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六朝に関するnagaichiのブックマーク (87)

  • 習近平の歴史観が鮮明に-潘岳『東西文明比較互鑑-秦・南北朝時代編』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    『労働新聞』に月1回で寄稿している書評コラムですが、今回は潘岳『東西文明比較互鑑-秦・南北朝時代編』です。 https://www.rodo.co.jp/column/136494/ 潘岳という名前は、よほどの中国政治の専門家でないとあまり知られていないかも知れませんが、今年6月に国家民族事務委員会主任に就任したばかりの中国の少数民族政策の大元締めです。 コロナ禍の収まらぬ現代世界で、プーチンのロシアウクライナに侵攻し、習近平の中国はウイグルなど少数民族を抑圧し、香港を圧殺し、台湾を恫喝する。そうした帝国主義的行動の背後にどのような思想があるのか、いかなる歴史観に動かされているのか、隣国日の住人として関心を持たざるを得ない。ウクライナ民族の存在を否定し、大ロシア民族の裏切り者とみなすプーチン史観はまだ分かりやすい。しかし、声高に「中華民族」の統一を掲げる習近平史観は分かりにくい。 それ

    習近平の歴史観が鮮明に-潘岳『東西文明比較互鑑-秦・南北朝時代編』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    nagaichi
    nagaichi 2022/09/09
    会田大輔『南北朝時代』(中公新書)p.259「北朝・南朝を生きた人々は、激動の時代を生き抜くために試行錯誤を重ねていたのであり、当然のことながら隋・唐に制度を伝えるために生きていたわけではない」を引いとく。
  • 日本も中国も古代が熱い!(前編)/【鼎談】会田大輔・柿沼陽平・河上麻由子

    鼎談が行われたのは、コロナ第六波到来前の某日某所(都内)。写真左から柿沼さん、会田さん、河上さん。関西からzoomで参加した河上さん「私もそこに行きたかった!」 会田:出身大学は違いますが、2人とは同世代の友達で、ジャンルを超えて普段からやりとりをしています。 柿沼くんとは大学院生の頃からの付き合いです。研究分野を越えて同世代の若手研究者で手を結ぼうという企画を立てたりしてね(主に80年代生まれが集まった若手アジア史論壇:2012年~2016年)。 柿沼:そのあと、その主要メンバーとは毎年合宿をするようにもなったんだよね。 河上:私は日史出身ですが、柿沼くんとは2010年9月に襄樊市(現、襄陽市。中国湖北省)で開かれた中国三国歴史文化国際学術検討会で知り合ったんだよね。渡辺信一郎先生(元京都府立大学学長)が繋いでくださったんだっけ。 柿沼:渡邉先生、白いスーツでかっこよかったなあ。それか

    日本も中国も古代が熱い!(前編)/【鼎談】会田大輔・柿沼陽平・河上麻由子
  • 五行と国の別名

    史書では様々な国に対して言い換え(隠語?)が存在します。 『周書』巻二、文帝紀下 史臣曰:水曆將終,羣凶放命,或威權震主,或釁逆滔天。咸謂大寶可以力征,神物可以求得,莫不闚𨵦九鼎,睥睨兩宮,而誅夷繼及,亡不旋踵。是知巨君篡盜,終成建武之資;仲潁凶殘,實啟當塗之業。天命有底,庸可滔乎。 例えば、西魏の有力者にして北周の創業者である宇文泰の論賛で、「巨君」(王莽の字)から「建武」(後漢の光武帝)、「仲潁」(董卓の字)から「當塗」(曹魏)という流れが言及されており、曹魏が「当塗」と言い換えられています。 また、この論賛の冒頭の魏(北魏→西魏)の命脈が尽きる箇所で「水曆將終」と表現しています。 「水暦」は水徳の王朝の命脈を意味し、北魏(→西魏)は(最終的に)水徳の王朝だったので、このように水徳に関連した表現が見られます。 『隋書』巻五十七、薛道衡伝 煬帝嗣位,轉番州刺史。歲餘,上表求致仕。帝謂內

    五行と国の別名
  • 謎の大中正 - てぃーえすのメモ帳

    明帝好圍棊、置圍棊州邑、以建安王休仁為圍棊州都大中正、(王)諶與太子右率沈勃・尚書水部郎庾珪之・彭城丞王抗四人為小中正、朝請褚思莊・傅楚之為清定訪問。 (『南斉書』巻三十四、王諶伝) これ、「劉宋明帝は囲碁好きで、「囲碁州・邑」を置いて「囲碁州都大中正」や「囲碁小中正」を置いた」みたいな意味でいいんだろうか? 囲碁州ってなんやねん。囲碁が得意な人を九品中正の制度に照らして格付けしたみたいなこと? 今のところよくわからないので敢えて取り上げてみた。もし何かわかったらまた記事にする。

    謎の大中正 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2021/09/07
    「圍棊州」で切るのはマズいと思いますが、囲碁の才能で推挙させたんでしょうねえ……;;
  • 唐修『晋書』職官志の「位従公」について

  • 最古級の「論語」写本を発見 中国でも消失、古書店から:朝日新聞デジタル

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    最古級の「論語」写本を発見 中国でも消失、古書店から:朝日新聞デジタル
    nagaichi
    nagaichi 2020/09/26
    『論語義疏』はもとから全文判明してるんで、現存最古の写本が妙なとこから世に現れましたぜという話ではあるんだけど。
  • 成都で古代墓6千基余りが出土、年代幅は「四川の歴史の半分」

    【5月17日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)の成都文物考古研究院は14日、同市南部で戦国時代から明王朝時代にかけての墓葬6千基余りが見つかり、数万点の貴重な遺物が出土したと発表した。 発掘チームのリーダーを務める左志強(Zuo Zhiqiang)氏によると、発掘調査は「シンガポール・四川科学技術イノベーションパーク(新川創新科技園)」の建設に合わせ、同研究院が国家文物局の承認を得て2015年3月から実施した。 数年がかりの調査では多くの成果が得られ、新石器時代末期の住居跡が見つかったほか、墓葬6千基余りが出土した。 墓の種類は主に断崖に横穴を掘った「崖墓(がいぼ)」、岩山の斜面に横穴を掘った「岩窟墓」、塼(せん)と呼ばれるれんがで築いた「塼室墓」などで、土器や陶磁器のほか、銅、鉄、ガラス、石などの素材で作られた遺物が出土した。 中でも「郫(ひ)

    成都で古代墓6千基余りが出土、年代幅は「四川の歴史の半分」
    nagaichi
    nagaichi 2020/05/18
    成都市高新南区の新川創新科技園建築現場で発見された五根松墓地
  • 『南史』と『漢書』注 - てぃーえすのメモ帳

    論曰・・・(中略)・・・據齊・梁紀録、並云出自蕭何、又編御史大夫望之以為先祖之次。案何及望之於漢倶為勳徳、而望之傳不有此陳、齊典所書、便乖實録。近秘書監顔師古博考經籍、注解漢書、已正其非、今隨而改削云。 (『南史』巻四、斉武帝紀) 『南史』編者李延寿は、あの顔シコ先生から「南斉の蕭氏は漢の蕭何・蕭望之の子孫だと言っているが、蕭何の子孫が蕭望之だったら『漢書』蕭望之伝に何も書かれていないのはおかしい」という話を聞いた結果、「南斉の蕭氏の先祖の話は怪しいから削除した」のだそうだ。 太祖高皇帝諱道成、字紹伯、姓蕭氏、小諱鬬將、漢相國蕭何二十四世孫也。何子酇定侯延生侍中彪、彪生公府掾章、章生皓、皓生仰、仰生御史大夫望之、望之生光祿大夫育、育生御史中丞紹、紹生光祿勳閎、閎生濟陰太守闡、闡生呉郡太守永、永生中山相苞、苞生博士周、周生蛇丘長矯、矯生州從事逵、逵生孝廉休、休生廣陵府丞豹、豹生太中大夫裔、

    『南史』と『漢書』注 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2020/05/05
    顔師古先生;
  • 陳慶之と北伐(参加者)

  • 蘭欽の生没年

  • 六朝から隋唐時代の墓葬27基を発見 湖南省藍山県 | 新華社通信

    出土した雁形盉(か、酒器の一種)。(資料写真、長沙=新華社配信/陳斌) 【新華社長沙1月6日】中国の湖南省文物考古研究所は4日、同省永州市藍山県の毛俊ダム建設に伴う住民移転先建設で実施した考古発掘調査で、六朝時代から隋唐時代の墓葬27基を発見したと明らかにした。墓葬からは青磁の盞(さん、茶碗)や銀の箸、かんざし、開元通宝、滑石猪(滑石を豚の形に彫った副葬品)などが出土した。 出土した青磁の盞。(資料写真、長沙=新華社配信/陳斌) 同研究所藍山考古チームの陳斌(ちん・ひん)隊長は「今回見つかった墓葬は数も多く、湘南地域(同省南部)さらには南嶺山脈南北両側地域における墓葬の時代区分の研究や埋葬習俗、文化の交流と伝播を理解する上で新たな考古学的資料となる。藍山県にある南平古城は古くから南嶺山脈の重要な街道上に位置していたが、今回の墓葬27基の発見は、当時の南平と中原地域(黄河中・下流地域)との文

    六朝から隋唐時代の墓葬27基を発見 湖南省藍山県 | 新華社通信
  • 広州市で漢代から清代にかけての墓57基が出土 | 新華社通信

    nagaichi
    nagaichi 2019/12/31
    2番目の画像、典型的な六朝磚室墓やな。江陵を西府というなら、広州は南府といってもいいんじゃないか。わりとマジで。
  • 「めったにない発見」 六朝時代の大型墓群見つかる 中国・江西省

    江西省南昌市贛江新区の七星堆六朝墓群から出土した越州窯の磁器(2019年9月24日撮影)。(c)Xinhua News 【12月16日 Xinhua News】中国江西省(Jiangxi)の文物考古研究院はこのほど、同省南昌市(Nanchang)贛江(Ganjiang)新区の七星堆(Qixingdui)六朝墓群で実施された475日におよぶ野外発掘調査で、古墓葬73基の調査を終えたことを明らかにした。中でも六朝時代(222年~589年)の墓葬は、数が最も多く、形式が最も豊富であるとともに規模も最大で、ランクも最も高いという。 専門家は、国内でこれほど保存状態の良い六朝時代の大型墓群が見つかることはめったになく、六朝考古学の重大発見といえると指摘。700点余りの出土品は、三国・東呉時代(222年~280年)の「海のシルクロード」の繁栄を示しており、研究上の重要な資料になるとの見方を示した。 墓

    「めったにない発見」 六朝時代の大型墓群見つかる 中国・江西省
    nagaichi
    nagaichi 2019/12/17
    「豫章海昏中郎周遵字公先」海昏県が豫章郡に属していたのは晋代までだから、六朝といっても初期になるわな。
  • カノープス におねがい✨——老人星と梁武帝——(暫定版)|深山|note

  • 荊州における范蠡 - Archerの春秋

    范蠡といえば、春秋時代の越に仕えて越王勾践が呉を滅ぼすことに貢献した名臣として著名である。『史記』では引退後に巨万の富を得た商人として描写され、また『漢書』芸文志には兵家としてその名に仮託されたと思われる「范蠡二篇」が見える。 他の先秦期の人物同様、後代に様々な伝説が付加されていった范蠡であるが、昨年に中華書局より出版された黄恵賢『校補襄陽耆旧記(附南雍州記)』(初出は中州古籍出版社、1987年)を読んでいると興味深い記事が目に入った。 峴山南有習郁大魚池,依范蠡養魚法,當中筑一釣臺。(『太平御覧』地部 池溪壑引『襄陽記』) 峴山の南には光武帝期の習郁(『襄陽耆旧記』【『襄陽記』】の編者である習鑿歯の祖先)の大魚池があり、習郁は范蠡の養魚法にならい、釣台を築いたという。 『文選』に収録される張協「七命八首」の李善注には「陶朱公養魚経」なる書物が引用されている(『隋書』経籍志では「陶朱公養魚

    荊州における范蠡 - Archerの春秋
    nagaichi
    nagaichi 2019/07/30
    『史記正義』越王句踐世家が『呉越春秋』を引いて「蠡字少伯,乃楚宛三戶人也」とか言ってるので、後漢初期に遡る可能性が。
  • 成都の東華門遺跡、唐代の御苑「摩訶池」の調査進む 四川省

    【7月26日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)で22日、成都都市考古学研究会が開かれ、市の中心部で近年調査が進む東華門遺跡のこれまでの発掘成果や最新の調査状況が紹介された。 遺跡では、秦代から魏晋南北朝時代の「成都大城」居住区、隋・唐時代から宋代の「摩訶(まか)池」池苑園林区、明代の「蜀王府」宮殿建築群など戦国時代から明代にかけての遺構が多数見つかっている。 東華門遺跡の考古発掘チームの責任者、易立(Yi Li)氏は、成都市文物考古作業チームが2013年から2019年にかけて同遺跡の発掘調査を行い、青羊区の東華門街から体育センターに至る広いエリアで都市遺構を発見したと説明した。 摩訶池は、隋代(6世紀末~7世紀初め)に建設が始まり、約600年後の宋代に至るまで整備が続けられた。唐代には皇室所有の「皇家園林」とされ、詩人の杜甫(Du Fu)も訪れた

    成都の東華門遺跡、唐代の御苑「摩訶池」の調査進む 四川省
  • 36歳の編集者が、市川に「小さな出版社」を立ち上げたワケ(現代ビジネス編集部) @gendai_biz

    永井荷風や井上ひさしらが居を構えた「文学の街」千葉県市川市。その閑静な住宅街の一角に「志学社」はある。星海社にて『江戸しぐさの正体』や『マージナル・オペレーション』シリーズなどのヒット作を手掛けたフリー編集者の平林緑萌(ひらばやし・もえぎ)氏が、昨年10月に新たに立ち上げた出版社だ。出版不況が叫ばれて久しいなか、平林氏が市川に「小さな出版社」を作ったのはなぜか。その理由を尋ねた。 名著の復刊を目指して 太田出版では『QuickJapan』、星海社では主に書籍、とこれまで10年近く出版物の編集に携わってきました。を作るノウハウは身に着けたし、ヒット作も手掛けてきた自負はありますが、30代も半ばに差し掛かったときに、この先10年、20年残るような書籍や、新たな出版の仕組みを作りたいと思うようになりました。出版不況の只中で、このままを作っているだけでは、いずれは出版社という船ごと沈没してしま

    36歳の編集者が、市川に「小さな出版社」を立ち上げたワケ(現代ビジネス編集部) @gendai_biz
    nagaichi
    nagaichi 2019/02/13
    吉川忠夫『侯景の乱始末記』が志学社で復刊予定。復刊ドットコムでは動かなかった岩がようやく動くか。 https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=4960 泉下の宇宙大将軍閣下もお喜びだろう。
  • 壁に竹林の七賢図、昭明太子の墓か 異例の規模に脚光:朝日新聞デジタル

    中国江蘇省南京市で、墓室の壁に絵が描かれた大型の壁画墓がみつかり、南北朝時代の南朝、梁(りょう、502~557年)の皇太子、昭明太子(しょうめいたいし、蕭統〈しょうとう〉、501~531)の墓の可能性が高いことが分かった。昭明太子は、日の平安文学などにも影響を及ぼした詩文集「文選(もんぜん)」の編纂(へんさん)者として知られる。中国で皇帝陵クラスの墓が発掘調査されるのは異例で、日中の研究者は注目している。 調査を指導した南京大学歴史学院の張学鋒教授(考古学)によれば、南京市博物館考古部(現南京市考古研究所)が2013年1~6月、南京市北東部で発掘調査。れんがを積み重ねた大型墓2基(南京獅子沖南朝大墓)が出土した。東側の1号墓の墓室は全長14・2メートル、幅6・4メートル。西側の2号墓は全長15・2メートル、幅6・48メートル。いずれの墓も大きく破壊されていたが、その規模は南朝のほかの皇帝

    壁に竹林の七賢図、昭明太子の墓か 異例の規模に脚光:朝日新聞デジタル
    nagaichi
    nagaichi 2018/02/17
    これは新ニュースじゃないよ。以前書いた記事→ http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20150523/p1
  • 宇宙大将軍とは (ウチュウダイショウグンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

    宇宙大将軍単語 ウチュウダイショウグン 2.1千文字の記事 28 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 ゆけゆけ!ぼくらの宇宙大将軍すごいぞ!ぼくらの宇宙大将軍まけるな!ぼくらの宇宙大将軍 関連動画関連商品関連コミュニティ関連項目掲示板 宇 宙 大 将 軍 とは、後に漢(笑)の皇帝となる南北朝時代の中国最狂のDQNが自称した中二病っぽい位です。けっして「つよいぞぼくらの宇宙大将軍」みたいなものではありませんし、ロボットアニメや特撮ヒーローものの悪役でもありゃしません。実在した悪人歴史上の人物です。現実です。 なお、「侯景(503 ~ 552)」と言う名で活動していた時期もありますが、世を忍ぶ仮の名前です。多分。 ゆけゆけ!ぼくらの宇宙大将軍 宇宙大将軍閣下は、魏・蜀・呉の三国時代が終わり、天下統一した晋(西晋)が異民族に華北を追われ、江南へ亡命政権の東晋を建てた後の時代、王朝が乱立する華北を

    宇宙大将軍とは (ウチュウダイショウグンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
    nagaichi
    nagaichi 2018/02/05
    簡文帝も「将軍に宇宙の号があるのか」といって驚倒したアレ。宇宙大将軍もだけど、都督六合諸軍事も他に類例のないこの人だけの官なんだよなあ。
  • 【考察】晋朝の騶虞幡、白虎幡

    nagaichi
    nagaichi 2018/01/29
    パンダの旗じゃなかったのか。避諱とするなら、李虎の諱を避けているのだろうけど。