家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」の生みの親で、任天堂を世界的ゲーム機メーカーに育てた同社前社長で相談役の山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日午前、肺炎のため、京都市左京区の京都大医学部付属病院で死去した。85歳。京都市出身。葬儀・告別式は22日午後1時から、京都市南区上鳥羽鉾立町11の1の任天堂本社で。喪主は長男克仁(かつひと)氏。葬儀委員長は岩田聡社長が務める。 70年代半ばからテレビゲーム事業に進出。83年にファミコンを世に出し、「スーパーマリオブラザーズ」などの人気ソフトを相次いで発売した。その後も「スーパーファミコン」や「ゲームボーイ」などの人気ゲーム機を送り出し、任天堂を世界的企業に育て上げるとともに家庭用ゲーム機市場を切り開いた。 1927(昭和2)年生まれで、早稲田大在学中の49年、祖父の死去に伴って花札・トランプ製造の家業を継いだ。国内初のプラスチック