陳寿(ちんじゅ)の『三国志』「蜀書」に「白糸はどうにでも変わるものであり、ただ染められるままになる」(井波律子訳)という表現がある。君主も賢明な宰相に政治をまかせているときは良い人物となり、悪い側近に惑わされるなら暗愚な人間になるというのだろう。 これは、劉備の死を受け、蜀の後主となった劉禅への評である。劉禅は圧政も敷かない代わりに、後世に誇る善政を施したわけでもない。この凡人は劉備や諸葛亮の遺産を食いつぶして蜀を滅亡に導いた。極めつきの悪人でないだけに、不作為の政治的判断ミスを自覚できないのである。政治家としての資質に恵まれなかったのだ。 そのくせ、血脈への自信や誇り高さの故に有能な臣下を退け、自分の器相応の寵臣(ちょうしん)を登用して国を誤ってしまった。なまじ小才があるだけに我(が)を張る頑固さがあり、始末に終えないところがあった。 劉禅の不明と比べるなら、幕末日本の長州藩主・毛利敬親