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隋唐に関するnagaichiのブックマーク (175)

  • 「泥のように眠る」の「泥」は生物のことなのか?

    まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。 泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。 泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。 『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えのソースも不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコかクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。 「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』

    「泥のように眠る」の「泥」は生物のことなのか?
    nagaichi
    nagaichi 2024/03/09
    後追い記事書いた→https://nagaichi.hatenablog.com/entry/2024/03/10/101939 ↓文献的には増田説は「民明書房」ではありません。ただし沈如筠『異物志』三巻は逸書なので、逸文が孫孫引きされてる状態かと。
  • 中国・唐の伝奇小説「遊仙窟」 最古の写本、99年かけて後半発見:朝日新聞デジタル

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    中国・唐の伝奇小説「遊仙窟」 最古の写本、99年かけて後半発見:朝日新聞デジタル
  • 隋唐洛陽城の玄武門、千年の時を経て全貌明らかに 河南省

    洛陽市の隋唐代洛陽城遺跡で出土した玄武門の墩台遺構(2020年12月31日撮影)。(c)Xinhua News 【1月22日 Xinhua News】中国河南省(Henan)洛陽市(Luoyang)にある隋唐洛陽城遺跡の発掘調査でこのほど、玄武門の遺構が初めて全貌を現した。同遺構の発見は、唐~宋代の宮城構造や配置を知る上で重要な意義を持ち、中国古代の都城の形状変化や沿革の研究にも役立つという。 中国社会科学院考古研究所・洛陽唐城作業チームのリーダーを務める石自社(Shi Zishe)氏によると、玄武門遺構は隋唐洛陽城遺跡の重要部分であり、これまでの調査で遺構の形状や正確な位置、沿革が分かったという。応天門や玄武門など宮殿建築群の位置関係がはっきりしたほか、隋唐から北宋にかけての宮城の形状変化の特徴や遺構の移動方向も明らかになった。 これまでの発掘で、唐代の門道や墩台(とんだい、基台)、馬道

    隋唐洛陽城の玄武門、千年の時を経て全貌明らかに 河南省
  • 唐修『晋書』職官志の「位従公」について

  • 隋の尚書令の韋孝寛

    nagaichi
    nagaichi 2020/11/23
    楊堅の奪権に最大の貢献をしたのは、韋孝寛ではないか…感もあるものな。
  • 慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録

    最近、衝撃的なニュースが飛び込んできました。かの『論語義疏』の古写の一部が発見されたというのです。 www.keio.ac.jp www.asahi.com 以下のように、既にブログで解説している方もいます。 hirodaichutetu.hatenablog.com 一部上の記事と重なるところもあるのですが、ブログでも、改めて「なぜ研究者が驚いているのか」「どのような価値があるのか」ということをお伝えしたいと思います。 以下、大きく二点に分けて、解説いたします。 1.『論語』の伝来という視点から 『論語』という書物は、おそらく皆さん聞いたことがあると思います。春秋時代を生きた孔子の発言や行いを、その弟子たちが整理して作った言行録で、中国のみならず漢字文化圏のあらゆる地域で重視されてきたです。 ここで少し考えていただきたいのは、「人間の長い歴史の中で、はどのようにして伝わってきたの

    慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録
  • 最古級の「論語」写本を発見 中国でも消失、古書店から:朝日新聞デジタル

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    最古級の「論語」写本を発見 中国でも消失、古書店から:朝日新聞デジタル
    nagaichi
    nagaichi 2020/09/26
    『論語義疏』はもとから全文判明してるんで、現存最古の写本が妙なとこから世に現れましたぜという話ではあるんだけど。
  • 本当のことを言った大臣を左遷した古代中国の皇帝・隋の煬帝 - 🍉しいたげられたしいたけ

    このニュースに関連して… dot.asahi.com 中国古代史のエピソードに似たことがあったような、うろ覚えの記憶があった。秦の胡亥か隋の煬帝じゃなかったかなと思って、手持ちのをちょっと調べてみた。 隋の煬帝のほうだった。 隋の煬帝 (中公文庫BIBLIO) 作者:宮崎 市定 発売日: 2003/03/01 メディア: 文庫 時代背景として、隋王朝末期は、大運河建設など大掛かりな公共事業による国内の疲弊と、不満を外に向けさせるために企てた高句麗遠征の失敗により、中国全土で反乱が相次いでいた。 臆病な人間はまた猜疑心の強いものである。朝廷の大臣や大将を、ほとんど消耗品のように考え、古いものを棄てては新しいものに取りかえてきた煬帝には、ほんとうに信頼できる大臣というものがなかった。このころには、ただひとり残った宇文述ぐらいが相談の相手になっていた。煬帝は地方の反乱のことは、聞くのは怖いが、

    本当のことを言った大臣を左遷した古代中国の皇帝・隋の煬帝 - 🍉しいたげられたしいたけ
    nagaichi
    nagaichi 2020/09/13
    威曰:「他日賊據長白山,今者近在滎陽、汜水。」帝不悅而罷。
  • 「中国の幞頭から日本の冠、烏帽子への変遷」

    古代中国の幞頭(ぼくとう)は、日に導入されて装束の冠や烏帽子に変化していきます。日での頭巾~冠の変遷と描き方まとめはこちら→https://togetter.com/li/754674

    「中国の幞頭から日本の冠、烏帽子への変遷」
  • のろし台遺跡から唐代の古文書や木簡が大量に出土 新疆ウイグル自治区

    【7月17日 Xinhua News】中国新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)文物考古研究所は15日、同自治区バインゴリン・モンゴル自治州(Bayingolin Mongol Autonomous Prefecture)尉犁県(Weili)の克亜克庫都克烽燧(ほうすい)遺跡から唐代の貴重な古文書と木牘(もくとく、文字の書かれた木片)が出土したと発表した。 遺跡は大型砂丘の上に築かれ、烽燧(のろし台)や家屋などの建築物からなる。構造が整い、各種機能を備えた総合軍事施設だったとされる。昨年の発掘調査で砂丘の南、北、東側の斜面から当時のごみ捨て場の遺構が見つかり、多くの遺物が出土した。 同遺跡発掘隊によると、今年6月末までに出土した各種遺物は1100点余り。うち700点余りが古文書と木牘だったという。 発掘隊のリーダーを務めた同研究所の胡興軍(

    のろし台遺跡から唐代の古文書や木簡が大量に出土 新疆ウイグル自治区
  • 第四回「秦王破陣楽」 渡辺 信一郎

  • 成都で古代墓6千基余りが出土、年代幅は「四川の歴史の半分」

    【5月17日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)の成都文物考古研究院は14日、同市南部で戦国時代から明王朝時代にかけての墓葬6千基余りが見つかり、数万点の貴重な遺物が出土したと発表した。 発掘チームのリーダーを務める左志強(Zuo Zhiqiang)氏によると、発掘調査は「シンガポール・四川科学技術イノベーションパーク(新川創新科技園)」の建設に合わせ、同研究院が国家文物局の承認を得て2015年3月から実施した。 数年がかりの調査では多くの成果が得られ、新石器時代末期の住居跡が見つかったほか、墓葬6千基余りが出土した。 墓の種類は主に断崖に横穴を掘った「崖墓(がいぼ)」、岩山の斜面に横穴を掘った「岩窟墓」、塼(せん)と呼ばれるれんがで築いた「塼室墓」などで、土器や陶磁器のほか、銅、鉄、ガラス、石などの素材で作られた遺物が出土した。 中でも「郫(ひ)

    成都で古代墓6千基余りが出土、年代幅は「四川の歴史の半分」
    nagaichi
    nagaichi 2020/05/18
    成都市高新南区の新川創新科技園建築現場で発見された五根松墓地
  • 六朝から隋唐時代の墓葬27基を発見 湖南省藍山県 | 新華社通信

    出土した雁形盉(か、酒器の一種)。(資料写真、長沙=新華社配信/陳斌) 【新華社長沙1月6日】中国の湖南省文物考古研究所は4日、同省永州市藍山県の毛俊ダム建設に伴う住民移転先建設で実施した考古発掘調査で、六朝時代から隋唐時代の墓葬27基を発見したと明らかにした。墓葬からは青磁の盞(さん、茶碗)や銀の箸、かんざし、開元通宝、滑石猪(滑石を豚の形に彫った副葬品)などが出土した。 出土した青磁の盞。(資料写真、長沙=新華社配信/陳斌) 同研究所藍山考古チームの陳斌(ちん・ひん)隊長は「今回見つかった墓葬は数も多く、湘南地域(同省南部)さらには南嶺山脈南北両側地域における墓葬の時代区分の研究や埋葬習俗、文化の交流と伝播を理解する上で新たな考古学的資料となる。藍山県にある南平古城は古くから南嶺山脈の重要な街道上に位置していたが、今回の墓葬27基の発見は、当時の南平と中原地域(黄河中・下流地域)との文

    六朝から隋唐時代の墓葬27基を発見 湖南省藍山県 | 新華社通信
  • 広州市で漢代から清代にかけての墓57基が出土 | 新華社通信

    nagaichi
    nagaichi 2019/12/31
    2番目の画像、典型的な六朝磚室墓やな。江陵を西府というなら、広州は南府といってもいいんじゃないか。わりとマジで。
  • 吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル

    奈良時代の高級官僚で政権中枢で政務を執り、2度も遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)が筆をとったとみられる墓誌(ぼし)(死者の簡単な伝記)が、中国国内でみつかった。所蔵する博物館などが25日、北京で発表した。8世紀前半に真備が留学生として中国滞在中に書かれた可能性が高く、真備の書とすれば国内外で初めて確認されたことになる。中国人の墓誌の銘文を日人が書いたことが確認されたのも初めて。これまで真備の留学生活を探る文献史料は乏しく、古代東アジア関係の実像を伝える貴重な史料として注目される。 墓誌は深圳望野博物館が2013年に入手したもので、長さ35センチ、幅36センチ、厚さ8・9センチの石に計19行、計328字の漢字が刻まれていた。唐王朝で外国使節の接待などをつかさどる「鴻臚寺(こうろじ)」という役所の中級官僚だった李訓(りくん)の墓誌で、開元22(734)年6月20日に死去し、同年

    吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル
    nagaichi
    nagaichi 2019/12/25
    「大唐故鴻臚寺丞李君墓誌銘并序」。中国じゃ全く注目されてない程度の史料なので、日本の東洋史研究者がいなかったら見落とされてたはず。褚思光も張懐瓘「文字論」に出てくる程度のマイナー人物。
  • 建設現場に唐時代の墓 美しい壁画がほぼ完璧に残る 太原

    【8月25日 CNS】中国・山西省(Shanxi)太原市(Taiyuan)の建設現場で16日、古代の墓が発見された。墓の中にある壁画や陶器は、ほぼ原形をとどめていた。 太原市の歴史文化財担当の職員によると、壁画の特徴から唐の時代の墓とみられる。墓の側壁には女性の姿が描かれおり、先頭を歩く女性の足元の位置に碑文が置かれている。 関連研究をしている考古学者が墓に入り、格調査をしていく。 (c)CNS/JCM/AFPBB News

    建設現場に唐時代の墓 美しい壁画がほぼ完璧に残る 太原
  • 唐代の墓誌銘見つかる 1337年の歴史 中国河北省

    【11月14日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)邢台市(Xingtai)臨西県(Linxi)搖鞍鎮(Yaoan)の郷楊黄営村でこのほど、唐代永淳元年(紀元682年)の墓誌銘が農地を整備をしていた村民によって発見された。1337年前のものとみられる。同県の歴史文化専門家は銘文から、三国志で有名な軍師、沮授(Ju Shou)の子孫のものと判断した。 文献資料によると、沮授は後漢末期の名武将、袁紹(Yuan Shao)の幕下にいた軍師。袁紹の配下で青州、并州、幽州を奪取し、河北を統一した。「官渡の戦い」で大敗を喫した後、曹操軍の捕虜となった。その後、河北への脱走を図ったため処刑されたという。 墓誌は青石製の正方形で蓋はなく、47センチ四方、厚さ12センチ。銘文は19行、405字から成る。「行楷」(行書と楷書の中間の書体)で刻まれた文字は滑らかさと流暢さ、および優雅さと力強さを備

    唐代の墓誌銘見つかる 1337年の歴史 中国河北省
    nagaichi
    nagaichi 2019/11/15
    西暦682年の沮義成墓誌。沮義成は唐初の「上柱國」で、「遠祖授,漢靈帝時冀州別駕、監軍、奮威將軍、平鄉侯」。
  • 成都の東華門遺跡、唐代の御苑「摩訶池」の調査進む 四川省

    【7月26日 Xinhua News】中国四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)で22日、成都都市考古学研究会が開かれ、市の中心部で近年調査が進む東華門遺跡のこれまでの発掘成果や最新の調査状況が紹介された。 遺跡では、秦代から魏晋南北朝時代の「成都大城」居住区、隋・唐時代から宋代の「摩訶(まか)池」池苑園林区、明代の「蜀王府」宮殿建築群など戦国時代から明代にかけての遺構が多数見つかっている。 東華門遺跡の考古発掘チームの責任者、易立(Yi Li)氏は、成都市文物考古作業チームが2013年から2019年にかけて同遺跡の発掘調査を行い、青羊区の東華門街から体育センターに至る広いエリアで都市遺構を発見したと説明した。 摩訶池は、隋代(6世紀末~7世紀初め)に建設が始まり、約600年後の宋代に至るまで整備が続けられた。唐代には皇室所有の「皇家園林」とされ、詩人の杜甫(Du Fu)も訪れた

    成都の東華門遺跡、唐代の御苑「摩訶池」の調査進む 四川省
  • 寺院で晩唐期の大規模な陶器堆積を発見 広州

    広州大仏寺南院プロジェクト建設現場の発掘調査で見つかった晚唐期の大規模な陶器の堆積。広州市文物考古研究院提供(2019年6月17日撮影)。(c)Xinhua News 【7月5日 Xinhua News】中国広東省(Guangdong)広州市(Guangzhou)の文物考古研究院は6月29日、市内の大仏寺南院プロジェクト建設地で緊急性の考古学調査と発掘を実施したことを明らかにした。唐や五代、宋、明、清各時期の文化遺構が見つかり、晩唐や五代、宋代の多くの遺物が出土した。 考古スタッフによると、今回の調査発掘での最も重要な発見は、晚唐期の大規模な陶器の堆積と五代南漢期の大規模なレンガ敷き地面だという。 晚唐期の陶器の堆積は不規則な灰坑(かいこう)状の遺構で見つかった。坑内には大量の陶器と施釉陶器が集中して埋まっており、壜(たん、液体を入れるつぼ)や罐(かん、広口のつぼ)、椀(わん)、執壺(しっ

    寺院で晩唐期の大規模な陶器堆積を発見 広州
  • 中国で鑑真6度目の渡航の出発地点が判明 寺院遺構は唐招提寺に酷似

    【4月9日 Xinhua News】中国江蘇省の南京博物院考古研究所は3日、長年にわたる発掘と研究により、蘇州市張家港の黄泗浦(こうしほ)遺跡が鑑真の6回目の日への渡航の出発地であることをおおむね確定したことを明らかにした。出土した唐代の寺院建築の遺構と日の唐招提寺は非常に良く似ているという。 唐代の長江河道南岸に隣接する遺跡は2008年に発見され、範囲面積120万平方メートル。主に六朝時代から唐、宋代にかけての遺構が見つかった。 考古研究者は、長年にわたる発掘で得られた成果と鑑真の日渡航の顛末を記した「唐大和上東征伝」などの史料の記載との比較研究により、遺跡が唐・宋代にはにぎやかな港町であり、鑑真の6回目の日への渡航の出発地点、海のシルクロードの重要な結節点であったことを確認した。当時の社会生活の研究のみならず、仏教や寺院建築、港湾史、外交史などを研究する上でも重要な意義を持つと

    中国で鑑真6度目の渡航の出発地点が判明 寺院遺構は唐招提寺に酷似
    nagaichi
    nagaichi 2019/04/10
    2018年度の中国十大考古新発見には日本史がらみの遺跡が2カ所入選していて、これはそのひとつだな。