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思想に関するnagaichiのブックマーク (669)

  • 反出生主義という人類滅亡のミーム - シロクマの屑籠

    ※この文章は、黄金頭さんへの返信のかたちをとった、私なりの反出生主義についての考えをまとめた文章です※ blog.tinect.jp こんにちは黄金頭さん、p_shirokumaです。拙著『人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』をお読みくださり、ありがとうございました。今回私は、どうしてもこのを読んでもらいたいブロガーさん数名におそれながら献させていただきました。受け取ってくださったうえ、ご見解まで書いてくださり大変うれしかったです。 『人間はどこまで家畜か』を黄金頭さんに献したかった理由は2つあります。 ひとつは、黄金頭さんが書いたこのブログ記事のおかげで『リベラル優生主義と正義』に出会えたからです。 リベラル優生主義と正義 作者:桜井 徹ナカニシヤ出版Amazon 今は8000円台で推移していますが、一時期、このには30000円ぐらいのプレミアがついていま

    反出生主義という人類滅亡のミーム - シロクマの屑籠
    nagaichi
    nagaichi 2024/03/02
    反出生主義というのはニヒリズムの亜種の一つで、ニヒリズム系思想が盛行したことは人類の歴史上何度もあるが、それで人類が滅んだことなどない。人類社会は群体であり、上部構造など素知らぬまま日々を生きていく。
  • ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史 | 長周新聞

    京都大学で13日におこなわれた公開セミナー「人文学の死――ガザのジェノサイドと近代500年のヨーロッパの植民地主義」【既報】より、藤原辰史・京都大学人文科学研究所准教授の基調講演「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景」の要旨を紹介する。 □      □ 今日の問題提起は、ドイツ現代史研究者の一員である自分にも矛先を向けたものでもある。 ドイツ現代史研究者は、パレスチナ難民やイスラエルの暴力をまったく無視しているかといえばそうではない。批判も多々してきているが、当事者意識が欠落している。たとえば、パレスチナ問題を「生成」した問題として扱い、きわめて「他人事」として起きている「かわいそうなこと」という倫理的問題として捉えがちである。その「上から目線」がパレスチナ問題を見る目を曇らせているように思う。 そして、パレスチナとともに中東欧や南欧へも関心が低すぎる。ド

    ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史 | 長周新聞
  • [寄稿]ガザ地区についての真実を言うタイミング

    ほとんどの人にとって、真実とは事実に合致する陳述を意味する。「私は今、セントヘレナ島でナポレオンの邸宅を見ている」という言葉が真実となるためには、その人が当にそうしていなければならない。一方、ポストモダン哲学者は、真実/非真実は陳述そのものの属性ではないと主張し、それ自体は真実でもなく偽りでもないある言説が、いかなる真理で構成されているのかを歴史的に調べることが重要だと考える。科学は実験的な手続きを通じて、明確に公式化された用語で特定の命題を真理として確立する。宗教は複雑な修辞学的な方式によって、私たちが慈悲深い神的な存在の統制する世界に住んでいるという経験を生成することで、いわゆる「真理」を確立する。 真実に対する一般的な観点とポストモダンの歴史主義的な相対主義の間には、別の道があるのだろうか。精神分析学がヒントを与えてくれる。精神分析家は、真実(来談者の症状を説明する解釈)を適切な時

    [寄稿]ガザ地区についての真実を言うタイミング
  • マイケル・リンド『新しい階級闘争』@『労働新聞』書評 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    近頃世界的に無責任な言説をまき散らすポピュリストが蔓延して困ったものだ、・・・と感じている人は多いだろう。しかし、これは階級闘争なのだ。知的エリート階級に経済的のみならず知的にも抑圧されているノンエリート労働者階級の「反乱」なのだ。 「階級闘争」という言葉は時代錯誤に見えるかも知れない。かつて産業革命時代に資家階級と労働者階級の間で闘われた熾烈な階級闘争は、20世紀中葉に労働組合による団体交渉と福祉国家を基軸とする階級平和に移行し、マルクスの教えを古くさいものとした。だが20世紀の末期、再び階級闘争の幕が切って落とされた。先制攻撃を加えたのは経営管理者と専門職からなる知的上流階級だ。経済停滞の元凶として労働組合と福祉国家が叩かれたことはよく知られている。しかし、ネオ・リベラリズムによる経済攻勢と手に手を取って粗野な労働者階級文化を攻撃したのは、左派や進歩主義者たちによる反ナショナリズムと

    マイケル・リンド『新しい階級闘争』@『労働新聞』書評 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 戦後日本のサブカルチャーにおける加害としての暴力 - Write off the grid.

    以下は、2020年の『群像』新人賞で最終選考まで残り、落選となった文章である。 これはもともと同賞への応募原稿として書いたわけではなく、アメリカ留学中に何十と書いたノートの1つである。留学1年目の第2セメスター終盤、わたしは履修していた授業のレポートとして2つのアイディアを抱えていた。結局はもう片方の案、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』論をレポートとして提出したのだが(これは論文化された)、その後、夏休みに入ってヒマになったので、提出のアテもないまま、もう片方のアイディアを日語で文章化することにしたのだった。同賞に応募したのは、その約2年後である。 なるほど、いま読むと院生のノート以上のなにものでもないが、もはや改稿して論文化する意味もないので、誰でも読めるようブログ記事として放流することにした次第である。これを読んで若い人たちに「阿部も留学初期はこんなもんか(じゃあ自分もイケるな)」

    戦後日本のサブカルチャーにおける加害としての暴力 - Write off the grid.
  • ノア・スミス「もっと浅薄な未来に向かって」(2024年1月3日)|経済学101

    Art by GPT-4. Prompt: “an image that evokes ‘The Triumph of Death’, with similar buildings and a similar layout, but where everyone is healthy and happy”不運には,代償に見合う値打ちがない「50歳までぜひとも生きていたいよ」――キース・ヘリング いや,たしかにこの記事の発端は,旧称 Twitter のソーシャルメディアプラットフォームでつい先日に起きた馬鹿馬鹿しいいざこざではあるんだけど,約束する,後の方まで読んでくれたらもっと面白い話になっていくよ! つい先日のいざこざは,有名な絵画を軸に展開してる.その絵とは,キース・ヘリングの「未完の絵画」だ ("Unfinished Painting").1989年に描かれたこの絵は,AIDS にな

    ノア・スミス「もっと浅薄な未来に向かって」(2024年1月3日)|経済学101
  • ハミッド・ダバシ「ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈した」|早尾貴紀

    ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈したハミッド・ダバシ(試訳=早尾貴紀) 2024年1月18日 もしイラン、シリア、レバノン、トルコが、ロシア中国に全面的に支援され、武装し、外交的に保護されながら、テルアビブを現在のガザと同じように、3カ月間昼夜を問わず爆撃し、何万人ものイスラエル人を殺害し、数え切れないほどの負傷者を出し、何百万人もの家を失い、この都市を人が住めない瓦礫の山と化す、そのような意志とその実現手段があったとしたら、と想像してみてほしい。それから、イランとその同盟国が、テルアビブの人口の多い地域、病院、シナゴーグ、学校、大学、図書館、あるいは実際に住民のいるどんな場所であれ、そこを意図的に標的にし、民間人の犠牲者を確実に最大化するということがあり、そしてイランと同盟国が、「イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と彼の戦時内閣を探していただけだ」と世界に言ったとした

    ハミッド・ダバシ「ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈した」|早尾貴紀
  • ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』の最終講:存在の連鎖は破綻した無意味な思想 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』の翻訳を始めた話はした。 cruel.hatenablog.com 素直に第2講を初めて、半分くらいはおわっているんだけれど、そもそもこの話がどこへ行くのか知りたくて (はい、推理小説もまず最後を読むタイプです)、最後の第11講をあげてしまいました。 ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』第11講 (最終回) もちろん、このpdfを読むとそれなりにウダウダしい。だが、そこで言われていることは、第1講と同じでとてもシンプルではある。それはつまり、以下の通り: 「存在の連鎖」という観念は最終的に、二千年かけて詰めていったらボロボロでまったく整合性がないことが明らかになった。 だから破綻して、すると一気に忘れられてしまった。 思想そのものの現代的な価値はまったくない。 ただこういう変なものにハマる精神の働き (すでに蒸し返すバカも出てる) の記録という意味はあるかも。

    ラヴジョイ『存在の大いなる連鎖』の最終講:存在の連鎖は破綻した無意味な思想 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 技術革新を不平等に向かわせないためには、何が必要なのか──『技術革新と不平等の1000年史』 - 基本読書

    技術革新と不平等の1000年史 上 作者:ダロン アセモグル,サイモン ジョンソン早川書房Amazonこの『技術革新と不平等の1000年史』は、技術革新の歴史を概観しながら、それが経済成長や不平等とどのように関連したのかを解き明かしていく一冊である。 技術革新が起これば生産性が上がり、経済は成長し、新たな雇用が生まれ、回り回って市民の賃金も生活も向上する──一般的にはそう言われてきたが、実際にはそうとは限らない。たとえば近年ChatGPTをはじめとした数々の進歩が起こって生産性も向上したはずだが、生活がよくなっている実感はないだろう。先日厚生労働省が発表した日の毎月勤労統計によると2023年11月の一人あたりの実質賃金は前年同月比3.0%減り、マイナスは20ヶ月連続で、物価上昇に賃金が追いついていない。*1 実は、一〇〇〇年にわたる歴史と現代における証拠から、一つの事実がきわめて明白にな

    技術革新を不平等に向かわせないためには、何が必要なのか──『技術革新と不平等の1000年史』 - 基本読書
  • 早わかり加速主義: ポスト・インターネット状況下の小説(春海水亭、佐織えり、quiet)|Bandit Magazine

    Chat GPTが話題になった2023年、私たちはどんなに難しい論文もその要約によってファストに理解することが可能になっている。長文や難文が要約によって「早わかり」されることが当たり前になった現在、剥き出しの結末によって物語を「早わかり」させることに特化したポスト・インターネット状況下のウェブ小説は私たちにどんな認知をもたらすのか。江永泉は、加速主義を鍵概念としてポスト・インターネット下に流通する情動を剔出する。 (執筆・江永泉) 1. 加速主義とは何か。様々な説明ができるが、ここでは次のような一節の参照から始めたい。ある座談の中での、仲山ひふみの発言である。 当初はイギリスのクラブミュージックとも密接なつながりを持ったインターネット上のサブカルチャーとして、まさに加速した状態から始まった 千葉雅也ほか「加速主義の政治的可能性と哲学的射程」 『現代思想 特集=加速主義』2019年6月号、p

    早わかり加速主義: ポスト・インターネット状況下の小説(春海水亭、佐織えり、quiet)|Bandit Magazine
  • そういやここでも共産主義や社会主義は民主主義の一部とか言ってるバカい..

    そういやここでも共産主義や社会主義は民主主義の一部とか言ってるバカいたけど ならなんで民主主義国家である日でこんだけ危険視されてんだよって話だわな

    そういやここでも共産主義や社会主義は民主主義の一部とか言ってるバカい..
    nagaichi
    nagaichi 2024/01/01
    俺の怪しい記憶ではレーニンが民主主義の揚棄を主張していたような気がする。もちろん現在主流の社会民主主義や民主的社会主義では民主主義は不可分だと思うよ。
  • 人生最悪の年 - 紙屋研究所

    今年は人生で最悪の年だった。仕事でも家庭でも。 もちろん、来年はそんなことがないようにしたいのだが、「『最悪だった』なんてのんきにブログに書けていた頃はよかったな〜」などという具合に「最悪」を更新することもないわけじゃない。 何をしていても前向きな気持ちが生まれないとか、いつも不安に苛まれているとか、そんな感情に支配されるようになるとは思ってもみなかった。もちろん、そうした精神状態というものがあるということをでは読んで知っていたが、やはりどこか他人事だったんだろう。 当に苦しいな、これは。 こんなに苦しいとは思っても見なかった。 イスラエルに何年も捕らえられたパレスチナ人や、共産党圧政下で苦しむ香港政治犯などが、牢獄に閉じ込められたりする孤立感や絶望感というのは、こういう「体を蝕むような精神的抑圧」(おそらくぼくが体験しているプレッシャーの数倍、数十倍)と一体で行われるんだと想像すると

    人生最悪の年 - 紙屋研究所
  • 戦場は大学 - 祖国は危機にあり(La patrie en danger) 関連blog

    米国のアカデミアが極端にリベラル寄りになっているという話はこれまでも述べてきたが、そうした事態は大学をエリート内における政治的闘争の場と変えているようだ。その一例と言えそうなのが、こちらなどでも紹介しているCoyneのblogにあるエントリーだ。Conor Friedersdorf (and Alexander Barvinok) on ideological coercion in American collegesというそのエントリーでは、大学で起きている事象についてある記事を取っ掛かりに話をしている。 その記事とはThe Atlanticに載っているWhy This Math Professor Objects to Diversity Statementsというもの(CoyneによればAtlanticはwokeなメディアだが、この記事の書き手はリベラルではあっても進歩主義ではないと

  • ノア・スミス「テクノ楽観主義についての考察」(2023年10月21日)|経済学101

    ぼくにとってどんな意義があって,どうしてぼくはこれを支持してるのかBy Cory Doctorow from Beautiful Downtown Burbank, USA - The Sphere as Mars, view from my hotel room at Harrah’s, Las Vegas, Nevada, USA, CC BY-SA 2.0,「いやはや,とんだ大間違いだ!門を開けろ!」 ――ミュンヒハウゼン男爵今週のいろんなネタをまとめたときに,マーク・アンドリーセンの「テクノ楽観主義マニフェスト」に賛成の意を表しておいた.2つほど意見がちがう点も書き添えたけれど,全体として,技術発展の加速を支持する主張をこういう風に妥協なしにぶっぱなすことこそ,陰気な2010年代の停滞した空気から脱出するのに必要だ. ただ,マークのマニフェストでは,ぼくがテクノ楽観主義について考え

    ノア・スミス「テクノ楽観主義についての考察」(2023年10月21日)|経済学101
    nagaichi
    nagaichi 2023/12/16
    近年の日本のアカデミアの窮状を仄聞するに、政策もかなり重要だと思うよ。
  • 【書評】労農派ピケティは「バラモン左翼」を乗りこえられるか──トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』評|梶谷懐

    リベラル知識人はなぜ「バラモン左翼」と呼ばれるか 東浩紀は、『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)や『訂正する力』(朝日新書)などの最近の著作のなかで、次のようなカズオ・イシグロの言葉にたびたび言及している。 俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。[★1] 東は、開放性を掲げるリベラル知識人が、実は同じ心情や生活習慣を持つ人々の中で閉じたサークルを作っている、という実態を批判する文脈でこの発言に触れている。確かにそれも重要な視点だろう。そのうえで、ここではイシグロがそれに続けて語った内容により注意を向けたい。 私は最近とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどう

    【書評】労農派ピケティは「バラモン左翼」を乗りこえられるか──トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』評|梶谷懐
  • ジョセフ・ヒース「アイデンティティ・ポリティクスはナショナリズムに似ている」(2023年11月26日)

    年をとるにつれ、周りの人が覚えていないことを思い出せる機会が増えていく。私がアイデンティティ・ポリティクスを巡る昨今の議論を真面目に受け取る気になれない理由の1つはこれである。私は既に同じことを経験してしまっているのだ。この映画は前に見たことがあるし、結末だって知ってる。 言い換えれば、私は1990年代のことを生き生きと思い出せるのだ。実際、私は90年代からこの仕事に就いているが、全く同じ考えについて(提示の仕方まで全く同じであることも多い)、人々がどれほどの熱量で議論していたかを覚えている。マキシム誌のような90年代後半の文化製品を取り上げて、「なんてこった、こいつらはセクシストだったんだ」と言ったり、「となりのサインフェルド」 [1]訳注:アメリカの国民的なコメディドラマ。 のジョークの一部には「問題がある」と不満を述べたりする若者を見るのは、愉快であるとともにゾッとする経験だ。若者は

    ジョセフ・ヒース「アイデンティティ・ポリティクスはナショナリズムに似ている」(2023年11月26日)
  • 「怒り」はよくて「嫌悪感」はダメなのか?(読書メモ:『感情と法』②) - 道徳的動物日記

    感情と法―現代アメリカ社会の政治的リベラリズム 作者:マーサ ヌスバウム 慶應義塾大学出版会 Amazon 前回の記事でも触れたように、『感情と法」の第2章と第3章では、おおむね「嫌悪感は不適切で理に適っていない感情だから法律に組み込んではいけないが、怒りは適切で理に適った(ものになり得る)感情であるから法律に組み込むべきである」という議論が展開される。 この議論はかなり興味深いものではあるが、わたしとしては、ヌスバウムは「怒り」という感情を過剰に高く評価したり理想化したりしているように思えたし、逆に「嫌悪感」という感情を低く評価し過ぎて貶めているように思えた。 わたしがまず疑わしく思ったのは、嫌悪感(disgust)について、「汚染源を拒否したいという感覚」であるとしているだけでなく「自分の死や有限性を思い起こさせるもの」とか「アニマル・リマインダー(自分が動物であることを思い起こさせる

    「怒り」はよくて「嫌悪感」はダメなのか?(読書メモ:『感情と法』②) - 道徳的動物日記
  • 狩猟試験受験の報告ツイートをしたら「人はクマを敵だと思ってるけど、クマの方は人をどう思っているかな?」という引用RTがあった「ただの餌では?」

    日報さん@23日東3ユ32a @nippou_ 狩猟試験受験報告ツイートをしたら、引用リツイートで「人はクマを敵だと思ってるけど、クマの方は人をどう思っているかな?」と自然を愛する方にチクッとやられました。どうって、クマは人間のことを自分より弱い柔らかい肉だと思っていらっしゃるのではないですかね。受験、やめませんよ。 2023-11-24 18:42:28

    狩猟試験受験の報告ツイートをしたら「人はクマを敵だと思ってるけど、クマの方は人をどう思っているかな?」という引用RTがあった「ただの餌では?」
    nagaichi
    nagaichi 2023/11/25
    それはクマ当獣でないと分かりませんよ。人から見た推測はいろいろ言えるにしても。(味方だと思ってる可能性は低いと思うが)
  • 後期シブリーの美学 - obakeweb

    フランク・シブリー[Frank Sibley]の名前と結びつけられた仕事として、真っ先に思いつくのは「Aesthetic Concepts」(1959)と、その実質的な続編にあたる「Aesthetic and Nonaesthetic」(1965)だろう。前者は、美学者としてのキャリアの最初期に書かれた論文であり、20世紀美学において最も盛んに検討された論文のひとつとなった。 美的なものの議論においてシブリーの果たした貢献は改めて確認するまでもなく、絶大である。しかし、注目は上のふたつの論文に集中しており、その他の仕事はあまり引用されていない。このふたつは『Philosophical Review』という大手も大手の哲学ジャーナルに掲載されたことからも美学にとどまらない関心を集めたわけだが、その後シブリーは新設されたばかりのコーネル大学哲学科の運営に忙殺されたようで、いくつかのProcee

    後期シブリーの美学 - obakeweb
  • 「臓器提供の意思表示してないの!?ワンチャン死後に誰か乗っ取れるかもしれないのに!?!?」というエイリアンのような発想

    リンク Wikipedia テセウスの船 テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。 プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。 プルタルコスは全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。また、ここから派生する問題として置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテ 339 users 396

    「臓器提供の意思表示してないの!?ワンチャン死後に誰か乗っ取れるかもしれないのに!?!?」というエイリアンのような発想