『セメント樽の中の手紙』(セメントだるのなかのてがみ)は1926年(大正15年)に「文芸戦線」で発表された葉山嘉樹の短編小説[1]。プロレタリア文学初期の名作として知られる[2]。 背景[編集] 作者の葉山は名古屋での労働争議(名古屋事件)を原因として治安警察法第17条、30条に違反したとされ懲役2カ月の判決を受け1922年(大正11年)5月より名古屋刑務所に収監されたのち[3]、再度、1923年(大正12年)には第1次共産党事件を原因として検挙され、1924年(大正13年)より懲役7カ月で巣鴨刑務所に服役していた[4]。本作品を発表する直前の1925年(大正14年)3月に巣鴨刑務所を出獄したのち、発電所工事に従事しており、年譜によればこの年の12月4日に「雪の降り込む廃屋に近い、土方飯場」において一日で書き上げたと伝えられる[5]。葉山の労働運動は名古屋事件が頂点であり[3]、このとき葉