何十年前から言われている話なのに未だにカップに熱湯を注ぐやつを見ると情弱乙としかいいようがない。 いますぐ健康に悪い物質が出るからやめろ。 そんなに食いたいなら別の容器に移し替えてから熱湯を注げ。 そもそもカップラーメンは主食ではないし非常食でもないので無理に食べる必要はない。 どうしてもカップラーメンを食べたいならカップに熱湯をそそぐなバカ。
似非科学呼ばわりされているけれど、私には「発達障害は生まれつきの障害なのでどうにもなりません」認定の方が似非科学に思える。 個人的にはそもそも「発達障害」なる概念そのものが疑わしく思う。 脳なんていまだにブラックボックスなのに「生まれつき脳の機能障害で一生治らない」という烙印を押して個人を差別する事が本当に科学的に正しいのか。 「発達障害」というのは本来障害でも何でもない人達を差別して排除するためのレッテルでしかないと思ってる。 あくまで作られた障害でしかないと。作られた障害だから、社会のありようによって増えたり減ったりする。だから教育で減る事だってあるはずだ。 はっきり言って「発達障害」なんていうのは肌が褐色なのが障害だとか、目が細いのが障害だとか言ってるのと変わらないと思う 差別を正当化する口実でしかない。つまり人種差別と同じ。 必要なのは障害者として扱って特別な「支援」により周りに合
「江戸しぐさ」の隆盛に危機感を覚えて、ふと”杉浦日向子 江戸しぐさ”でググって見た。 検索結果を見て軽い絶望を覚える。杉浦日向子のファンである事を表明しながら「江戸しぐさ」を褒めている人の多い事に。 検索上位に杉浦氏の著作から類推して「江戸しぐさ」は怪しいとしているblogがある(2007年に「江戸しぐさ」の怪しさを指摘している!)のが救いだが。 へたをすると歴史の捏造を確信犯的に行っている存在した証拠も無い「江戸しぐさ」と、考証を重ねた上で江戸時代を想う杉浦日向子氏のスタイルはどう考えても相反するはずなのに。 杉浦氏が存命ならば「江戸しぐさ」にツッコミを入れてくれただろうなと妄想するしかないのが悲しい。 そういえば「江戸しぐさ」がメディアに現れるようになった頃と、杉浦氏が闘病生活に入った時期が一致しているように思う。 落語が描く江戸の庶民の生活も「江戸しぐさ」は否定する。それなのに「NP
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