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himaginaryとRoweに関するprisoneronthewaterのブックマーク (8)

  • 金融政策にとって金利はどの程度重要なのか? - himaginary’s diary

    という点についてMatt RognlieとNick Roweが論争していた。 まず、Rognlieがこのエントリで以下のように書いた。 You may have heard from Scott Sumner, among others, that interest rates are a terrible indicator of monetary policy. This is actually true if we’re talking about current interest rates: it’s possible for monetary policy to be effectively tight because the Fed’s policy rule is contractionary, even if the current rate is very low. (

    金融政策にとって金利はどの程度重要なのか? - himaginary’s diary
  • 右上がりのIS曲線? - himaginary’s diary

    IS曲線と言えば、下図(以前のエントリの図を再掲)のように右下がりであるのが通常だが、ジョン・コクランとNick Roweが右上がりのIS曲線を提唱している。 ただし正確には、コクランについてはコクラン自身が右上がりのIS曲線を明示的に提唱したわけではなく、デロングがコクランの論文をそう解釈している。曰く: Cochrane's model has the standard "LM" curve built off of the money demand function and the money-spending equilibrium condition. It has an "IS" curve built off of a bonds-spending equilibrium condition. But its "IS" curve is not downward but up

    右上がりのIS曲線? - himaginary’s diary
  • 新貨幣国定主義をISLMの枠組みで解釈してみると - himaginary’s diary

    Nick Roweが新貨幣国定主義(MMT*1)をISLMの枠組みで解釈しようとする興味深い試みを行っている。 彼に言わせれば、多くの理論経済学の論文は数学だらけで見通しが悪いので、(数学の苦手な)彼は、論文の結論からリバースエンジニアリングを行い、モデルを自分なりに再構成するということをしているという。それと同様に、多くのMMTのブログエントリは言葉だらけ*2で見通しが悪いので、やはり彼なりのリバースエンジニアリングを行ってみたのが今回のエントリ、との由。 そのエントリで彼は、MMT版のISLMを提示する前に、オールドケインジアン版、ニューケインジアン版それぞれのISLMを示している。 まず、オールドケインジアンの教科書的なISLMは以下の通り。 ここでは簡単のため期待インフレ率はゼロを仮定し、実質金利と名目金利は等しいものとする。すると、図のIS曲線とLM曲線の交点{r0,Y0}が均衡

    新貨幣国定主義をISLMの枠組みで解釈してみると - himaginary’s diary
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2011/04/17
    MMTの人ってよくわからんけど、リチャード・クーをより過激にした感じかしらん。
  • リカードの中立命題を巡る紛糾 - himaginary’s diary

    最近、欧米の経済ブロゴスフィアで、時ならぬリカードの中立命題を巡る論争が巻き起こった。 きっかけは、世銀チーフエコノミスト兼上級副総裁Justin Yifu Lin(林毅夫)が「Beyond Keynesianism and the New Normal」と題された小論で、穴を掘って埋めるようなケインズ政策ではリカードの中立命題の罠に陥ってしまうので、いかに将来の生産性を高めるような財政政策を実施するかが大事、と説いたことにある*1。 そして… そのLin論文にAntoinio Fatásが噛み付き、 そのFatásの批判にEconospeakのpglが賛同し、 それをEconomist's ViewでMark Thomaが取り上げ、 そのエントリを読んだクルーグマンが以前のブログエントリを持ち出してLinを揶揄し、 それを受けてNick RoweがLinを弁護し、 それに対してクルーグマ

    リカードの中立命題を巡る紛糾 - himaginary’s diary
  • 生産性上昇は労働需要を増加させるのか? - himaginary’s diary

    ちょうど1週間前のエントリでは生産性と失業に関する米ブログ界での議論の取りあえずのまとめを紹介したが、その議論の最中にNick Roweが面白いモデルを提示していた(ただし人はごく標準的なモデルだと断っている;また短期ではなく長期モデルだということも断っている)。 そこでRoweは以下の2枚のグラフを提示している。 最初の図は、雇用を横軸、生産を縦軸に取って、生産関数と無差別曲線を描画したものである。 ここで生産関数は収益逓減を反映して凹関数となっている。一方の無差別曲線は消費(のための生産)と労働のトレードオフを表わしたものである。こちらの関数は、既に働いている時間が多いと、さらに余暇を犠牲にするのに見合う消費量も多くなるため、凸関数となっている。 2番目の図は、上記のグラフの各関数の傾きを描画したものである。 生産関数の傾きは労働の限界生産力であり、これは均衡では実質賃金に一致する。

    生産性上昇は労働需要を増加させるのか? - himaginary’s diary
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2011/02/14
    ワークシェアを勧める人々は、"現代は「わが孫たちの~」の時代に突入したんだ"という認識なのだろう。自覚的かどうかはおいといて。
  • 所得効果などというものは存在しない - himaginary’s diary

    とWCIブログでNick Roweが書いている(原題は「Income Effects don't really exist」)。 ここでRoweが槍玉に挙げているのは、価格変化による総体的な所得効果の話である。例えばリンゴの値段が1ドル上がったら、買い手が1000人いるとして、売り手の所得は1000ドル上昇する。しかし、買い手側にしてみれば各人が1ドルずつ貧しくなるので、総体的に見れば所得効果は発生しない、というのがRoweの指摘である。従って、総体的に見た場合、効果として残るのは分配効果と代替効果だけである、とRoweは主張する*1。 このRoweの説明は最近のAdam Pのブログエントリを見て思いついたとのことだが、当のAdam Pも(Roweに先を越されたとこぼしながらも)同様の解説エントリを書いている。そこで彼は、金利変化のマクロ経済への影響という、Roweよりはもう少し経済理論ら

    所得効果などというものは存在しない - himaginary’s diary
  • 研究していることと信じていること - himaginary’s diary

    と題したブログエントリをRoweが書いている(原題は「What we research, and what we believe」)。 以下はその拙訳。 あなたが理論Xを信じているものとしよう。あなたは理論Xの研究をしたいと考えている。ところが、理論Xに関する興味深いアイディアはすべて研究し尽くされている。あなたは理論Xについて言うべき興味深く新しいことを何も思いつくことができない。あるいは、理論Xには何か未解決の取り組むべき問題があるのかもしれない。だが、あなたはそれに取り組むべき方法をまったく思いつくことができない。 そこへ理論Yが突然登場する。理論Yは新しく、あなたの持っている技術で研究できる未開拓の分野が多く存在する。あなたは理論Yを信じていないが、あなたが研究することによって理論Yに有益な貢献ができる。 さて、あなたはどうすべきか? もしあなたが野心ある経済学者、特に、学位論文の

    研究していることと信じていること - himaginary’s diary
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2010/12/10
    "現在流行りのアイディアは必ず過去のものより優れている、と決めてかかることを哲学の学徒はあまりしないためではないか"
  • 魚は自分の泳ぐ水を感じない - himaginary’s diary

    とRoweが書いている(原文は「Fish don't feel the water they swim in.」*1)。これはクルーグマンのマネタリスト批判を受けて書かれたもので、クルーグマンはマネタリズムをk%ルールとしてのみ捉えているが、それはあまりにも狭い捉え方である、と反論している。フリードマンは確かにk%ルールの戦闘では敗れたが、他の戦闘はすべて勝ち、戦争に勝利したのだ、とRoweは高く評価している。そして、クルーグマンは、フリードマンが勝った結果として確立されたマクロ経済学が事実上マネタリズムと化していることを感じていない(=自分の泳いでいる水を感じていない)ため、そのような批判をしているのだ、1970年頃に冬眠に入ったケインジアン版浦島太郎が今の経済学を見たら、ケインジアン的というよりはマネタリスト的という印象を持つだろう、と述べている。 その具体的な例としてRoweは、標準

    魚は自分の泳ぐ水を感じない - himaginary’s diary
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