タグ

ブックマーク / www.rinnou.net (2)

  • 禅語「直指人心 見性成仏」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト

    この語は、「不立文字」「教外別伝」と同じように「禅」の特性を表わす代表的な語です。直指人心と見性成仏は、それぞれ独立した語として用いられることもありますが、むしろ、「直指人心、見性成仏」と一緒に関連して考えた方がわかり易いと思います。 「直指」とは、直ちに指すこと。文字、言葉などの他の方法によらず、直接的に指し示すことをいいます。「人心」とは、感情的な「心」ではなく、自分の心の奥底に存在する、仏になる可能性ともいうべき心・性・仏心・仏性といわれるものです。ですから「直指人心」とは、自分の奥底に秘在する心を凝視して、当の自分、すなわち仏心、仏性を直接端的にしっかり把握することをいうわけです。 「見性」の見とは、ただ物を対象的に見るのではなく、対象そのものになり切る、一体、一枚になることです。性とは、直指人心、すなわち、仏心仏性を意味します。「成仏」とは、世間でいわれるように死ぬことでは

    Nyoho
    Nyoho 2017/09/11
    “直指人心 見性成仏 (じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)”
  • 禅語「主人公」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト

    瑞巌(ずいがん)和尚、毎日自ら主人公と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾(おうだく)す。及ち云く「惺惺着(せいせいじゃく)や、喏(だく)。他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫れ、喏喏(だくだく)」(『無門関』第十二則) 瑞巌和尚という方は、毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分で「ハイ」と返事をしていました。「はっきりと目を醒ましているか」「ハイ」「これから先も人に騙されなさんなや」「ハイ、ハイ」といって、毎日ひとり言をいっておられたというのです。 ここでいう主人公とは、家庭の主人のことではありません。もちろん、会社の社長でもない。人間一人ひとりの主体的な人格のことです。 私たちは、当の自分というものをとかく見失いがちです。とくに今日、私たちをとりまく環境からくる刺戟はたいへんなもので、外のものに目を奪われている間に、自己を喪失しやすくなっています。そこで、いつも主体的な自分

    Nyoho
    Nyoho 2015/12/10
  • 1