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九州と考古学に関するusataroのブックマーク (4)

  • 南島史が塗り替わる 環東シナ海交易の結節点 - 日本経済新聞

    不明点が多い古代から中世にかけての南西諸島の歴史を再評価する動きが活発になっている。鹿児島県の喜界島で中国産や朝鮮半島産の陶磁器などの遺物が大量に出土、大規模建物ほか多数の遺構も発見されたことが大きな弾みとなった。奄美大島周辺での発掘と呼応し、喜界島周辺が中国南部から南西諸島、九州、さらには朝鮮半島につながる環東シナ海の壮大な広域交易の結節点で、時代の推進役であった可能性が高まっている。■カムィ

    南島史が塗り替わる 環東シナ海交易の結節点 - 日本経済新聞
    usataro
    usataro 2015/08/29
    “喜界島で中国産や朝鮮半島産の陶磁器などの遺物が大量に出土、大規模建物ほか多数の遺構も発見”
  • 沖ノ島:国家的祭祀、学術価値の再検討迫る 考古学調査が先行、史料の裏付け弱く 福岡で国際研究報告会- 毎日jp(毎日新聞)

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    usataro 2013/10/27
    「西宮教授は「遺物は、宗像氏や地域の漁民による祭祀の遺物とまず考えるべき」とし、祭祀を国家・宗像氏・漁民の三重構造ととらえ、遺物もその視点から分類する必要性があると指摘
  • 志布志城跡に朝鮮古銭 / 西日本新聞

    志布志城跡に朝鮮古銭 2011年11月18日 00:43 カテゴリー:九州 > 鹿児島 志布志城跡から出土した「朝鮮通宝」。4文字が上、下、右、左の順番に並んでいる 鹿児島県志布志市志布志町帖(ちょう)の国指定史跡「志布志城跡」で、15世紀の朝鮮半島を支配した李王朝の銅銭「朝鮮通宝」1枚が出土した。過去に琉球王国の銅銭も出土しており、市教委は「アジアに開かれた港町として発展した志布志の歴史を反映する史料」と評価している。 志布志城跡は、志布志湾に注ぐ前川の河口付近にあり、シラス台地の高低差を生かして空堀を巡らせるなどした四つの山城で構成している。14世紀には既に城があったとされ、戦国時代には肝付氏や島津氏が支配した。 朝鮮通宝は李氏朝鮮時代に鋳造され、直径2・4センチ、厚さ1・5ミリ、重さ4グラム。市教委は2006年から4城の中心の「内城(うちじょう)」を発掘し、今年10月17日、敷地

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    usataro 2011/11/21
    「「志布志城跡」で」「朝鮮通宝」1枚が出土」「2006年から」「「内城」を発掘」「敷地北側で朝鮮通宝を見つけた。現場は盛り土された平地」
  • 唐津城跡:城内から最古の石垣 謎解明へ、築城以前の状態示す遺構 /佐賀 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇豊臣政権の朝鮮出兵への考察にも 唐津市教委は25日、唐津城跡の文化財調査で、中段広場の天守台下から、築城以前のものとみられる石垣が見つかったと発表した。築城以前の状態を示す遺構が発見されたのは初めて。近くでは、文禄・慶長の役(1592~1598年)のため名護屋城に布陣した豊臣秀吉が家臣らにしか使用を許さなかった金箔(きんぱく)瓦の破片4点が出土しており、市教委は櫓(やぐら)や御殿など、秀吉が関係する重要建築物があった可能性があるとみている。 市教委によると、石垣は地下1・5メートルで8月下旬に見つかった。残っていたのは高さ3・5メートル、延長5・7メートルで、50センチ~1メートルの石20個を確認した。 これまでに見つかった最古の石垣は唐津城築城(1602年)時期のものだったが、今回の石垣は1591年の名護屋城築城から唐津城築城までの間に造られたとみられる。 文禄・慶長の役では、周辺

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    usataro 2011/10/26
    「本丸文化財調査」「中段広場の天守台下から、築城以前のものとみられる石垣」「近くでは」「金箔瓦の破片4点」「櫓や御殿など、秀吉が関係する重要建築物があった可能性」
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