人類の歴史の大半は海の底に隠されているといっていい。世界中に沈んでいる海底遺跡には、古代人が住んでいた場所や彼らがどのように危険で不安定な海を渡って新天地へ移ったかについてよく理解できる遺物の山が眠っている。 イタリア、ローマ近郊、地中海の沿岸集落の湖の底から5隻の木製の船(カヌー)が発見された。これらの船は新石器時代の人々が7,000年以上前に地中海で漁業や輸送に使っていたことがわかった。 この発見は、古代の人々の高度な海を使用する技術を示したものである。
京都の古い資料を見ていると京都盆地はかつて湖だったといいう文言をよく目にします。奈良盆地に関しても、以前の関西高低差大学の講義終了後の質疑応答で、「奈良盆地には、万葉集が詠まれた時代に湖があったのですか?」という質問があり、「湖と呼べる規模のものがあったかは懐疑的だが、今度調べてみますね」とお答えし、私・新之介の宿題になっていました。地形のなりたちを遡っていくと京都や奈良にも海水が侵入した時期がありましたが、それらは何十万年も前の話で、インターネット上にはその痕跡として湖が残っていたというような記事が存在しているようです。今回は、学校では教えてくれなかった京都盆地や奈良盆地の湖のお話です。 まずは大阪層群の変遷のはなし大阪平野や京都盆地、奈良盆地などの地下には、「大阪層群」と呼ばれる地層が存在しています。礫・砂・粘土を主とする厚い地層で、その中に「海成粘土層」と呼ばれる地層が複数存在し、そ
要塞全体に張り巡らされた防衛用の地下トンネル 内モンゴル自治区にある後城嘴で、最近発見された地下トンネルの深さは、1.52mから6.06mまでさまざまで、トンネル内部の高さはおよそ0.91mから1.82m、幅は1.21mだと発表された。 地下トンネルへの入口 / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network 中国社会科学院(CASS)経由の内モンゴル自治区文化財・考古学研の発表によると、これらトンネルの一部は町の防御壁の下に広がっていて、外へと通じる通路となっているという。 青い点線で示されたところがTD1とTD2トンネル / image credit:Chinese Academy of Social Sciences / China Archaeology Network 後城嘴の
鹿児島県出水市の六反ケ丸遺跡で、約2200~2300年前(弥生時代中期)の鹿児島県内最古となる木製の弓4張が見つかった。県内では酸性のシラス土壌により腐食するため木製品の遺物が残ることは珍しく、弓ではこれまで楠元遺跡(薩摩川内市)の弥生時代末の出土品が知られていた。専門家は「国内における弓の発達過程を考える上で貴重な資料になる」としている。 弓は地表から深さ約4メートルの水分を多く含む層の中で、腐食を免れた状態で見つかった。4張のうち最も大きなものは長さ87.9センチ、小さなものは長さ46.1センチで、幅は2.2~2.7センチだった。弓の端に弦をかける「はず」や、「樋(ひ)」と呼ばれる中央のくぼみが確認できた。このほか、弓の一部とみられる木製品1点もあった。県考古学会の堂込秀人会長は「当時の弓は銅鐸(どうたく)や絵画土器に描かれてはいるが、その形状を実物で具体的に確認できる。大きな成果だ」
『負債論』『ブルシット・ジョブ』のグレーバーの遺作、ついに邦訳。「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー。考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく新・真・世界史!私たちの祖先は… 『負債論』『ブルシット・ジョブ』のグレーバーの遺作、ついに邦訳。 「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー。 考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく新・真・世界史! 私たちの祖先は、自由で平等な無邪気な存在(byルソー)か、凶暴で戦争好きな存在(byホッブズ)として扱われてきた。そして文明とは、本来の自由を犠牲にする(byルソー)か、あるいは人間の卑しい本能を手なずける(byホッブズ)ことによってのみ達成されると教えられてきた。実はこのような言説は、18世紀、アメリカ大陸の先住民の観察者や知識人たちによる、ヨーロッパ社会への強力な批判に対するバックラッシュとして初めて登場したものなのである。 人類の歴史は、これまで
デンマークのシルケボー近くの泥炭地で発見されたトーロンマンの穏やかな死に顔の裏には、約2000年前の暴力的な死因が隠されている。同じ泥炭地の中で保存されていた革紐は、彼が絞殺されてから湿地に投げ込まれたことを示唆している。(ROBERT CLARK/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) 1640年にドイツのホルシュタイン地方で初めて発見されて以来、まるで生きているかのようなヨーロッパの「湿地遺体」は人々を魅了し続けてきた。アイルランド、英国、ドイツ、オランダ、ポーランド、スカンジナビア、バルト三国から、これまでに約2000体を超える湿地遺体が発見されている。だが、2023年1月10日付けで考古学の学術誌「Antiquity」に発表された画期的な論文は、この数字は控えめで、実際の数ははるかに多いかもしれないと推定している。 湿地遺体は私たちに、遠い過去と
中国西部、新疆ウイグル自治区のタリム盆地で、この写真のような墓地がいくつも見つかり、そこから数百体ものミイラ化した遺体が発掘された。(PHOTOGRAPH BY WENYING LI, XINJIANG INSTITUTE OF CULTURAL RELICS AND ARCHAEOLOGY) 数百体のミイラは、数千年の時を経てもなお生き生きとした姿をとどめていた。保存状態のよい髪型、服、はるか昔に消滅した文化の装具などから、中国西部、新疆ウイグル自治区のタリム盆地で発掘された彼らは、ヨーロッパからやってきたインド・ヨーロッパ語族の人々と考えられていた。 ところが意外なことに、DNA分析の結果、この集団はタリム盆地に元から住んでいた人々で、周辺地域のほかの集団からは遺伝的に隔離されていたことが明らかになった。こうしてタリム盆地のミイラの謎はますます深まり、その文化的習慣や日常生活、人類が世
上山考古遺跡公園に展示されている1万年前のイネ(2020年11月13日撮影)。(c)Xinhua News 【11月18日 Xinhua News】中国浙江省(Zhejiang)金華市(Jinhua)で14日閉幕した「上山遺跡発見20周年学術シンポジウム」で、約1万年前の上山文化が世界の稲作文化の起源であることが確認された。 上山遺跡は2000年、同市浦江県(Pujiang)で発見された。8600年~1万1400年前の遺跡で、約1万年前の炭化したイネが出土している。同遺跡に属する文化は2006年、正式に上山文化と命名された。遺跡の発掘調査を指揮した浙江省文物考古研究所の蒋楽平(Jiang Leping)研究員によると、上山文化に属する遺跡はこれまで19カ所見つかり、早期稲作が行われていたことを示す証拠も数多く出土したという。 シンポジウムは中国考古学会、浙江省の文化・観光庁と文物局、金華市
ピラミッドと聞けば、大半の人はエジプトを思い浮かべるでしょう。 しかし実は、世界最古のピラミッドが存在するのはエジプトではありません。 現在、最も古いピラミッドの筆頭とされるのは、インドネシア西ジャワ州にある「グヌン・パダン(Gunung Padang)遺跡」です。 インドネシア国立研究革新庁(BRIN)はこのほど、過去十数年のフィールドワークの結果を踏まえた最新報告を行いました。 それによると、グヌン・パダンの建造年代は最も古い部分で少なくとも1万6000年前、最大だと2万7000年前と推定されたという。 これはエジプトのピラミッドのみならず、世界最古の巨石遺構である「ギョベクリ・テペ(トルコ)」よりも遥かに古い可能性を示すものです。 研究の詳細は、2023年10月20日付で学術誌『Archaeological Prospection』に掲載されています。
トルコ南東部にある新石器時代のカラハン・テペ遺跡で2023年9月に行われた発掘調査により、「ペニスを握る約1万1000年前の男性の像」が発見されました。また、同時に行われたカラハン・テペ遺跡の姉妹遺跡であるギョベクリ・テペ遺跡の発掘調査では、顔料が残った等身大のイノシシの像も見つかっています。 TARİHİN SIFIR NOKTASINDA İLK BOYALI HEYKEL BULUNDU https://basin.ktb.gov.tr/TR-350158/tarihin-sifir-noktasinda-ilk-boyali-heykel-bulundu.html New Statues and Fresh Insights from Karahan Tepe and Göbekli Tepe | Ancient Origins https://www.ancient-origin
皆さんは「サン・ベレク石板(Saint-Bélec slab)」という歴史的遺物をご存知でしょうか。 これは1900年にフランス北西部ブルターニュ地方で見つかった石碑で、約4000年前の青銅器時代のものであることが分かっています。 一方で、120年以上前に見つかっていたにも関わらず、今日まで詳しい調査がほとんどされてきませんでした。 そんな中、フランスの西ブルターニュ大学(UBO)およびフランス国立科学研究センター(CNRS)の最新調査により、サン・ベレク石板は失われた遺構のありかを示す”宝の地図”である可能性が浮上したのです。 考古学者らは今、この地図をもとに宝探しをするというインディ・ジョーンズの世界に飛び込もうとしています。 Strangely Engraved Rock Is Giant ‘Treasure Map’, Archaeologists Say https://www.
トルコにある新石器時代の遺跡「ギョベクリ・テペ」と、その姉妹遺跡「カラハン・テペ」で、新たに人間や動物をかたどった彫像が発見された。 これらの遺跡は11,400年前から1万2000年前に作られたもので、世界四大文明よりも圧倒的に古く、世界最古の神殿とされている。 ギョベクリ・テペから発見されたのは、彩色された実物大のイノシシの像、カラハン・テペで発見されたのはイチモツを握りしめたリアルな表情の人物像などだ。 いずれも当時の人々の文化や暮らしを垣間見せてくれるユニークで貴重な発見である。
研究者らは以前から英国のゴフ洞窟でカップ形の頭蓋骨を発見していた/Derek Adams/Trustees of the Natural History Museum (CNN) およそ1万5000年前の欧州では、葬儀の習慣として死者の肉を食べる人肉食が一般的に行われていたという研究結果が、このほど学術誌に発表された。 英イングランドのゴフ洞窟ではこれまでにも、かじられた痕跡がある人骨やカップ形に加工された頭蓋骨(ずがいこつ)が見つかっている。しかし今回の研究では、欧州各地にそうした習慣があったことが分かった。 英ロンドンにある自然史博物館の研究チームは、後期旧石器時代の1万1000~1万7000年前に栄えたマグダレニアン文化の遺跡を調査。文献を調べて人骨が出土している59遺跡を特定した。遺跡はフランスを中心に、ドイツ、スペイン、ロシア、英国、ベルギー、ポーランド、チェコ、ポルトガルに点在
かつて、あらゆる人類は動植物の狩猟や採集を生活基盤とする狩猟採集社会を築いていましたが、新石器時代における新石器革命(農耕革命)によって、一部の社会は農耕を基盤とする農耕社会へと移行しました。この狩猟採集から農耕への移行について、「約1万2800年前に起きた彗星(すいせい)の衝突」が原因だとする研究結果が報告されています。 A prehistoric cosmic airburst preceded the advent of agriculture in the Levant | ScienceDaily https://www.sciencedaily.com/releases/2023/10/231003173447.htm Abu Hureyra, Syria, Part 3: Comet airbursts triggered major climate change 12,80
(CNN) スペイン南部の洞窟で調査を行っていた研究者らが、古代人の埋葬人骨が後世の人々によって掘り起こされ、加工され、道具としても使用されていた証拠を発見した。 スイスのベルン大学の科学者らが率いる研究チームは、スペイン南部のグラナダ市近郊にあるマルモレス洞窟から出土した人骨を調査した。 調査の結果、紀元前5000年から紀元前2000年の間に埋葬された、少なくとも12体の人骨であることが判明。「骨髄やその他の組織を採取しようとした結果生じたと思われる骨折や擦り傷などがあり、死後、骨に意図的に手が加えられていた」と、9月20日に発表されたニュースリリースには記されている。 これに加え、脛骨(けいこつ)の一つは道具として使用するために加工されたようだ。 「まず脛骨が折られ、そのかけらの一端が何らかの物質を削るのに使われた」と、研究著者であるベルン大学の自然人類学研究員、マルコ・ミレラ氏は21
中国西部、新疆ウイグル自治区のタリム盆地で、この写真のような墓地がいくつも見つかり、そこから数百体ものミイラ化した遺体が発掘された。(PHOTOGRAPH BY WENYING LI, XINJIANG INSTITUTE OF CULTURAL RELICS AND ARCHAEOLOGY) 数百体のミイラは、数千年の時を経てもなお生き生きとした姿をとどめていた。保存状態のよい髪型、服、はるか昔に消滅した文化の装具などから、中国西部、新疆ウイグル自治区のタリム盆地で発掘された彼らは、ヨーロッパからやってきたインド・ヨーロッパ語族の人々と考えられていた。 ところが意外なことに、DNA分析の結果、この集団はタリム盆地に元から住んでいた人々で、周辺地域のほかの集団からは遺伝的に隔離されていたことが明らかになった。こうしてタリム盆地のミイラの謎はますます深まり、その文化的習慣や日常生活、人類が世
ぬまがさワタリ @numagasa 人間、客観的にみると他の哺乳類の子ども向けの母乳(a.k.a牛乳)をがぶがぶ飲み倒してるヤバい動物と言えるのだが、いつからそんな奇行に走り始めたのか…という問い。人間の7割近くはミルクに含まれる乳糖をうまく分解できないという数字も何気にスゴイ。そこまでして…! natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/0… 2023-09-19 20:44:45 ぬまがさワタリ @numagasa 人類が動物の乳を飲み始めた奇行の歴史は長く、最古の証拠は9000年前に遡る。トルコで陶器の破片から乳脂肪の痕跡が発見。以降、遊牧民の貴重なエネルギー源として不可欠な飲料となった。乳糖を分解できる遺伝子変異を持つ人は有利だったと思われるが、遺伝子が広まる前からミルクは人気だった不思議。 2023-09-19 20:52:33
約4万年前に絶滅してしまったヒト族ネアンデルタール人には死者を弔う文化があったと言われています。 さらに彼らには埋葬した死者たちに花が供える文化もあったと言われています。 ところが今回、英リヴァプール・ジョン・ムーア大学(LJMU)の研究により、埋葬地に見つかっていた花の痕跡はどうやら彼ら自身の手で置かれたものではなかったことが明らかになりました。 研究者たちに長年「ネアンデルタール人に花葬文化がある」と信じ込ませていた真の犯人は、”土に巣を掘るハチ”だったようです。 研究の詳細は、2023年8月28日付で学術誌『Journal of Archaeological Science』に掲載されています。 Neanderthals did not bury dead with flowers – research https://www.ljmu.ac.uk/about-us/news/art
2023年現在、世界の人口は80億人を上回り、地球の環境や社会に対するプレッシャーが日増しに高まっています。 しかし、今でこそ増え続ける人類ですが、ニューヨーク市マウントサイナイ医科大学(Icahn School of Medicine at Mount Sinai:ISMMS)のワンジー・フー氏らの国際研究チームは、「約100万年前、人類は絶滅の危機に瀕し、10万年以上もの間、世界の人口はわずか約1300人程度で推移していた可能性がある」と指摘しています。 また、この絶滅危機は、私たち現生人類だけでなく、絶滅したネアンデルタール人やデニソワ人の進化にも影響を与えた可能性があるようです。 一体当時の人類に何があったのでしょうか。 今回の研究の詳細は、2023年8月31日付で科学誌『Science』に公開されています。
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