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思想とアジアに関するnagaichiのブックマーク (7)

  • この復元には、従来のヘーゲル「歴史哲学」を覆すインパクトがある(伊坂 青司) | 現代新書 | 講談社(1/2)

    歴史哲学」への毀誉褒貶 ヘーゲルのいわゆる「歴史哲学」は、これまで一般にどのようにイメージされてきただろうか。 ヘーゲル哲学への分かりやすい入門書とされる反面で、アジアを低く見るヨーロッパ中心主義の歴史観とか、理性法則に基づいた楽天的な進歩史観として揶揄されるというように、毀誉褒貶の相反する評価が入り乱れてきた。 『歴史哲学』の分かりやすさは、『精神現象学』や『論理学』のようなヘーゲル自身による著作ではなく、複数の聴講者による講義筆記録をもとに編集されたテキストという性格にある。 これまで一般に使用されてきた旧版テキストは、彼の死後、ヘーゲル全集の中の1巻として講義筆記録をもとに編集されたものである。 実はこの編集が曲者で、E・ガンスの責任編集による『歴史哲学』第1版(1837年)は、10年弱の間に隔年で5回講義されたうちの最終回講義(1830/31年)をベースにしながら、しかし複数の筆

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  • ASIAN MUSIC NETWORK

    HOME ARVHICE 来たるべき「非在の音」に向けて――特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から 細田成嗣 来たるべき「非在の音」に向けて――特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から 細田成嗣 「民俗」(folk)や「未開」(primitive)という用語と同様に知識階級の自民族優越思想の跡をとどめている「民族的なもの」(ethnicity)について語るのではなく ――ホセ・マセダ(1) 東洋とか西洋とかいうことばは、漠然たる位置と内容をあらわすには、たいへん便利なことばだけれど、すこし精密な議論をたてようとすると、もう役にたたない。 ――梅棹忠夫(2) 考えてみれば、「アジア論」とは、ヨーロッパが思いつきで与えたオリの中でのからさわぎのことではないだろうか ――田中克彦(3) (1) ホセ・マセダ『ドローンとメロディー 東南アジアの音楽思想

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  • 「6月4日」を前にしてー劉暁波のために : 子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-

    劉暁波のために、劉暁波に代わって ー天安門事件と「08憲章」を一つにする存在      子安宣邦 [これは『天安門事件から「08憲章」へー劉暁波・中国民主化のための闘いと希望』(藤原書店、2009年12月刊)の序文として書かれたものである。「64」という数字さえネット上に登場することを許さない中国では「天安門事件」も「劉暁波」も忘却することを強制されている事件であり、名前である。そのような強制のないはずの日でも、それらは忘れ去られているようである。だが隣国中国における苦闘する民主化運動に関心をもつことの薄い日人にもともと忘れ去るようなものとして「天安門事件」も「劉暁波」も存在しなかったのかもしれない。とすればそれは日における民主主義の決定的な弱さであり、欠点でもあるだろう。やがてくる6月4日を前にして2009年の文章をここに再録したのは、われわれの民主主義が中国の、台湾の、そして韓国

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  • 右も左も「脱近代」に魅せられている不思議

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    右も左も「脱近代」に魅せられている不思議
  • 台湾のひまわり運動と柄谷行人の「無節操」、あるいは実体化される「アジア」 - 梶ピエールのブログ

    もう1か月前に出た出版物に関するものですが、ブログ「路上の人」の連載に書いたこととも関連するので、とりあえず公開しておきます。 社会運動2014.11 No.415 作者: 柄谷行人、津島佑子、小熊英二、青木理,-出版社/メーカー: インスクリプト発売日: 2014/11/17メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る タイトル通り市民運動関連の原稿を集めたムック『社会運動』最新号で、「新しい対抗運動の可能性」と題した台湾のひまわり学生運動(学運)の特集が組まれている。特集は、今年の夏にひまわり学運―「ひまわり革命」という用語は感心しない―を支持してきた台湾の知識人二人を迎えて行われたシンポジウムの抄録と、丸川哲史による論考からなっている。ちなみに、シンポジウムの参加者である港千尋は、学生達による立法院選挙に関する豊富な写真をあしらったルポルタージュ『革命のつくりかた』の著者

    台湾のひまわり運動と柄谷行人の「無節操」、あるいは実体化される「アジア」 - 梶ピエールのブログ
  • 石橋湛山の外交戦略by姜 克實

    姜 克實先生は尊敬している思想史研究者です。特に石橋湛山研究では毎回示唆を得ることが大きいのです。今回の『週刊東洋経済』の論説「紛糾する対中関係どう構築し直すか」も勉強になります。 尖閣諸島問題で最大の問題は、それが「国民感情の対立、ナショナリズム合戦に拡大したこと」と姜 克實先生は指摘します。そして湛山が生きていれば、1)国民にナショナリズムの自粛を呼びかけ、2)相手の懐に飛び込んで誠意を持って誤解の解消に努める、3)国際社会の正常運営のため、まず自国の欲望を抑制する、などを主張すると述べています。おそらくそうでしょおう。 ナショナリズムは自国位の教育の産物であり、国境・民族が存在するときにこれを教育で抑制するのは不可能だろう。となると国際間のナショナリズムの対立を避け、できるだけ外交問題は外交の場で解決し、国民の感情に任せないことである、と姜 克實先生は指摘しています。 しかし問題の

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  • 平野義太郎と講座派マルクス主義のアジア停滞論 - 梶ピエールのブログ

    http://www.21ccs.jp/soso/chinateki/chinateki_31.htmlより。 平野義太郎は、同論文において、アジアにおける停滞が、アジア的農業社会に起因していること、そしてそのアジア的農業社会の基底が、アジア的専制主義と強く結びついていることを力説する。平野はマルクスも、そしてウィットフォーゲルの名をあげることなく、主にモンテスキューを論じることで、アジア的専制主義の物質的基礎が、灌漑排水の大土木事業にあること、すなわちアジア的生産様式にあることを論じている。 当前、このアジア的専制主義、そしてその物質的基礎、さらに今日風に言えば、アジア的専制主義を成立させ、それを維持せしめているエコ=システムの下にあったのは、インドや中国ばかりでなく、日もまた、そうであった。上記の目次から知られるごとく、平野はアジア的農業社会のコンテキストにおいて、日の農業社会を分

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