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覚悟に関するvanbraamのブックマーク (5)

  • 財務省・佐川前理財局長が、これからたどる「苦難の道」(佐藤 優) @gendai_biz

    佐川宣寿・財務省前理財局長の証人喚問が終わったものの、なお真相が明らかにならない森友学園関連文書の改ざん問題。焦点は大阪地検特捜部の動きに移りつつある。 元外務官僚で、霞が関の論理と検察の捜査手法を知り尽くす佐藤優氏は、事件の過程を驚くべき視点から見ていたーー。 「自殺」で責任は取れない 邦丸:まず、近畿財務局の職員が自ら命を絶ったという話ですが、「上からの指示で書き換えをさせられた」というメモが遺されていたそうです。過去にも不祥事のあと、官僚が自ら命を絶つということがありました。こういうことが繰り返されると、なんとも言えない気持ちになりますね。 佐藤:ちょっと厳しいことを言おうと思います。 邦丸:はい。 佐藤:たとえば鈴木宗男事件の時も、外務省の一部の人たちは「佐藤優が死ねばいい」と思っていたんですよ。 はっきり言いますが、官僚の自殺は、亡くなった方には当に申し訳ないけれど、責任放棄で

    財務省・佐川前理財局長が、これからたどる「苦難の道」(佐藤 優) @gendai_biz
    vanbraam
    vanbraam 2018/04/01
    "死んだら悪いヤツが喜ぶだけです。真実を語ること。死ぬ覚悟になれば、すべてを語れる";"いちばん隠したい「表紙」と「配布先」に関する情報を出していないんですから、極めて悪質度が高い"
  • 原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話

    原爆被爆者で、何十年も被爆者の地位向上などのため活動し、 署名活動をしたり、デモに参加したという祖母。 滅多に他人の批判や悪口を言わなかったけれど、そんな祖母が生前に一度だけ、 明確に「許せなかった」話をしてくれたことがあった。 テレビで被爆者のドキュメンタリー映像を見ていた時のこと。 なんとなく、「やっぱり被爆者手帳って嘘ついて持ってる人結構いるの?」と聞いてみた。 原爆被爆者に対する補助はかなり手厚く、年金ならぬ被爆者に対する援助のために 死にかけの親を何とか生かしてくれと頼む家族もいるくらいの代物である。 祖母はあっさりと、「そりゃそうよ」と言った。 「あの人原爆に遭うてないよねって人もおったよ。でも証人がおれば手帳貰えたからね」 「なんという税金泥棒。そういう人ムカついたりせんかった?」 「そりゃ良い気分はしなかったけど、でもねえ、もっと許せん人がおったけえね」 おばあちゃんでも許

    原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話
    vanbraam
    vanbraam 2017/08/07
    "手帳ができるまでは、医療費がかからんくなるまでは、被爆者の差別をしよった人らが、平気な顔をして原爆手帳を貰っとった"<これは心の底から腐った人間のクズ;自尊心は自分の弱さを認める所から始まるんだぜ
  • オリンピックに斬り込んだブラックパワー:1968年メキシコオリンピックで米国の人種差別に抗議して黒い拳を揚げたジョン・カーロス

    1968年、表彰台でブラックパワーへの敬意を表し、米国の黒人差別を抗議して掲げられた黒い拳は、メキシコオリンピック直前にメキシコシティで貧者のために闘い殺されたメキシコの若者たちへの連帯も示していました。ジョン・カーロスは当時23歳。世界の晴れの舞台で信じることを訴えたがために、苦難と悲劇の嵐にみまわれた。へこむことなくいまなお、「オキュパイ」運動への連帯を語るカーロス。そしてもう一人のヒーロー、オーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンのエピソード。信念に貫かれたカーロスの言葉をデモクラシー・ナウ!のインタビュー(2011年10月12日)からお届けします。(翻訳: 大竹秀子) インタビューの原文と動画リンク John Carlos, 1968Olympic U.S. Medalist, on the Revolutionary Sports Moment That Changed the

    オリンピックに斬り込んだブラックパワー:1968年メキシコオリンピックで米国の人種差別に抗議して黒い拳を揚げたジョン・カーロス
    vanbraam
    vanbraam 2016/08/20
    "ピーター・ノーマンは、並外れた人物でした"
  • 52年前のオリンピック、ある男性の勇気ある行為が彼の人生をめちゃくちゃにした。

    この時代を通過してきた人もそうでない人も、この写真が何を示しているかわかるはずです。これは1968年、4月にマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師、その2か月後の6月にロバート・ケネディが暗殺された年に撮られた写真です。ベトナム戦争に対する反戦運動が高まる中、多くの都市で学生運動や反戦運動が起こると同時に、アメリカ国内のいたるところで人種差別が引き金となった暴動や警察との衝突で多くの人が命を落としました。アメリカ、そして世界が揺れに揺れた年です。 その真っただ中に行われたのが、1968年のメキシコシティオリンピックでした。 世界が大きな変動の中にあったその年のサマーオリンピックで、1968年10月17日夕刻、メダル授与のために表彰台に上がった二人のアメリカ人が史上に残るある行為を行いました。 男子200メートル競争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位に輝いたジョン・カーロスが、アメリ

    52年前のオリンピック、ある男性の勇気ある行為が彼の人生をめちゃくちゃにした。
    vanbraam
    vanbraam 2016/08/20
    オリンピックの政治利用は良くないし,何が「政治」かは難しい問題(個人的には,W杯がヘイトと戦う様に,五輪も差別と戦っても良いと思う).ただ1つ言えるのは,ピーター・ノーマン氏には「覚悟」があった
  • 誰にでもできることじゃない。愛犬をなくした男性が起こした一大決心 19枚 | BUZZmag

    vanbraam
    vanbraam 2016/03/27
    これ凄いな.本当に"誰にでもできることじゃない".少なくとも自分には真似できない;"老犬"という事は,彼らの死にも何度も立ち会う事になる訳だし
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