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史記に関するnagaichiのブックマーク (26)

  • 記録へのこだわりと執念|ちくま新書|佐藤 信弥|webちくま

    2024年大河ドラマ『光る君へ』で、主人公のまひろ(紫式部)が学んでいた歴史書『史記』。その執筆にあたって、司馬遷はどのようなものを参照したのでしょうか。古代中国王朝の「記録」を出土文献に探り、歴史観の興りや歴史認識の変遷を読みとく『古代中国王朝史の誕生』冒頭を公開します。 中国古代の歴史書に関して、筆者には好きな話がひとつある。『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』の襄公(じょうこう)二十五年に見えるエピソードである。春秋時代、現在の山東(さんとう)半島に位置する斉(せい)の国に崔杼(さいちょ)という重臣がいた。この人が棠姜(とうきょう)という未亡人にひと目ぼれしてに迎えた。 ところが悪いことに斉の君主の荘公(そうこう)が以前からこの棠姜と私通していたのである。だから彼女が崔杼と再婚したあとも、荘公は崔杼の邸宅に通って関係を続けた。それだけでなく彼の冠を持ち出して人に与えて辱(はずかし

    記録へのこだわりと執念|ちくま新書|佐藤 信弥|webちくま
  • 『史記』に学ぶべき知識人の役割とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    Executive Summary 司馬遷『史記』に登場する焚書坑儒は、儒者どもが体制批判したせいだとされるが、実は穴に埋められた儒者たちにもそうされる十分な原因があったのかもしれない。かつて儒者を厚遇していた始皇帝だが、封禅の儀式のやりかたに結論を出せず、しかも後から揚げ足をとって悪口を述べた儒者の役立たずぶりに呆れた可能性がある。 これは二千年以上の時をこえた現代であっても、儒者=知識人の役割について何かしらの示唆を与えるものかもしれない。いやあ、古典って当にすばらしいですね。 落合『殷』を読んでちょっと興味が向いて『史記』を実際に読み始めておるですよ。 史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫) 作者:司馬 遷筑摩書房Amazon 一応歴史記録で話は淡々と進むし、紀ではなぜか各種エピソードが何度か繰り返されて、続きを読んでいるつもりが話が戻っていたりして面らうし、おもしろいからみん

    『史記』に学ぶべき知識人の役割とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    nagaichi
    nagaichi 2022/02/07
    「殷の紂帝」「周の武帝」「儒教的な徳を積んでいるかで決まる、という立場」ツッコミどころ満載な雑語りだなあ。
  • 酒池肉林の"肉林"はえっちな要素ではない!→時代背景を踏まえたパーティー会場のイメージ「光景には性欲要素もある」

    So Takamoto @tkmtSo 酒池肉林、勘違いされがちだけど肉林は肉欲のことではなく焼いた肉をたくさん吊るして当に林っぽくした状態のことを指していて、酒池はともかく肉林はそんなにそそられるか…?と気になっていたのだけど、あるとき肉林はつまりケバブパーティーだぞって言われて以来やりたさを理解できるようになった 2021-08-18 19:40:42 リンク www.weblio.jp 酒池肉林とは - Weblio辞書 「酒池肉林」の意味は《「史記」殷紀の「酒を以て池となし、肉を懸けて林となす」から》酒やべ物がふんだんにある、贅(ぜい)を極めた酒宴のこと。Weblio国語辞典では「酒池肉林」の意味や使い方、用例、類似表現などを解説しています。

    酒池肉林の"肉林"はえっちな要素ではない!→時代背景を踏まえたパーティー会場のイメージ「光景には性欲要素もある」
  • 孫検 - Archerの春秋

  • 『史記索隠』伯夷列伝の注について大学の講義で『史記評林』を用いて史記を読んでおりますが、その中で伯夷列伝の注に、「索隠曰、列伝... - Yahoo!知恵袋

    『史記索隠』伯夷列伝の注について 大学の講義で『史記評林』を用いて史記を読んでおりますが、その中で伯夷列伝の注に、 「索隠曰、列伝者、謂(下)叙(二)列人臣事跡(一)令(上レ)可(レ)伝 『史記索隠』伯夷列伝の注について 大学の講義で『史記評林』を用いて史記を読んでおりますが、その中で伯夷列伝の注に、 「索隠曰、列伝者、謂(下)叙(二)列人臣事跡(一)令(上レ)可(レ)伝 (二)於後世(一)」とあり、訓点をもとに書き下してみると、 「索隠に曰う、列伝は、人臣の事跡を叙列して、後世に伝うべき令を謂う」と読めます。 しかし、この中の「令可伝於後世」を「後世に伝うべき令」と読むのには違和を感じます。なぜなら「令」が「後世に伝うべき」を受けるなら「令」はその下にあるべきで、「可伝於後世令」となるはずだと思うからです(すくなくとも文法上は)。 『史記評林』が正しいとするならば、私のこの疑問はどのよう

    『史記索隠』伯夷列伝の注について大学の講義で『史記評林』を用いて史記を読んでおりますが、その中で伯夷列伝の注に、「索隠曰、列伝... - Yahoo!知恵袋
  • 司馬遷「史記」が『面白すぎる』のはなぜ?〜「氷菓」の古典部員が謎に挑む(※宮崎市定の論考がベースです) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!!」 「ご無沙汰しております!「氷菓」などで知られる古典部員が、約1年ぶり、3回目の、このブログの対話篇に登場です!過去の2回はこちら」 とある野球記録を「日常の謎」(氷菓)風に紹介〜「なぜオールスターの成績が、長嶋は王より上なのか?」(宇佐美徹也) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130616/p3 のらくろ漫画から怪獣の歴史を「氷菓」の古典部メンバーが考える(或るtogetterを受けて)。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150508/p3 「いったいどういう法則で、あたしたちは呼ばれるのかしら?」 「実はそれ、書き手も分からなかったんだけど、今回やっと法則がわかったよ。やネット上で『謎』→『推理』→『証拠』→『解決』の鮮やかな展開を見たとき、作者は『まるで推理小説だな

    司馬遷「史記」が『面白すぎる』のはなぜ?〜「氷菓」の古典部員が謎に挑む(※宮崎市定の論考がベースです) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    nagaichi
    nagaichi 2016/06/13
    司馬遷は若い頃に各地を旅行していて、そのときに取材した話が『史記』に反映していると見られているわけだけど、市定センセはそこを踏み込んで、『史記』の面白すぎる話は演劇だと言ってるのね。
  • 答辛德勇教授《秦始皇本紀》“令教射狗馬禽獸”標點的意見

  • 答辛德勇教授《史記·封禪書》“並海南,歷泰山,至會稽”等標點的意見

    nagaichi
    nagaichi 2016/06/01
    『史記』をどう読むのかという話で、細部にはいくらでも論争の種が埋まってることを今さらながらに実感。
  • 『史記』の謎 - てぃーえすのメモ帳

    漢已平呉楚、孝景帝欲以徳侯子續呉、以元王子禮續楚。竇太后曰「呉王、老人也、宜為宗室順善。今乃首率七國、紛亂天下、奈何續其後!」不許呉、許立楚後。是時禮為漢宗正、乃拜禮為楚王、奉元王宗廟、是為楚文王。 文王立三年卒、子安王道立。安王二十二年卒、子襄王注立。襄王立十四年卒、子王純代立。王純立、地節二年、中人上書告楚王謀反、王自殺、國除、入漢為彭城郡。 (『史記』巻五十、楚元王世家) 漢の高祖の弟である劉交は楚王となった。その孫はいわゆる呉楚七国の乱で反乱者となって滅ぼされたが、景帝によって劉交の子が楚を継ぐことを許された。 その後、楚王は四代にわたって継承されたが、宣帝の地節二年に反乱を企てたとの告発があったため時の王は自殺に追い込まれたのだった。 ・・・あれ?宣帝期・・・? 『史記』というと武帝の頃の人である司馬談・司馬遷の筆であるから、まあ十中八九はこの部分には司馬遷以外による加筆があるこ

    『史記』の謎 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2016/05/30
    褚少孫先生の補作は10篇どころじゃないというな。
  • 霍光出現の予言 - てぃーえすのメモ帳

    褚先生曰・・・(中略)・・・黄帝終始傳曰『漢興百有餘年、有人不短不長、出白燕之郷、持天下之政、時有嬰兒主、欲行車。』 (『史記』巻十三、三代世表、) 前漢後半の頃の話では、「漢が興って百余年、燕の地出身の中肉中背の人が天下の政治権力を握り、その当時の幼い天子は車で行こうとする」という怪しい予言があったそうな。 褚先生(褚少孫)は霍光と昭帝のことだと解釈している。 実際には霍光が自分の権力の正当化の一環として流した噂、という感じもしないでもない。

    霍光出現の予言 - てぃーえすのメモ帳
  • 太史公曰 - てぃーえすのメモ帳

    而桓譚新論以為太史公造書、書成示東方朔、朔為平定、因署其下。太史公者、皆朔所加之者也。 (『史記』巻十二、孝武紀注『索隠』) 前漢末の桓譚『新論』によれば、司馬遷が『史記』を東方朔に見せたところ、東方朔は論評を加えて「太史公」を称して書き込んだのだという。 『史記』の巻末にある「太史公曰」は東方朔が作ったものだ、というのである*1。 *1:もちろん司馬遷だと言ってる人もいるし司馬談だと言ってる人もいるし、楊綠作であるという説もある。

    太史公曰 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2013/05/04
    面白いけど…ねえ…。トリックスターは噺に使われるので、信憑性を一段下げちゃう。
  • 東武侯 - てぃーえすのメモ帳

    武帝少時、東武侯母常養帝、帝壮時、號之曰「大乳母」。率一月再朝。朝奏入、有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母、又奉飲糒飧養乳母。乳母上書曰「某所有公田、願得假倩之。」帝曰「乳母欲得之乎?」以賜乳母。乳母所言、未嘗不聽。有詔得令乳母乗車行馳道中。當此之時、公卿大臣皆敬重乳母。 (『史記』巻百二十六、滑稽列伝、褚先生補、郭舎人) 漢の武帝の乳母、東武侯の母は武帝に大変重んじられた。 公田を下賜されたとか、皇帝の専用道路を使う事を許されたとか、相当な特別待遇であったことが窺える。 ところでこの「東武侯」についてだが、『史記』高祖功臣侯者年表によれば「東武侯郭蒙」という者がいるが、彼の血統は郭蒙の子の郭他が呂后六年に継いで景帝六年に処刑されて途絶えたとされている。 『史記正義』などは「東武侯の母」が郭他の母だと考えているようだが、郭他の母ではどう若く考えても文帝の年代になってしまい、武帝即位後も健在で

    東武侯 - てぃーえすのメモ帳
    nagaichi
    nagaichi 2012/08/13
    『史記索隠』では、「東武侯母」の「侯」を姓と取って、「東武(県)の侯母」と解釈しているようだけど。
  • 史聖に溺愛された男項羽

    お菓子っ子 @sweets_street 才能があり過ぎたせいで視点が高くなりすぎて、地道に信頼を唾魏止める努力を怠ったのが敗因だったことに最後まで気づかなかったんだと思います RT @akirakenkian 自分の不甲斐なさを天のせいにしていたのが項羽。 2012-07-17 10:12:45 お菓子っ子 @sweets_street 23歳で挙兵。25歳で秦の主力軍を殲滅。26歳で天下人。30歳で自殺。とんでもない早熟の天才ですよ RT @akirakenkian まあ、でも享年29とかですよね。才能のある人の平均像じゃないかと 2012-07-17 10:20:39

    史聖に溺愛された男項羽
    nagaichi
    nagaichi 2012/07/26
    司馬遷の項羽好きは(良い意味で)異常。
  • 司馬遷を中心とした中国の史家話

    お菓子っ子 @sweets_street @Jiraygyo @bb_sabure @rudel101 後漢から、急に史書が奥歯に物が挟まったような表現しかしなくなるんですよね。前漢までのあっけらかんな表現と違ってて、こそこそやってるようで寂しいですよ(´・ω・`) 2012-07-25 16:54:34 地雷魚 @Jiraygyo 漢書と史記が出来が良すぎた(笑) RT @sweets_street: @bb_sabure @rudel101 後漢から、急に史書が奥歯に物が挟まったような表現しかしなくなるんですよね。前漢までのあっけらかんな表現と違ってて、こそこそやってるようで寂しいですよ(´・ω・`) 2012-07-25 17:03:19

    司馬遷を中心とした中国の史家話
    nagaichi
    nagaichi 2012/07/26
    若い頃にフィールド・ワークしてるのが司馬遷の強み。
  • 西門豹 - 恐妻家の献立表blog

    不勉強といえば、西門豹の話があった。 『史記』「魏世家」に、西門豹(せいもんほう、と読むらしい)という人物がでてくる。『韓非子』によれば、もとは性急な人であったが、ゆるい皮帯を身につけることで、せっかちな気性を直したのだという。『史記』には、前四百年頃、魏の文侯によってこの西門豹が鄴という町の長官に任じられて、その善政が評判になったとある。 『史記』「魏世家」のこの記事は、文侯が子夏に学び、田子方、段干木ら賢人を重用し、臣に優れた人材が多くいたことを述べる文脈のなかで語られていることから、西門豹は有能な文官だったのだろう。 西門豹の善政については、具体的には「滑稽列伝」にあるのだが、岩波文庫では後世の人の加筆ということで訳出されておらず、私はちくま学芸文庫版で読んだ。 史記〈8〉―列伝〈4〉 (ちくま学芸文庫) 作者: 司馬遷,小竹文夫,小竹武夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 199

    西門豹 - 恐妻家の献立表blog
    nagaichi
    nagaichi 2012/01/12
    王鳴盛『十七史商榷』巻六の滑稽伝附もほぼ同じことを指摘してますね。
  • 中国史記に出てくる、名医:扁鵠の説いた「六つの不治の病」について、調べたいのですが、WEB上の検索で上手く探し出せません。... - Yahoo!知恵袋

    中国史記に出てくる、名医:扁鵠の説いた「六つの不治の病」について、調べたいのですが、WEB上の検索で上手く探し出せません。どなたか、道案内をお願い致します。 中国史記に出てくる、名医:扁鵠の説いた「六つの不治の病」について、調べたいのですが、WEB上の検索で上手く探し出せません。どなたか、道案内をお願い致します。

    中国史記に出てくる、名医:扁鵠の説いた「六つの不治の病」について、調べたいのですが、WEB上の検索で上手く探し出せません。... - Yahoo!知恵袋
  • なぜ「史記」には「中山世家」がないのでしょうか?「蛮夷」の国だからダメという事なのでしょうか。それとも、ただ単に資料が無かっただけなのでし... - Yahoo!知恵袋

    なぜ「史記」には「中山世家」がないのでしょうか? 「蛮夷」の国だからダメという事なのでしょうか。それとも、ただ単に資料が無かっただけなのでしょうか? なぜ「史記」には「中山世家」がないのでしょうか? 「蛮夷」の国だからダメという事なのでしょうか。それとも、ただ単に資料が無かっただけなのでしょうか? 一応、あの楽毅の出身地だというのに寂しいです。

    なぜ「史記」には「中山世家」がないのでしょうか?「蛮夷」の国だからダメという事なのでしょうか。それとも、ただ単に資料が無かっただけなのでし... - Yahoo!知恵袋
    nagaichi
    nagaichi 2011/01/11
    資料が足りなかっただけだと思うけどな。
  • medamayaki1_blog(三国志的) 孟達さんは楽毅に似ているのかについて

    孟達さんについて、劉曄伝の注のところに 劉曄伝 ③54,55(劉曄、孟達が裏切るだろうという人物評をしたこと) http://zh.wikisource.org/zh-hant/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B714#.E5.88.98.E6.99.94   傅子曰:   初,太祖時,魏諷有重名,自卿相以下皆傾心交之。   其後孟達去劉備歸文帝,論者多稱有樂毅之量。   曄一見諷、達而皆雲必反,卒如其言。 『傅子』ににいう。 そのむかし太祖の時代、魏諷は高い評判をもち、大臣以下みな彼に心を寄せ、つきあった。 そののち孟達が劉備を離れて文帝につくと、論者のうちには楽毅(戦国時代の燕の名将)の器量があるとたたえる者が多かった。 劉曄は魏諷・孟達を一見するや、いずれも謀反を起こすにちがいないといった。 けっきょくその言葉どおりとなった。 てことで、楽毅の器

  • 自由・恥辱・礼 - heuristic ways

    漢軍が滎陽(けいよう)で楚軍の包囲下に陥り苦境にあったとき、漢王(劉邦)は陳平を呼び、打開策を尋ねる。このときの陳平の答えが、実に遠慮のない、あけすけな、忌憚(きたん)ない物言いで、思わず笑ってしまう。*1 漢王は陳平を呼んだ。「この動乱は、いつになったら落ち着くのだろうか」「項王のもとには、慎み深くて部下思いの人柄を慕って、礼を好む廉節(れんせつ)の士が多く集まります。だが、その項王も論功行賞となると、出し惜しみがはげしく、ために士が離れていってしまう。大王の場合、傲慢不遜(ごうまんふそん)なお振舞が多く、廉節の士は集まりませんが、気前よく爵位や封邑(ほうゆう)をお与えになりますので、変わり者で利につられやすく恥知らずな連中が多く集まっております。両者の短所を去り、長所をあわせてこそ、天下はお指図のままに落ち着きましょうが、大王が相手かまわず人を侮(あなど)られるかぎり、廉節の士は集まっ

    nagaichi
    nagaichi 2010/07/28
    拱手の礼ってのがあるけど、右拳を左掌で抱え込んで、わたしは貴方に敵意を持ちませんよって表れだしね。
  • 司馬遷をめぐって - heuristic ways

    李良枝(イ・ヤンジ)さんは武田泰淳の小説や評論が好きだったらしく、お薦めのの一つに『司馬遷――史記の世界』を挙げていた。私も武田泰淳の『司馬遷』は二十代の頃読んだはずだが、『史記』自体をよく知らない人間なので、大して理解できていなかったと思う。 ただ今回、宮崎市定氏の『史記を語る』を読んで、武田泰淳の描いた悲愴な司馬遷像とかなり印象が違うように感じた。冒頭で武田氏は「司馬遷は生き恥さらした男である」と書き始めるのだが、宮崎氏はこれに対して、そういう結末を招いた司馬遷の行為に「自由人としての誇り」を見出している。 司馬遷は孔子の徒を以て自ら任じた。彼が武帝の強権政治の下で、匈奴と戦って敗れて降参した李陵(りりょう)を救おうとして武帝を諌(いさ)めたのは、自由人としての信念に基づいてやったことである。(中略)この時の司馬遷の行動において、武帝とか、李陵とか、他人に対する配慮よりも、その場にお

    nagaichi
    nagaichi 2010/07/12
    市定翁の解釈は独特だけどええなあ。司馬遷の人物像を分かったつもりになるには、伯夷列伝や刺客列伝や遊侠列伝を読むのがいいと思うよ。