用されている。公開中のスクリーンショットでは,1枚のイラストにように違和感なく広

    中国絵画風の街が広がる都市建設シム「Thriving City: Song」のアーリーアクセスが本日スタート
    nagaichi
    nagaichi 2023/07/11
    「清明上河図」の世界がゲームになったというとこか。
  • 中国で毎夜後宮で30人以上とスケベした皇帝がいて、それは無理だろうと思ったら別の意味で無理だった話

    リンク Wikipedia 度宗 度宗(たくそう)は、南宋の第6代皇帝。 嘉熙4年(1240年)、理宗の弟である栄王趙与芮の子として紹興で生まれる。理宗には嗣子が無く、幼少より節度がある言動が認められ、景定元年(1260年)6月に皇太子に立てられた。朱子学に傾倒していた理宗は後継者の養育に格別の気を配り、度宗自身も厳格な儒教的教育を受けた。景定5年(1264年)10月、理宗の崩御により第6代皇帝として即位する。 即位後の実権は理宗の治世からの外戚である丞相賈似道が掌握しており、度宗も年齢が若かったこともあり賈似道の専横を抑えられなかった。 嘉熙4年(1240年)、理宗の弟である栄王趙与芮の子として紹興で生まれる。理宗には嗣子が無く、幼少より節度がある言動が認められ、景定元年(1260年)6月に皇太子に立てられた。朱子学に傾倒していた理宗は後継者の養育に格別の気を配り、度宗自身も厳格な儒教的

    中国で毎夜後宮で30人以上とスケベした皇帝がいて、それは無理だろうと思ったら別の意味で無理だった話
    nagaichi
    nagaichi 2023/05/23
  • 800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々

    海底に眠る引き揚げ前の「南海1号」。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG) 1987年、英国の調査チームが中国側の当局と協力して、南シナ海で18世紀に沈没したオランダ東インド会社の船を探していた。ところが、チームが発見したのは、香港と広東省海陵島の間の海底に眠る全長約30メートルの「ジャンク船(中国の帆船)」で、12世紀の南宋時代の貿易船だった。 1127年、華北の支配権を失った宋は南に退き、皇帝は臨安(現在の杭州)に新しく首都を定めて南宋を興した。南宋は安定し、隆盛を極めた。

    800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々
  • 宋元時代にゴルフが流行? 河南省で「捶丸」の球を大量に発見

    平頂山学院で見つかった陶磁球(組み合わせ写真、2021年12月27日撮影)。(c)Xinhua News 【2月1日 Xinhua News】中国河南省(Henan)平頂山市(Pingdingshan)の大学、平頂山学院の陶磁工芸技術陳列館でこのほど行われた所蔵陶磁器標の整理作業で、陶器と磁器の球が大量に見つかった。成形の型や焼成中にくっついてしまった数十点の半製品もあり、専門家はこれらが中国古代の球技「捶丸(すいがん)」で使われたものと判断した。 捶丸の起源は唐代の「歩打球」にあり、宋代から金元代にかけて流行した。杖で球を打ち、穴に入れるルールが現代のゴルフによく似ている。 今回見つかった陶磁球は、大小さまざまだが多くは直径5センチほどで、材質は陶器と磁器に分かれる。球体は中実(中身が詰まった状態)で、しっかりと焼成されているが跳力を持つ。一部の表面には絵画や丸文、花卉文、渦巻文などの

    宋元時代にゴルフが流行? 河南省で「捶丸」の球を大量に発見
    nagaichi
    nagaichi 2022/02/02
    やっぱ男塾の民明書房や呉竜府ネタに汚染されるのか。「捶丸,古戰國遺策,至宋徽宗金章宗皆愛捶丸」というやつな。
  • 宋代から清代にかけての杜甫の注釈について  - 松斎録

  • 蘇東坡の旧居跡から宋代以降の遺構 500点以上の遺物が出土 | 新華社通信

  • 成都の東華門遺跡、唐代の御苑「摩訶池」の調査進む 四川省

    【7月26日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)で22日、成都都市考古学研究会が開かれ、市の中心部で近年調査が進む東華門遺跡のこれまでの発掘成果や最新の調査状況が紹介された。 遺跡では、秦代から魏晋南北朝時代の「成都大城」居住区、隋・唐時代から宋代の「摩訶(まか)池」池苑園林区、明代の「蜀王府」宮殿建築群など戦国時代から明代にかけての遺構が多数見つかっている。 東華門遺跡の考古発掘チームの責任者、易立(Yi Li)氏は、成都市文物考古作業チームが2013年から2019年にかけて同遺跡の発掘調査を行い、青羊区の東華門街から体育センターに至る広いエリアで都市遺構を発見したと説明した。 摩訶池は、隋代(6世紀末~7世紀初め)に建設が始まり、約600年後の宋代に至るまで整備が続けられた。唐代には皇室所有の「皇家園林」とされ、詩人の杜甫(Du Fu)も訪れた

    成都の東華門遺跡、唐代の御苑「摩訶池」の調査進む 四川省
  • 寺院で晩唐期の大規模な陶器堆積を発見 広州

    広州大仏寺南院プロジェクト建設現場の発掘調査で見つかった晚唐期の大規模な陶器の堆積。広州市文物考古研究院提供(2019年6月17日撮影)。(c)Xinhua News 【7月5日 Xinhua News】中国広東省(Guangdong)広州市(Guangzhou)の文物考古研究院は6月29日、市内の大仏寺南院プロジェクト建設地で緊急性の考古学調査と発掘を実施したことを明らかにした。唐や五代、宋、明、清各時期の文化遺構が見つかり、晩唐や五代、宋代の多くの遺物が出土した。 考古スタッフによると、今回の調査発掘での最も重要な発見は、晚唐期の大規模な陶器の堆積と五代南漢期の大規模なレンガ敷き地面だという。 晚唐期の陶器の堆積は不規則な灰坑(かいこう)状の遺構で見つかった。坑内には大量の陶器と施釉陶器が集中して埋まっており、壜(たん、液体を入れるつぼ)や罐(かん、広口のつぼ)、椀(わん)、執壺(しっ

    寺院で晩唐期の大規模な陶器堆積を発見 広州
  • 話題の東博「顔真卿展」でメディアが報じない名画・五馬図巻の「奇跡の発見」

    1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。 現在東京国立博物館で開催中の特別展「顔真卿(がんしんけい) 王羲之

    話題の東博「顔真卿展」でメディアが報じない名画・五馬図巻の「奇跡の発見」
  • 中国、西暦1076年に大津波被災か 将来の襲来リスク指摘する声も

    太平洋で発生した高波(2017年10月28日撮影、資料写真)。(c)Brian Bielmann / AFP 【1月4日 AFP】西暦1076年に中国南岸を大津波が襲い、「劇的な文化衰退」をもたらしたとする論文が科学誌「科学通報(Chinese Science Bulletin)」の今月号に掲載された。大津波はマニラ海溝(Manila Trench)での地震が原因で発生し、現在の広東(Guangdong)省に当たる地域に到達したとみられ、科学的な証拠も多数存在するという。 論文の執筆に当たったのは中国科学技術大学(University of Science and Technology of China)と華東師範大学(East China Normal University)の研究者らで、将来の津波襲来への対策を急ぐよう警鐘を鳴らしている。 研究チームは2013年、南シナ海の中央部に位置

    中国、西暦1076年に大津波被災か 将来の襲来リスク指摘する声も
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    nagaichi 2019/01/05
    AFPには「宋」は難しかったか。 https://tech.sina.com.cn/roll/2018-12-31/doc-ihqhqcis1888246.shtml 伝世文献的には『宋史』五行志一上の「(熙寧九年)十月,海陽、潮陽二縣海潮溢」が根拠かな。
  • 宋時代の僧侶ミイラ像、返還求める中国の村人の訴え却下 オランダ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

    中国・上海の寺院で祈祷する仏僧(2017年9月5日撮影、資料写真)(c)CHANDAN KHANNA / AFP 【12月13日 AFP】オランダ人収集家が香港で購入した約1000年前の僧侶ミイラ像(加漆肉身像)について、中国の村の住民らが盗品だとして返還を求めていた訴訟で、オランダ・アムステルダム(Amsterdam)の裁判所は12日、住民らの訴えを却下した。 問題の仏像は宋王朝時代の等身大の仏座像。中国東部、楊春(Yangchun)の村人たちによると、何世紀も前から村であがめられてきたが、1995年に村の寺院からこつぜんと消えた。 仏像はその後20年あまり行方不明だったが、2015年にハンガリーの首都ブダペストにあるハンガリー自然史博物館(Hungarian Natural History Museum)で開催された「ミイラの世界展(Mummy World Exhibition)」の展

    宋時代の僧侶ミイラ像、返還求める中国の村人の訴え却下 オランダ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
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    nagaichi 2018/12/13
    1995年に福建省三明市大田県陽春村で盗難に遭った「章公祖師肉身座仏像」について、陽春村委がアムステルダムの法廷に訴えたところ却下されたと。 https://baijiahao.baidu.com/s?id=1619655678362307261
  • 宋代の文学者、蘇軾の真跡が香港で公開 日本で発見、推定56億円

    【9月4日 CNS】中国宋代の文学者の蘇軾(Su Shi)直筆の作品「木石図」が8月30日、香港の競売大手クリスティーズ(Christie's)で公開された。 この作品は日に流出していたが、クリスティーズの専門家が2018年に偶然に日で発見。鑑定の結果、蘇軾人によるものと認定された。その価値は、約4億香港ドル(約56億円)になるとみられている。(c)CNS/JCM/AFPBB News

    宋代の文学者、蘇軾の真跡が香港で公開 日本で発見、推定56億円
  • 西夏の人々は宋の漢人のことを小虫って呼んでたよね?

    リンク Wikipedia 西夏文字 西夏文字(せいかもじ、英語:Tangut characters)は、西夏王朝(1032年~1227年)初代皇帝李元昊の時代に制定された、タングート人の言語である西夏語を表記するための文字。長らく未解読であったが、ロシアのニコライ・ネフスキーや日の西田龍雄によって、1960年代にほぼ解読がなされた。漢字と、それを作った漢族を強く意識して作成されており、中国人を意味する「漢人」に当たる文字は「小偏に虫」という差別的な構成で表記される。漢字検索、表記ソフトウェアの『今昔文字鏡』およびUnicodeに登録されて 13 デルロイ林道 @deruroirindou シュトヘルのモブキャラに「屈漢」って名前の人物が登場するんだけど、表意通り「漢を屈する」なのか、それとも何かあるのかなと思って調べrてたら、西夏文字の漢って「虫」と「小」から成る凄まじい構造だったんだ

    西夏の人々は宋の漢人のことを小虫って呼んでたよね?
    nagaichi
    nagaichi 2018/06/11
    「索虜」だ「島夷」だって時代もありましたし。
  • 【漢文超訳】襄陽守城録―最前線に着任したら敵軍にガチ包囲されたんだが―(馳月基矢) - カクヨム

    13世紀初頭、南宋。オレたちが国境の城塞を防衛した3ヶ月間の記録。 馳月基矢 オレは趙萬年《チョウ・バンネン》。 軍人やってる。 上司が京西南路の襄陽の守備に就くことになった。 いざ赴任してみりゃ、噂どおりマジで最前線だ。 敵軍との和平交渉はアッサリ決裂。 大河のほとりの水上交通の要衝・襄陽で、いたちごっこの籠城戦が始まった。 戦争って、何気に地道な土木工事ばっかだよな。 あと、敵軍から物資をかっぱらってきたりとか。 ―――――――――― 南宋代の開禧二年から三年にかけて、 西暦で言えば一二〇六年から一二〇七年にかけてのこと。 北方から攻め入った金軍が襄陽(湖北省襄陽市)を包囲した。 その際、襄陽で籠城した軍人の一人、趙萬年が記録を残している。 これは正史には載っていない戦場日記。 生の言葉で書かれた原文を活かして、超訳を試みる。 前近代風ファンタジーの戦場シーンを書く際、素材にし得るので

    【漢文超訳】襄陽守城録―最前線に着任したら敵軍にガチ包囲されたんだが―(馳月基矢) - カクヨム
  • 藤田美術館の中国画に49億円=30点超の美術出品-NY:時事ドットコム

    藤田美術館の中国画に49億円=30点超の美術出品-NY 中国の画家・陳容の絵巻「六龍図巻」(クリスティーズのホームページより) 【ニューヨーク時事】藤田美術館(大阪市)が所蔵する中国美術30点以上が15日、米ニューヨークで競売商クリスティーズのオークションに掛けられ、中国宋代の画家・陳容による絵巻「六龍図巻」(13世紀)が4350万ドル(約49億円)で落札された。  1954年開設の藤田美術館は明治時代の実業家、藤田伝三郎とその息子が収集した美術品を展示している。クリスティーズによると、美術館の改装や所蔵品の保全のため出品した。日の美術館がこれだけの数の所蔵品を海外のオークションに出品するのは珍しい。  六龍図巻は、龍や風景の水墨画などが約5メートルにわたり描かれた作品。清朝の乾隆帝のコレクションの一つで、美術商の山中商会経由で藤田に渡った。  このほか、殷・周時代の青銅器などが出品され

    藤田美術館の中国画に49億円=30点超の美術出品-NY:時事ドットコム
    nagaichi
    nagaichi 2017/03/17
    南宋の陳容の「六龍図」。乾隆の『石渠宝笈続編』の評も極めて高い一品。
  • 大阪市立東洋陶磁美術館『台北 國立故宮博物院 北宋汝窯青磁水仙盆』 - 日毎に敵と懶惰に戦う

    天王寺のお宿で6時半起床、7時にあさごはん。500円で出てくるにしては豪華すぎる朝飯 宿を出て、8時には仕事先へ。昼に客先に移動したんですが、昼休みの時間を利用して、大阪市立東洋陶磁美術館へ 『台北 國立故宮博物院 北宋汝窯青磁水仙盆』を見る。 現在の展覧会 | 展覧会情報 |大阪市立東洋陶磁美術館 この美術館は、大阪市立美術館と並んで大阪の誇りとなる素晴らしいコレクションを誇る美術館なわけですが、嘉義に國立故宮博物院の南院がオープンするにあたり、そのコレクションを結構貸し出していたわけですね。んで、その返礼として、『世界一のやきもの』青磁無紋水仙盆が貸し出されたと。 宋代に汝窯で作られた青磁無紋水仙盆は、ほんとうにキラキラ輝いていて、それでいて透き通るように青い空の色であり。貫入が無く、どこまでも滑らか。貫入はあるけれどさらに美しい空色で輝いているものなど、台北からいっぺんに貸し出された

    大阪市立東洋陶磁美術館『台北 國立故宮博物院 北宋汝窯青磁水仙盆』 - 日毎に敵と懶惰に戦う
  • REALKYOTO 大阪市立東洋陶磁美術館 特別展『台北 國立故宮博物院 - 北宋汝窯青磁水仙盆』展評 清水穣

    一般に陶磁器の研究には3つのアプローチがあるだろう。1)ある窯やある伝世品をめぐる関連文献を徹底的に調査する文献研究、2)その窯の窯址を発掘して、陶片や出土品、窯構造や窯道具などから時代考証を行う考古学的研究、3)伝世品、出土品や陶片といった物自体の物性を分析する物理学的研究である。 とはいえ、2)は、何しろ窯址の場所がすべて中華人民共和国という、(昔も今も)外国人が簡単にアクセスできる国ではないため捗らない。また宋代の信頼できる伝世品といえば重文、国宝級の古陶磁であるので、3)はほぼ不可能。畢竟、従来の研究は専ら1)と、戦前の萌芽的な2)と、あとは様々な伝世品をできる限り見て触って目を肥やすという「目利き」に頼ったものであった。青山二郎の放言によれば、中国陶磁は「見ればわかる、それだけのもの」であった。 宋代陶磁の研究は、80年代後半から中国の学者たちが2)の考古学的発掘を積極的かつ大々

    nagaichi
    nagaichi 2016/12/20
    「青山二郎の放言によれば、中国陶磁は『見ればわかる、それだけのもの』であった」「宋代陶磁の研究は、80年代後半から(中略)それまで謎だった窯址の場所が特定され、(中略)精密な発掘調査が行われた」
  • 浙江发现南宋赵匡胤七世孙墓 _光明日报 _光明网

    nagaichi
    nagaichi 2016/06/11
    浙江省台州市黄岩区で宋太祖趙匡胤の7世の孫である趙伯澐(1155-1216)の墓を発見。
  • 茶碗の中の宇宙 4個目の曜変天目茶碗!?

    中国浙江省杭州市で発見された曜変天目茶碗(写真1) 内側に宇宙を思わせる瑠璃色の文様が浮かぶ至高の茶器、曜変天目茶碗。世界に三つしか存在しないと言われる貴重な茶碗は全て日にあります。この茶碗の美しさに魅せられて以前に「国宝 曜変天目 茶碗の中の宇宙」の記事を書きました。 ところが最近もう一つの曜変天目茶碗があることを知りました。あとでこの4つ目の曜変天目茶碗の解説をいたします。 中国の南宋時代に焼かれた3つの曜変天目茶碗は全て国宝に指定されています。ここで簡単に3つの曜変天目茶碗のおさらいをしておきましょう。 静嘉堂文庫蔵 ★「原色日の美術」解説 曜変は『君台観左右帳記』に記すように、東山時代にはもっとも貴重な、最も高価な茶碗とされていた。その頃「日に十ばかりある」といわれたが、もと足利家に伝わったものは、織田信長が所持していたとき焼失してしまったので、稲葉家のこの天目が随一のもの

    茶碗の中の宇宙 4個目の曜変天目茶碗!?
    nagaichi
    nagaichi 2016/05/17
    やきものの中に宇宙を見るのが曜変天目。さて『君台観左右帳記』の画像に曹弗興・顧愷之・顧野王の名が見えるが、義政はそのあたりの絵画も持ってたのか?真作なら凄すぎるが。
  • 日本国宝“灰披天目”窑口考-中国社会科学网

    nagaichi
    nagaichi 2015/11/14
    灰披天目は宋元の婺州天目の黒釉茶碗とする考証。現在の浙江省金華市武義県抱弄口村の窯の産とな。