Iくんとの件では、僕は自分の仕事もありながらもMに泣きつかれその合間を縫ってアシをした。 91年頃といえば、僕自身も月に2〜4本をこなしてしたくらいには忙しかったにも拘わらず、だ。 ところがこうした件はこれに止まらず、以後もMの『尻拭い』を僕やまりのさんはさせられることになる。 それは何もゼネプロ編集部だけのことではなかった。 * * * 時系列的にどうだったのかは忘れたが…ちょうど先述の作家Iくんへの手伝いのときにはまだゼネプロにはMしかいなかったと記憶しているので、そのあとのことだったのかと思う。 何かの折に、杏東ぢーなが僕に相談をしてきた。 "そろそろ専門学校を卒業するので、どこかに就職をしたい。ついては、ゼネプロに入るにはどうすればいい?"ということだ。 どうしてそこで杏東が就職先にゼネプロを考えたのかは忘れてしまった。ひょっとしたら僕が焚き付けたことだったのかもしれな