タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

組版とゴシック体に関するFeZnのブックマーク (3)

  • (引き続き)日本語練習中 - 明治期のアンチック体活字を追ふ(1/2)

    先日ゴシック体の平仮名が普通に使はれ始めたのはいつごろかを調べてみようと思った出発点は、『朝倉漢字講座(3)現代の漢字』(2003/平成15年、朝倉書店、ISBN4-254-51533-2)の第6章「漢字のデザイン」(味岡伸太郎)に、次のやうな記述があるのを見たことにありました。 文組用のタイプフェイスは「空気のように水のように存在を意識させないこと」を目標としてデザインされてきた。しかし,存在を意識させる文字は当に美しくなかったのか,そして読みにくかったのか。 漢字と仮名をはじめとする複雑で不統一な言語を選択すること,それは実は日人の文字に対する素晴らしい感性の現れとは考えられないだろうか。一見不統一に見えるのだが,微妙なバランスで調和を創り出している。言葉を変えれば不完全な美,アンバランスの美,不均一の美,奇数の美,そして微妙にずれる調和,それらは全て,古い茶人が「わび」と呼んで

  • (引き続き)日本語練習中 - ゴシック体の平仮名が普通に使はれ始めたのはいつごろか

    和文用のゴシック体活字(活字会社によりゴチック体あるいは呉竹体と自称されることもあり)が作られはじめた当初、漢字とカタカナはあったけれども平仮名は無かった。――といふことを、例へば近代デジタルライブラリーにも入ってゐる明治36年の東京築地活版製造所『活版見』を眺めることで、知り得ます。この見帳には、「ゴチック書体」は、2号〜5号の漢字と5号カタカナがあるのみで、平仮名はありません。 では、いつごろからゴシック体の平仮名活字が作られるやうになるのでせうか。 今田欣一さんが「和字 Revision 9」を生み出した『挑戦的和字の復刻』(朗文堂「Vignette」、2002年)に記されたところによると、明治42年の製文堂『五号ゴシック活字見』に、完成度の高い平仮名が出現するさうです。 明治の終り頃に活字見帳に現れたゴシック体平仮名が、実際に新聞・雑誌などで普通に使はれるやうになるのは、い

  • (引き続き)日本語練習中 - 明治期のアンチック体活字を追ふ(2/2)

    『富多無可思』の複写を見てみましたが,四十七頁に「五号アンチック形」として築地系の籠字様のフォントが掲載されているのみです。<br>キャラクタは「〇一二三四五六七八九十拾廿百千万電話第番號平旧月日基督教書肆章耶聖蘇靈類閏子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」。<br>また今日いうところのアンチック様の書体はすべて太仮名と名付けられています。<br>随って今田氏が躬ら該書の版面に当られたとは思えませんし,当られた上で書かれているのなら論外以前です。<br>仮説レヴェルにせよ“第一次資料”と“第二次資料”をごちゃごちゃにすると話がややこしくなるだけです。 今田さんの引用には「和字・漢字書体としては……」とありましたね。<br>随ってそもそもからして『富多無可思』は「アンチック」の初出ではありません。未ださんは築地かっっっぱんの使用例を御存知ないのですから。<br>我々印刷史研究者がタイプフェイスデザイナー

  • 1