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文化と寺院に関するusataroのブックマーク (6)

  • 日本から中国への影響示す 興福寺伝来の「當麻曼荼羅」(長崎新聞) - Yahoo!ニュース

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    usataro 2018/08/19
    “「忍澂から獨湛に贈られたものである可能性が極めて高い。これだけ来歴がはっきりするものは貴重」と指摘”
  • 神仏習合で平和祈る 石清水八幡宮と東寺が合同法要 : 京都新聞

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    usataro 2018/04/04
    こういう新儀の祭礼ってどういう風に儀礼を組み立てるんだろう。
  • 北条泰時、極楽往生の願い…阿弥陀像に墨書 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    鎌倉幕府の根法典「御成敗式目」の制定で知られる3代執権・北条泰時(1183~1242年)が創建した、神奈川県鎌倉市の常楽寺の尊、阿弥陀(あみだ)三尊像から、制作時期とみられる「仁治三年(1242年)六月十二日」の墨書が確認された。 泰時の出家の33日後、死の3日前にあたり、専門家は「死期を予感した泰時が、極楽往生を願って急いで造らせたのでは」としている。 三尊像は木造で、中央の阿弥陀如来像は像高70センチ、左右の観音・勢至菩薩像は同85センチ前後。作風に中国・宋の影響があり、鎌倉時代の仏師・定慶(じょうけい)の作とみられるという。 これまで室町時代の作とされていたが、昨秋、山勉・清泉女子大教授(日彫刻史)が調査。阿弥陀像の台座内部に、僧侶の名や日付が書かれているのを確認した。17日、市の文化財に指定された。

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    usataro 2012/02/19
    「鎌倉市の常楽寺の本尊、阿弥陀三尊像から、制作時期とみられる「仁治三年六月十二日」の墨書が確認」
  • asahi.com(朝日新聞社):金剛峯寺の仏像は「快慶作」 高野山霊宝館が発表 - 文化

    印刷 執金剛神立像=高野山霊宝館提供右上から左下に向けて「阿弥陀佛」の文字が見える=高野山霊宝館提供  和歌山県・高野山にある金剛峯寺が所蔵する仏像「執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)」(高さ149センチ)の内部に、鎌倉時代を代表する仏師、快慶(生没年不詳)の作であることを示す墨書銘が残っていることが分かった。山内の文化財を調査・展示している高野山霊宝館が21日発表した。  館内に展示していた木造の像が9月、台座とつながっている左足首の部分で折れ、倒れて破損したのが調査のきっかけ。数十年前に補修で使った接着剤が劣化したのが原因とみられる。  内部の空洞にファイバースコープを入れたところ、首のあたりに「アン」と読む梵字(ぼんじ)1文字と、漢字の「阿弥陀佛」4文字が続けて墨で書かれているのが見つかった。快慶は初期の作品に同じ墨書銘を入れており、筆跡も似ているため、快慶作と判断した。  

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    usataro 2011/10/22
    「金剛峯寺が所蔵する仏像「執金剛神立像」の内部に」「快慶の作」「を示す墨書銘」「高野山霊宝館が21日発表」「首のあたりに「アン」と読む梵字」と「「阿弥陀佛」」
  • asahi.com(朝日新聞社):和紙の化粧はがしたら…江戸時代の仏像、素顔は平安 - 文化

    薬師寺(奈良市)が所蔵する江戸中期の十一面観音像(高さ約53センチ)の表面を覆っていた和紙をはがしたところ、1千年ほど前の平安中期に作られたとみられる聖観音(しょうかんのん)菩薩像(同)が見つかった。同寺が14日、発表した。彩色のために仏像の表面を和紙で覆う手法は江戸時代に流行したとされるが、和紙の下から異なる古仏が見つかるのは珍しいという。  同寺によると、十一面観音像の来歴は不明で、腕や衣などがとれた状態で寺の収蔵庫に納められていた。黒っぽい彩色で、作風から江戸時代中期の作とみられる。特別公開の出展に向けて2007年2月、民間の工房に修理を依頼。表面が彩色された和紙で覆われていたことがわかり、それをはがしたところ、頭部の一部が異なる木造の仏像が出てきた。  このため、奈良国立博物館(奈良市)や財団法人美術院(京都市)が詳しく調査し、頭部の宝冠の痕跡の違いから、内部から出てきた仏像は聖観

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    usataro 2011/02/15
    「薬師寺(奈良市)が所蔵する江戸中期の十一面観音像(高さ約53センチ)の表面を覆っていた和紙をはがしたところ、1千年ほど前の平安中期に作られたとみられる聖観音菩薩像(同)が見つかった」
  • 島津義弘ゆかりの妙円寺詣り、本当は神社参拝? : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    薩摩の戦国武将・島津義弘ゆかりの伝統行事「妙円寺詣(まい)り」について、妙円寺(鹿児島県日置市伊集院町)が近く、行事を主催する日置市などに対し、名称を含めた見直しを申し入れることになった。 明治時代の神仏分離で廃寺、その後再興されたものの、行事はそのままの名称で別の神社に引き継がれている。このため二つの寺社を混同したり寺はもう存在しないと誤解したりといった混乱がいまだにみられ、寺再興から130年の時を経て、正式に「改善」を求めるという。 妙円寺は、室町時代の1390年に創建された曹洞宗の古寺。島津義弘が生前に自分の菩提(ぼだい)寺と定め、江戸時代に義弘を慕う鹿児島城下の武士らによって妙円寺詣りが続けられてきた。 ところが、明治になって島津家が祖先の祭祀(さいし)を神道だけで行うことを決めたため、同寺は明治2年(1869年)に廃寺となり焼かれてしまった。 11年後に大山・永平寺と檀家(だん

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    usataro 2011/01/14
    こういうのも神仏分離がもたらした矛盾の一つだなあ。
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