タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

近世と宗教と近代に関するnagaichiのブックマーク (2)

  • 下層民が救済を求める「千年王国運動」の事例 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ヨーロッパ、南米、南アジアの千年王国運動 前回の記事では、千年王国運動の起源と世界中への伝播について説明しました。 まだご覧になっていない方はこちらからどうぞ。 今回はいつどのような背景で、どんな運動が起こったかを具体的に説明していきます。 なお、以下に挙げるのはかつて発生した千年王国運動のごくごく一部であることをご承知おきください。 1. ミュンスターの反乱(ドイツ) 再洗礼派によるミュンスターの支配 再洗礼派(アナパブテスト)は、カトリックやプロテスタントの幼児洗礼を批判し、成人した後の信仰告白による洗礼を行う一派です。幼児洗礼を受けた人物は、再度成人後に洗礼を受けさせるため、再洗礼派と呼ばれます。 宗教改革の流れを受け、1533年2月、カトリックのミュンスター司教の抵抗を退け、ミュンスター市に福音主義体制が確立しました。するとすぐに、市の説教師ロートマンとその仲間が幼児洗礼を批判し始

    下層民が救済を求める「千年王国運動」の事例 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう(堀井 憲一郎) @gendai_biz

    大浦天主堂を建てたのは誰か? 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産への登録が決定された。 ニュース映像では、たびたび教会の映像が流れていた。大浦天主堂や黒島天主堂である。 見逃しそうなところだけれど、しかし考えてみると、奇妙な取り合わせである。 「潜伏キリシタン」はキリスト教徒であることを隠し、「潜伏」していたから(表面上は仏教徒であったから)潜伏(隠れ)キリシタンなのであって、その文化に「どこから見てもキリスト教の象徴」である教会は存在しないはずだ。 日独自の文化である潜伏キリシタンと、大浦天主堂は、来は直接関係がない。大浦天主堂は潜伏キリシタンが建てたものではない。 しかしニュース映像では、教会を映したいのだろう。日人が見たときに、あ、キリスト教徒の文化が登録されるのだ、とわかりやすい。 大浦天主堂は、フランス人が自分たちのために長崎に建てた教会堂である。 建てら

    「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう(堀井 憲一郎) @gendai_biz
    nagaichi
    nagaichi 2018/07/01
    「キリスト教信仰解禁の年、というのは、政府の公式発表を追う限り、日本史上、存在していない」「1873年の日本政府には『もとよりキリスト教を黙許するという意思はない』のである」
  • 1