タグ

韓国と考古に関するnagaichiのブックマーク (11)

  • [独自]韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見

    1500年余り前に日からソウルに移ってきた技術者をはじめ、倭の移住民が工房などの生産活動に従事していた事実が明らかになった。最近、彼らが暮らしながら墓に使う葬儀用品として使ったと推定される日特産の土器が相次いで確認されたためだ。 大韓文化財研究院は6日、今日のソウルである漢城に百済王朝が都を置いた漢城百済時代(西暦18年~西暦475年)の官営土器窯関連遺跡(京畿道城南市福井洞(ソンナムシ・ポクジョンドン))から、古代日の権力層の大型墓を飾った土器装飾遺物の「埴輪(はにわ)」を初めて発見したと明らかにした。大韓文化財研究院は地中の文化遺産を発掘・調査する機関だ。 埴輪は5世紀前半の古代日の典型的な装飾型土器で、主に円筒形のものと動植物形の象形造形物、家などの住宅造形物などに分けられる。今回発掘されたのは円筒形で外壁に穴を開けた5世紀の造形物だ。 城南市福井洞の百済土器窯関連遺跡の廃棄

    [独自]韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見
    nagaichi
    nagaichi 2024/03/08
    現在の日本人も近年の説では先住系縄文人・渡来系弥生人・渡来系古墳人の混血といわれており、列島型古墳を作る古墳人が半島に住んでいたところで驚くに値しない。現在の国境で古代の人々の移動を考えるのは無意味。
  • 日本との交流もあった謎多き王国群「加耶」 国立歴史民俗博物館で企画展 | おたくま経済新聞

    古代の朝鮮半島に存在し、日との交流もあった王国群「加耶」。謎が多く、古代日の国際関係にも大きく関わる加耶の考古遺物を展示する日韓国の国際企画展示が、2022年10月4日より千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で始まりました。開幕を前に報道内覧会が行われたので、一足早く見学してきました。 加耶は日列島における古墳時代の3世紀~6世紀ごろにかけ、かつて日史の教科書で「任那」とされていた朝鮮半島南部に存在した王国群の総称。今回は大韓民国国立中央博物館と日の国立歴史民俗博物館、九州国立博物館が協力し、大韓民国指定宝物を含む加耶の貴重な考古遺物を220点あまり展示します。 当初は2020年の夏に開催する予定でしたが、折悪しく新型コロナウイルス禍で延期になっていました。2年の時を経て、ようやく企画展示が実現したのです。 内覧会に先立ち、今回の展示プロジェクト代表を務める国立歴史民俗博物館の高

    日本との交流もあった謎多き王国群「加耶」 国立歴史民俗博物館で企画展 | おたくま経済新聞
  • 韓国語の起源は9000年前、中国北東部・遼河の農耕民

    韓国語の起源は9000年前、中国北東部・遼河の農耕民 【サイエンス・カフェ】ネイチャー誌にチュルク語・モンゴル語・日語を含むトランスユーラシア語起源発表 韓国語がチュルク語・モンゴル語・日語と共に9000年前の新石器時代、中国東北部で暮らしていた農耕民から始まったことが明らかになった。これまでは、それよりはるか後に中央アジア遊牧民が全世界に移住して同様の体系を持つ言語が広がったと言われていた。 ソウル大名誉教授「古朝鮮こそ東洋文明の起源、黄河文明にも影響与えた」 ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所のマーティン・ロベーツ博士研究陣は「言語学と考古学、遺伝学の研究結果を総合分析した結果、ヨーロッパから東アジアに至るトランスユーラシア語族が新石器時代に中国・遼河一帯でキビを栽培していた農耕民たちの移住の結果であることを確認した」と11日、国際学術誌「ネイチャー」で発表した。 ■母音調

    韓国語の起源は9000年前、中国北東部・遼河の農耕民
    nagaichi
    nagaichi 2021/11/14
    9000年前って、興隆洼文化より古いんだよなあ。トランスユーラシア語族の遼河農耕民起源説の考古的な裏づけを取るのは、少し待たないといけないかもしらん。
  • 朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は

    [ノ・ヒョンソクの時事文化財] 長鼓峰古墳をめぐり考古学界で騒ぎに 日の古墳に似た構造や祭祀の跡をめぐり議論 「追加発掘後に一般公開」とし、再び埋める 墓の被葬者は百済の統制を受けた倭人? 日の右翼が任那日府説の根拠にすることを懸念 最近発掘調査された全羅南道海南郡北日面方山里の長鼓峰古墳内部の石室。遺体を置く部屋への入口の玄門が正面にみえ、平らな板石をいくつか置いた床と砕いた石を整然と積んだ石室の壁面が見える。1990年代までに2回盗掘され、内部の遺物は大部分が失われた//ハンギョレ新聞社 朝鮮半島で最大の古代の単一の墓が、新年の初めについに開かれた。考古学者らは5~6世紀の日の古墳とそっくりな墓の構造に驚き、すぐに土で覆われ再び埋められてしまったことにがっかりした。今年1月、国土最南端の海南(ヘナム)から聞こえた墓の発掘に続く覆土のニュースは、メディアには公開されなかったが、韓

    朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は
    nagaichi
    nagaichi 2021/03/26
    遺跡が埋め戻されるのは、だいたいは保存のためだし、珍しいケースではないのだが、妙な観測がその筋で流れてるなあ。国問わず中小の古墳は開発で破壊されるケースも少なくないので、それよりは余程マシかと思われ。
  • 17世紀のミイラから発見された寄生虫の卵。カニかザリガニの生食が原因(韓国) : カラパイア

    韓国で発見された御歳375歳になるミイラの肝臓には、カニの生が原因と思われる寄生虫感染症があったそうだ。 1642年に享年63歳で没したジン・リー(Jing Lee)は、現在の韓国清道群にあたる場所に埋葬された。考古学者によって極めて保存状態の優れた彼の遺体が発掘されたのは、2014年のことだ。

    17世紀のミイラから発見された寄生虫の卵。カニかザリガニの生食が原因(韓国) : カラパイア
  • 新羅時代の王宮に人柱? 人骨2体発見、韓国では初:朝日新聞デジタル

    5世紀前後の韓国・新羅時代の王宮の基礎部分から人柱とみられる人骨2体が見つかった。韓国文化財庁が16日、発表した。同庁は、韓国で人柱を考古学的に発見した初めての事例としている。 人骨が見つかったのは、韓国南東部、慶尚北道慶州(キョンサンプクトキョンジュ)の月城(ウォルソン)史跡。5世紀前後、盛り土で造られた西側の城壁の基礎部分に、寄り添うように横たわっていた。仰向けの人骨は男性で、横向きの人骨の性別は確認中という。顔のあたりに樹皮が付着していた。 同庁によれば、人柱の習慣は、紀元前17~同11世紀ごろの中国で確認されていた。韓国では建物や堤防を造る際に人柱が供されたという言い伝えがあったが、実際に確認されたのは初めてという。 同庁関係者は人骨の状態につい…

    新羅時代の王宮に人柱? 人骨2体発見、韓国では初:朝日新聞デジタル
  • 時事ドットコム:高麗の遺跡で金属活字出土=南北共同発掘調査−北朝鮮・開城

    高麗の遺跡で金属活字出土=南北共同発掘調査−北朝鮮・開城 北朝鮮の開城で発掘調査中に出土した高麗時代のものとみられる金属活字(南北歴史学者協議会提供) 【ソウル時事】北朝鮮南西部・開城で韓国北朝鮮が共同で行っていた遺跡の発掘調査で、高麗王朝時代(918〜1392年)に製造されたとみられる金属活字1個が出土した。  高麗では世界最古とされる金属活字による印刷が行われていたことが知られている。高麗時代のものとみられる金属活字はこれまで2個見つかっていたが、発掘調査中に出土し、出土の経緯や場所が明確なのは初めてという。  発掘調査を担当した韓国の民間団体「南北歴史学者協議会」によると、金属活字は11月14日、高麗の王宮、満月台の遺跡で出土した。縦1.3センチ、横1.36センチ、厚さ0.6センチで、「※(※=女ヘンに專)(セン)」とみられる文字がかたどられている。  協議会の崔光植委員長は製造時

    時事ドットコム:高麗の遺跡で金属活字出土=南北共同発掘調査−北朝鮮・開城
  • 「世界最古の金属活字」が20世紀の人工元素を含有 Chosun Online | 朝鮮日報

    韓国最大の発行部数を誇る朝鮮日報の日語ニュースサイト。朝鮮日報の主要記事をはじめ、社会、国際、北朝鮮政治、経済、スポーツ、芸能など、韓国の幅広いニュースを速報で届けています。

    「世界最古の金属活字」が20世紀の人工元素を含有 Chosun Online | 朝鮮日報
    nagaichi
    nagaichi 2015/11/17
    ウラン238の自発核分裂により生じるらしいので、全く「自然界には存在していない」わけではないようだが、きわめて稀少な元素には違いなく、「2.62%も含まれていた」のは不可解。分析ミスの可能性が高いのでは。
  • 仁川市桂陽山城から、一帯の地名を指す「主夫吐」銘文瓦が大量に出土 - 歴歩

    (財)民族文化遺産研究院は30日、去る5月18日以後、古代城郭の桂陽山城(계양산성)の北門場所と推定される一帯を対象に第4次桂陽山城学術発掘調査を行った結果, 「主夫吐」という銘文瓦(명문기와)100点余りを発掘したことを明らかにした。 「主夫吐」銘文瓦は去る2005年鮮文大考古研究所が実施した第2次桂陽山城発掘調査でも1,2点が確認されている。 これら銘文瓦はその製作技法や模様などの特徴から、製作時期は統一新羅時代あるいは高麗時代初期とみられる。 三国史記地理誌によれば「長堤郡」は来高句麗「主夫吐郡」で、新羅景徳王が変えた名前であり、三国史記編纂当時の高麗中期には「樹州」と言った。樹州は今の仁川桂陽区一帯である。 それでも統一新羅あるいは高麗初期まで桂陽区一帯を「主夫吐」という高句麗時代地名で相変らず呼んでいたのは地名の強い保守性からと理解される。 さらに、調査では長さ48㎝に達する統

    仁川市桂陽山城から、一帯の地名を指す「主夫吐」銘文瓦が大量に出土 - 歴歩
  • asahi.com(朝日新聞社):韓国の木簡に「ナニワ」さん 7世紀、日本人の名前か - 文化

    韓国・扶余(プヨ)で発見された木簡に日人とみられる名前が記されていることが、日韓の専門家の研究で明らかになった。扶余は朝鮮古代の百済の都で、木簡は7世紀のものらしい。「ナ尓波連公(なにわのむらじきみ)」(ナは那の異体字)と5文字あり、「難波」と記されるようになる大阪湾周辺に住んでいた有力者の可能性が高いとみられる。百済は飛鳥時代に日と緊密な関係にあったが、日人の名前が出土史料で確認されるのは初めて。  韓国国立扶余博物館が昨年、収蔵する木簡を整理。その際、「連」が身分を示す日古代の姓(かばね)であることに学芸員の李鎔賢(イ・ヨンヒョン)さんが気づき、日韓の専門家が解読した。  木簡は長さ20.9センチ、幅1.9センチ。10年ほど前の発掘調査で出土した。形から荷物を送る時の荷札と見られる。(渡辺延志)  鈴木靖民・国学院大教授(古代史)の話 「ナニワ」という日人の名前とみていいだろ

  • 新羅時代最古と推定される石碑を発見 /浦項 | Chosun Online | 朝鮮日報

    慶尚北道浦項で、新羅時代のものとしては最も古いと推定される石碑が発見された。 文化財庁国立慶州文化財研究所(池炳穆〈チ・ビョンモク〉所長)が15日に発表したところによると、今月11日に慶尚北道浦項市北区興海邑学城里の道路工事現場で発見された「浦項学城里碑」(仮称)は、これまで出土した新羅時代の石碑の中では最も古い「迎日冷水里碑」(国宝第264号、西暦503年と推定)より2年早い、501年のものである可能性が大きいという。学城里碑が発見された地点は、1989年に「迎日冷水里碑」が発見された地点から東に約8キロ離れている。 浦項学城里碑は不定形の花こう岩(長さ最大104センチ、幅最大49センチ、厚さ12-13センチ、重さ115キロ)で、片面にのみ文字が刻まれていた。現在確認されている文字は合わせて12行で、多い場合で1行に20字ほど刻まれており、合計200字程度が確認されている。碑の下端に

  • 1