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中世と宗教に関するusataroのブックマーク (14)

  • 安土桃山時代 キリシタンが描いた絵か「受胎告知」など墨で | NHKニュース

    にキリスト教が伝わって間もない安土桃山時代に日人の信徒、キリシタンが描いたとみられる宗教画が見つかりました。聖書のさまざまな場面が和紙に墨で描かれているほか、ラテン語の祈りの言葉も添えられていて、専門家は最も初期の信仰の様子を知る重要な発見だとしています。 和紙をつなぎ合わせた幅22センチ、長さ3メートル余りの巻物で、「受胎告知」や「聖霊の降臨」など、キリストと聖母マリアの生涯の15の場面が墨絵で描かれています。 かな文字で書かれた文章もあり、分析した結果、「聖体秘蹟の連とう」と呼ばれるラテン語の祈りの言葉を耳で聞き取って書き起こしたものと分かりました。 巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のものと分かり、この年に描かれた可能性が高いということです。 この年はキリスト教が伝わってから40年しかたっておらず、日

    安土桃山時代 キリシタンが描いた絵か「受胎告知」など墨で | NHKニュース
    usataro
    usataro 2018/11/19
    「巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のもの」
  • 16世紀末のキリシタン信仰画か 神奈川で収蔵の巻物:朝日新聞デジタル

    神奈川県大磯町の「澤田美喜(みき)記念館」で収蔵されていた出所不明のキリシタンの信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高いことがわかった。当時の信仰画は残っているものがごくわずかで、国内に信者が増えた時期の信仰の姿を伝える貴重な資料とみられる。 記念館などによると、和紙に墨で描かれた巻物で、縦22センチ、横約320センチ。「受胎告知」や「受難」「聖母の戴冠(たいかん)」など15の場面がある。ラテン語の祈りの言葉も仮名で書かれている。「御出世以来千五百九十二年 はうろ」とも記されており、「パウロ」という洗礼名の信者が西暦1592年に作ったとみることができるという。 記念館と共同調査した横浜歴史博物館によると、文字の書体や描かれた風俗には、江戸時代より前の特徴がある。記念館が外部の研究機関に放射性炭素を用いた年代測定を依頼したところ、1556~1633年に作られた紙との結果が出

    16世紀末のキリシタン信仰画か 神奈川で収蔵の巻物:朝日新聞デジタル
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    usataro 2018/11/19
    “「澤田美喜記念館」で収蔵されていた出所不明のキリシタンの信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高い”
  • 長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】16世紀の礼拝場遺構か (2月9日)

    16世紀の礼拝場遺構か 大十字架が立っていた跡とみられる円形状の石組み遺構=平戸市猪渡谷町 「キリシタンの墓」と伝えられる平戸市猪渡谷(いとや)町の「クロスバル」を専門家が調査し、巨大な十字架が立っていた跡と考えられる石組み遺構を確認した。禁教以前のキリシタンが礼拝した16世紀の「クルス(十字架)場」だった可能性が出てきた。専門家は「初期キリシタン時代の貴重な遺構かもしれない」と注目している。 ■半円状の丘 クロスバルは中山間地域の谷間に位置するなだらかな半円状の丘陵で、樹木が生い茂っている。格的な調査が行われたことはなく、実態は謎だった。 石造物研究者で長崎歴史文化博物館研究グループリーダーの大石一久さん、元平戸市教委学術専門幹の萩原博文さん、同市生月町博物館島の館学芸員の中園成生(しげお)さんら研究者が1月、合同調査を行った。 調査では、東西約20メートル、南北約10メート

    長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】16世紀の礼拝場遺構か (2月9日)
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    usataro 2014/03/10
    “16世紀末の糸屋(猪渡谷)には松浦氏の支族で生月・度島を領有した籠手田氏の一族がいた”
  • asahi.com(朝日新聞社):最古の木造五輪塔発見 「1159年」の記述 京都 - 文化

    印刷 関連トピックスオリンピック国内最古の木造五輪塔=12日、京都市北区の大谷大学博物館、筋野健太撮影  京都市最北部の山あいにある志古淵(しこぶち)神社(左京区)で、平安時代後期の「平治元(1159)年」と記された木造の五輪塔が見つかったと、大谷大学が12日発表した。年号がある現存のものでは国内最古。供養のために建てる五輪塔の初期の姿を伝える貴重な作としている。  大谷大によると、同神社に保管されていた仏典の調査に関連し、蔵に眠っていたのが昨年3月にわかった。土台の基壇は8センチ四方で高さ29センチ。基壇の側面に「平治元年十二月九日」とあり、裏面には神社から南西4キロの峰定寺(ぶじょうじ)を1154(久寿〈きゅうじゅ〉元)年に開いた僧、西念(さいねん)の名が書かれていた。  記載の年月日は、平清盛(1118〜1181)が台頭する契機となった「平治の乱」が起きた日。清盛と手を結びながら乱で

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    usataro 2011/12/13
    「京都市」「志古淵神社(左京区)で」「木造の五輪塔」「土台の基壇は8センチ四方で高さ29センチ。基壇の側面に「平治元年十二月九日」」「峰定寺を」「開いた僧、西念の名」
  • 仏教・神道美術300件が集合、滋賀県で最大規模の展覧会実施中

    寺社仏閣が多い場所というとまず京都、そして次に奈良を思い浮かべる人が多いはず。実際、京都ではちょっと歩くとお寺や神社を見つけることができ、一般非公開のところも合わせると数え上げることが困難なほどの数になります。 しかし、宗教美術の観点では近江国、つまり滋賀県もなかなかのもの。 現在、この滋賀県にある仏教美術と神道美術のうち300件以上を集めて展示するという過去にないレベルのイベント「神仏います近江展」が開催されています。 神仏います近江展 http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsu/ この展覧会は信楽町のMIHO MUSEUM、大津市瀬田の滋賀県立近代美術館、大津市御陵の大津市歴史博物館という3ヶ所の博物館が連携して行うもの。 MIHO MUSEUMのテーマは「天台仏教への道」。近江に伝わる仏像、仏画、神像などを中心とした展示で、「大乗仏教とともに拡大深

    仏教・神道美術300件が集合、滋賀県で最大規模の展覧会実施中
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    usataro 2011/10/30
    大津では神像がずらりと並んで圧巻。塩津港の祭祀遺跡関連の展示もあって、非常に充実してた。
  • asahi.com(朝日新聞社):「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長 - 文化トピックス - 文化

    「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長(1/2ページ)2011年1月13日16時16分 居城の跡に立つ小西行長の銅像。「極悪人」との反発でトタン板で覆われていたこともある=熊県宇土市 豊臣秀吉の家臣で、関ケ原で敗れ刑死したキリシタン大名、小西行長(1558〜1600)の人物像が大きく転換している。石田三成と並ぶ実務派で、朝鮮出兵では外交交渉を担ったが、勇敢な加藤清正とは対照的に卑劣な武将として描かれることが多かった。だが近年、領国だった熊県内で研究が進み、伝承や逸話の多くが事実とは思えないことがわかってきた。 ◆寺社弾圧 尾ひれつき伝承 居城だった宇土城跡(熊県宇土市)には行長の銅像が立っている。高さ5.6メートル。没後380年を記念し1980年に2千万円を投じ完成した。だが、この銅像は除幕式の翌日から2年近くトタン板で覆われていた過去がある。 「仏教や神道を弾圧し寺社

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    usataro 2011/01/13
    「果たした役割は大きいのに影が実に薄い行長」
  • asahi.com(朝日新聞社):平安の仏像60体確認 兵庫の薬師堂、一挙に - 文化トピックス - 文化

    平安の仏像60体確認 兵庫の薬師堂、一挙に2010年11月6日14時6分 平安時代の作と確認された仏像。保存修復処理の終わったものが手前に並べられた=兵庫県加東市中古瀬 兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体もの仏像が、10〜12世紀の作であることが早稲田大奈良美術研究所の大橋一章教授(仏教美術)らの調査で明らかになった。平安時代の仏像がこれほど多数確認されるのは近年例がないだろうといい、同研究所が保存処理に乗り出した。 お堂の周囲には水田が広がる。区長の吉元明博さんによると、集落の63戸で管理し、正月とお盆にだけ戸を開けるという。「この地域ならどの集落にでもある辻堂で、江戸時代の建築でしょう」と加東市教育委員会文化財係の森下大輔さんは説明する。 ここに調査が入ったのは今年の夏。早大の桜庭裕介講師(文化財修復)は「様式と制作技法から見て、すべてが平安時代の作。これほど多数の平安仏が知られ

    usataro
    usataro 2010/11/06
    「兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体もの仏像が、10~12世紀の作」「早稲田大奈良美術研究所の大橋一章教授(仏教美術)らの調査」
  • 顕密体制論理解のために - 我が九条

    中世における「社会的意識諸形態」を理解するための概念が顕密体制論である。「社会的意識諸形態」とは、イデオロギーと記せば分かりやすいだろう。イデオロギーとは階級的な利害に基づいて支配階級を正当化するためのものである。 そのことを頭において郷和人氏の顕密体制論に対する見解をみてみよう。 仏教はそもそも何のためにあるのだろうか。国を鎮護するため?天皇や貴族に日々の安寧をもたらすため? 非常にイデオロギーとしての顕密仏教の特質を押さえた議論である。中世の「実在(ザイン)」においてはまさにそうなのだ。「ザイン」に注目する限り、仏教は鎮護国家のために存在するのであり、王法と仏法は相依相即なのである。そして概念としてもイデオロギーとは階級的な利害に基づいて支配階級を正当化するためにある。支配階級との関係で言えば、それが顕密仏教の正統である。顕密仏教の正統に位置づけられるのが、国家鎮護と王法仏法相依

    顕密体制論理解のために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/10
    「神道」の宗教的自立性を否定した点は、顕密体制論の非常に重要な功績だと思う。
  • asahi.com(朝日新聞社):「宇佐神宮の宮司は世襲」先々代の長女が提訴 大分 - 社会

    全国八幡宮の総社、宇佐神宮(大分県宇佐市)の宮司職をめぐる騒動で、「宮司は到津(いとうづ)家の世襲」と主張する先々代宮司(故人)の長女、到津克子(よしこ)権宮司(41)が、同神宮と穴井伸久・現宮司を相手取り、宮司の地位不存在確認を求める訴訟を大分地裁中津支部に起こした。訴えは3月4日付。世襲をめぐる争いは法廷の場に移ることになった。  訴状によると、2008年7月、同神宮の先代宮司は病気のため退職するとともに到津氏を後任に推薦し、責任役員会で到津氏は宮司に選任された。だが、神社庁(東京)に具申したところ「経験不足」として認められず、09年2月に穴井氏が特任宮司として任命された。  これについて到津氏は「当方は神宮の規則手続きにのっとり、選任された」とし、神社庁が穴井氏を特任したのは神社庁規則や宗教法人法などに違反し、無効だと主張している。  訴えでは、到津家は南北朝時代には宮成家と

    usataro
    usataro 2010/03/24
    確かに到津家は中世以来大宮司家なんだが、この件はむしろ内部のゴタゴタとか神社本庁との関係とかに原因がありそう。/↑任命権者(当時は近衛家)の恣意的任用が要因の一つという点では確かに当時と同じかも。
  • 木板写経に誤字訂正の跡「見せ消ち」確認…滋賀の遺跡 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    滋賀県高島市の天神畑遺跡から出土した薄い木板の写経(室町時代後期)に、「見せ消ち」と呼ばれる誤字訂正の跡が見つかり、県文化財保護協会が19日、発表した。 見せ消ちは写経で文字を訂正する際、誤字を消さず、そばに符号などを記す手法で、飛鳥時代に定着したとされる。木板は法華経などを写しており、「他」の文字を書くところに「佛(仏)」と間違えて書いたため、左側に誤りを示す片仮名の「ヒ」に似た印を入れ、右側に「他」と訂正していた。 21日午前9時〜午後5時、滋賀県安土町の県立安土城考古博物館で公開。 宇都宮啓吾・大阪大谷大教授(書誌学)の話「誤字を削れないほど板が薄いため、見せ消ちで訂正したのだろう。僧侶が慎重に写経し、丁寧に訂正している姿がうかがえる」

    usataro
    usataro 2010/02/22
    正直なところ、わざわざ発表するだけのどういう意義があるのかわからん。木板で見せ消ちは珍しいってこと?
  • asahi.com(朝日新聞社):なぜか真言宗の寺から…浄土宗ゆかりの重文仏像帰還 - 文化

    浄土宗に譲渡された「木造阿弥陀如来立像」=浄土宗提供  浄土宗の宗祖・法然の一周忌供養に作られながら、真言宗の寺に安置されていた国の重要文化財の「木造阿弥陀如来立像」が、浄土宗に1億8千万円で譲渡され、浄土宗系の佛教大学宗教文化ミュージアム(京都市右京区)で報道陣に公開された。法然の800年大遠忌(だいおんき)(2011年)を前に、譲渡話がまとまった。なぜ他宗派の寺にあったかは不明だが、浄土宗関係者は「やっとお帰りいただいた」と喜んでいる。  仏像は高さ98.6センチ。衣の彫法などから、鎌倉時代の仏師・快慶の弟子が作ったと推定されるという。長く高野山真言宗の玉桂(ぎょっけい)寺(滋賀県甲賀市)に安置されていた。1979年の解体調査で、法然の一周忌を供養するために弟子の源智(げんち)が造立を呼びかけたことを示す1212(建暦2)年12月24日付の願文が胎内から見つかった。  浄土宗は「法然上

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    usataro 2010/02/07
    お寺が衰退したりして「系列」が変わったりすることはよくあるから、そういう事情なんじゃないかなあ。
  • 東京新聞:遺構の生の姿 見納め 武蔵国分寺跡僧寺地区:東京(TOKYO Web)

    外側を瓦で保護された講堂遺構の基礎部分を調査する発掘調査員(今年11月撮影、国分寺市教育委員会提供)=同市西元町1で 国指定史跡・武蔵国分寺跡僧寺地区(国分寺市西元町一)を歴史公園として整備中の国分寺市は二十三日、同地区の中心建物の一つである講堂跡の遺構発掘現場見学会を開催する。昨年度から発掘調査を実施しているが、公園整備に向けて来年から埋め戻すため、遺構の生の姿が見られる最後のチャンスになるという。 (萩原誠) 市によると武蔵国分寺は奈良時代の八世紀中ごろ、当時の聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺の建立を指示したのを受けて創建。大規模改修を経て一三三三年の分倍河原の合戦の際に焼失したとされる。一九二二年に国の史跡に指定された。

    usataro
    usataro 2009/12/23
    行ってみたいけど仕事があるから無理だなあ。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    朝4時台起きセルフメソッド 自分のため(セルフ)の朝4時台起きメソッド。 これはそういうことなんだ。。。 朝が暖かくなる5月半ばから 朝4時台に起きることを目標に試行錯誤していく。 まずは2日間だけ試した記録。 時間設定 +朝4時台とは 午前4時~午前4時40分ならOK +寝る時間 午後9…

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    usataro
    usataro 2009/11/23
    「日本人の欧米崇拝というコンプレックス、欧米宣教師のアジアへの優越感といった明治維新後の先進欧米崇拝や啓蒙主義が隠れキリシタンをキリスト者として存続させえなかったという部分」
  • asahi.com(朝日新聞社):天台宗座主が真言宗総本山を参拝 開宗1200年で初 - 社会

    歓談し、手を取り合う金剛峯寺の松長有慶座主(左)と天台宗・半田孝淳座主=15日午後0時20分、和歌山県高野町、日吉健吾撮影宗祖降誕会に臨む真言宗・松長有慶座主(右)と天台宗・半田孝淳座主(左)=15日午前8時58分、和歌山県高野町の金剛峯寺、日吉健吾撮影  天台宗(総山・比叡山延暦寺)トップの半田孝淳(はんだ・こうじゅん)座主(ざす)が15日、和歌山県高野町の高野山真言宗総山金剛峯寺を訪れた。天台宗開祖の最澄は晩年、教典の貸し借りをめぐって空海と疎遠になったとされ、両宗派の開宗以来1200年間で初めての公式参拝となった。  半田座主ら天台宗側の役職員計13人は午前8時すぎに高野山大師教会に到着。空海の生誕を祝う「宗祖降誕会(ごうたんえ)」に出席した後、空海入定(にゅうじょう)の地とされる奥之院を参拝し、真言宗の松長有慶(まつなが・ゆうけい)座主らと歓談した。  最澄と空海は唐(中国)で

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    usataro 2009/06/15
    天台座主はわかるけど高野山に昔から座主っていたっけなあ?
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