早川書房は、2011年5月より、天狼プロダクション監修・早川書房編集部編『グイン・サーガ・ワールド』という雑誌形式の文庫本を連続刊行いたします。 内容は、久美沙織さん、牧野修さん、宵野ゆめさんの三作家による、グイン・サーガ外伝の連載をメインに、栗本さんの遺稿から、未完成ゆえに発表されないままになっていた幻の原稿、あるいは作品集に収められていない短篇の再収録などで構成されます。 グイン・サーガの世界をいろいろな人に書き継いでいってもらいたいという、栗本さんの遺志を実現させたいと考え、その第一歩としての出版になります。 1号を5月に刊行して、以降季刊ペースで、2号を8月、3号を11月、そして4号を2012年2月、と4冊刊行予定です。 さらにくわしい内容については、弊社ウェブページで随時発表してまいりますので、今後もハヤカワ・オンラインにご注目ください。
画像は毎日新聞さんのニュースサイトからいただきました。 グインサーガプレミアム試写会より。 勝手に切り貼りしてすいませんが、これが一番綺麗な薫だったもので……。 さて。 さよなら栗本薫 ……なんて題してますけど、ちっともそんな気持ちはないんですけどね。 いや「栗本先生は今もこの胸に息づいている」とかALIVEなことを云っているわけでもないんですが。 率直に云ってしまえば。 以前、三年前(もうそんなにもなるのか)お茶会に行ったときにも書いたように、自分の中ではとっくの昔に「栗本薫」は死んでいた。死んだものを「死んでいない」と誤魔化しつづけていた。その事実に、三年前に気づいた。 厳密に云えば、おれがファンになった1994年、まさにその頃、作家「栗本薫」は衆人環視の中でひそやかに死んでいたのだ。 あとに残ったのは「栗本薫だった人」、ただそれだけだ。おれは三年前、その棺桶を開けて覗きこんで来た。そ
画像は毎日新聞さんのニュースサイトからいただきました。 グインサーガプレミアム試写会より。 勝手に切り貼りしてすいませんが、これが一番綺麗な薫だったもので……。 2009年5月26日夕刻、栗本薫が亡くなったらしい。 27日11時半、寝ぼけ頭でそれを知った自分は「あ、そう」と思った。「ふーん、ついに死んだんだ」 別にショックではなかった。膵臓ガンだというのはずっと前からわかっていたし、早晩死ぬのは明白だった。膵臓ガンという病の重さから考えれば、ずいぶんと長生きした方だとすら思う。 だからまあ、死ぬのはいいんだ。死ぬのは当然で、そしてしょうがない。 それから「栗本薫が死ぬってどういうことだろう」と思い「栗本薫が死んだのに、おれはなにをやっているんだろう」と思った。 なにをやってるんだろうって、なにもやれることもやるべきことも、おれにはないだろう? とりあえず、作家・栗本薫(評論家・
2009年5月26日夕刻、栗本薫が亡くなったらしい。 27日11時半、寝ぼけ頭でそれを知った自分は「あ、そう」と思った。「ふーん、ついに死んだんだ」 別にショックではなかった。膵臓ガンだというのはずっと前からわかっていたし、早晩死ぬのは明白だった。膵臓ガンという病の重さから考えれば、ずいぶんと長生きした方だとすら思う。 だからまあ、死ぬのはいいんだ。死ぬのは当然で、そしてしょうがない。 それから「栗本薫が死ぬってどういうことだろう」と思い「栗本薫が死んだのに、おれはなにをやっているんだろう」と思った。 なにをやってるんだろうって、なにもやれることもやるべきことも、おれにはないだろう? とりあえず、作家・栗本薫(評論家・中島梓)の主な経歴をまとめてみたいと思う。 1977年 中島梓名義で群像新人文学評論賞受賞 1978年 『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞受賞 1979年 ライフワークとなるファ
栗本薫さんが亡くなったそうである。 何といったらいいのか……。何といったら……。今度ばかりは、言葉も出ない。 追悼のために何か書かなくては、と思うのだが、どう書けばいいのかわからない。 ひと言だけ言葉を選ぶとすれば、「ありがとうございました」になるだろう。人生の辛く長い道程のなかで、彼女の作品にどれほど助けられたことか。 『グイン・サーガ』があったからこそ、ぼくはいままで生きてくることができた。そういい切ってもいいほどだ。 大げさだと思うひともいるだろう。言葉を飾っているだけだと感じるひとも。しかし、ぼくと同じように、優れた物語の存在を杖として人生を歩いてきたひとなら、きっとわかってもらえるはずだ。 そこに面白い物語があるということ、それがどれほど人生を豊かにしてくれるかということを。 ぼくはいま、打ちひしがれている。言葉を選んで書くことができない。だから、率直に記すのだが、いま感じる最も
2009年05月27日20:00 カテゴリTribute書評/画評/品評 訃報 - (栗本薫|中島梓)、グイン・サーガ未完のまま なんと。 ハヤカワ・オンライン|早川書房のミステリ・SF・ノンフィクション:新着ニュース 2009年5月26日、19時18分、栗本薫さん(別名義に中島梓)が、膵臓癌にてお亡くなりになりました。享年56歳でした。 言葉に、ならない。 最初の感想は、「あの栗本薫でも死ぬんだ」というはなはだ失礼かつ非科学的なもの。それほどこの人の「作家生命力」は旺盛だった。ガンですら「この人も死にうる」ことには出来ない。闘病だって四回目だったか五回目でだったか。「ガンすら食っちまうんじゃないか」というイメージがこの人にはあった。 しかしこれだけの力がある人でも、いやだからこそその力を上回る何かを抱え込んでしまうこともあるのだ。私が13歳の時に始まった「グイン・サーガ」は、ついに完結し
正伝126巻、外伝21巻で一人の作家の作品としては世界最長といわれており、累計では3000万部を売り上げているという日本ファンタジー小説界に燦然と輝く大作「グイン・サーガ」を30年以上かけて執筆してきた作家・栗本薫さんが5月26日にすい臓ガンのため亡くなったそうです。 詳細は以下から。 FOX通信: 訃報:栗本薫 死去・・・ おくやみ:栗本薫氏 | 訃報ドットコム 栗本さんの夫でSFマガジン元編集長の今岡清氏のmixi日記でのコメントによると、5月26日の夕刻、栗本さんが他界したとのこと。 栗本さんは1976年に商業誌デビュー。代表作の「グイン・サーガ」は1979年9月に第1巻が刊行され、当初の構想では全100巻だったものの2005年4月にその第100巻が刊行されても物語は終わらず、栗本さん自身もどこまで続くのかわからないと語っていたほどの大作。2009年4月15日に126巻「黒衣の女王」
大河SF小説「グイン・サーガ」のほか、ミステリー、文芸評論など多彩な活躍で知られた作家の栗本薫(くりもと・かおる、本名・今岡純代=いまおか・すみよ)さんが26日夜、死去した。 56歳だった。2007年にがんが見つかり、抗がん剤治療中だった。 東京生まれ。早大卒業後、作家活動に入り、中島梓と栗本薫の二つのペンネームで、純文学から漫画まで批評する一方、伊集院大介シリーズなどのミステリーや「魔界水滸伝」などのSF、時代小説までエンターテインメント小説を幅広く執筆し、1981年、「絃(いと)の聖域」で吉川英治文学新人賞を受賞。舞台演出、テレビドラマ脚本なども手がけ、テレビ出演もするなどマルチ作家として活動した。 剣と魔法の支配する異世界が舞台の大河ファンタジー「グイン・サーガ」は、79年にスタートし2005年に正編だけで100巻を突破し、最新刊は126巻。一人の作家による小説としては世界最長と言わ
中島梓さん 作家栗本薫としても活躍した評論家の中島梓(なかじま・あずさ、本名今岡純代=いまおか・すみよ)さんが26日死去した。56歳だった。膵臓(すいぞう)がんを公表、闘病エッセーも出していた。 77年に中島名の「文学の輪郭」で群像新人文学賞(評論部門)を受賞。栗本薫名では78年に「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞を受賞、81年に「絃の聖域」で吉川英治文学新人賞を受賞した。 栗本名でのファンタジーの大河小説「グイン・サーガ」は、計150巻近いベストセラーシリーズ。4月に最新刊を出したばかりだった。SF、ミステリー、ホラー、時代小説と幅広く多作だった。 中島名では「コミュニケーション不全症候群」などの評論のほか、作曲やピアノ演奏の音楽活動、ミュージカルの脚本や演出も手がけた。79年からテレビ朝日系列のクイズ番組「ヒントでピント」のレギュラー解答者となり女性軍のキャプテンもつとめた。93年
「ぼくらの時代」「グイン・サーガ」シリーズなどで知られる作家、評論家の栗本薫(くりもと・かおる、本名・今岡純代=いまおか・すみよ)さんが26日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。56歳。葬儀は近親者だけで行う。お別れ会を後日開く予定。 中島梓の筆名で評論などでも活躍した。東京都生まれ。早稲田大卒。76年、栗本名の「都筑道夫の生活と推理」で幻影城新人賞評論部門佳作。77年、中島名の「文学の輪郭」で群像新人賞評論部門を受賞した。 78年には栗本名の「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。テレビ世代の新しい感覚で描いたミステリーが話題になった。SFファンタジー「グイン・サーガ」は126巻(この他に外伝21巻)に及ぶ世界一の長編小説としてファンが多い。81年、「絃の聖域」で吉川英治文学新人賞を受賞した。他に「魔界水滸伝」、伊集院大介シリーズなど。 音楽・漫画評論、作詞、作曲、ミュージ
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