『治安維持法の「現場」』 [著]荻野富士夫 法律は時として、法の名の下で人権蹂躙(じゅうりん)を国家に許す。敗戦まで20年に及ぶ治安維持法の歴史は、その最たるもの。「国体」変革を目指す動きに関係ありと官憲が見なせば、強引な理屈で断罪された。当初の目的である共産党の弾圧を超えて、戦時中には教育・宗教の小集団や学生の読書会さえ標的になった。 暴力の凄(すさ)まじさは、小林多喜二を虐殺した特高警察の拷問に象徴される。だがそれも、この法の運用のあくまで一部分だ。そこで研究の第一人者が、植民地への適用を含めた全体像を5冊で書き下ろすという。 その初巻で、なぜ「現場」か。本書は検挙・取調(とりしらべ)・起訴・予審・公判・行刑という司法「処理」の全段階をたどり、関わった各々の役割や、濫用(らんよう)が昂(こう)じる過程を解き明かす。晦渋(かいじゅう)な司法文書の山から、システムを動かした者、翻弄(ほんろ
治安維持法は大正14(1925)年に制定され、昭和3年と16年の改正をへて猛威をふるった。本書は歴史研究による刑法学の第一人者が、帝国議会の審議から制定の過程を、大審院の判例から運用の過程を読み解くことで、時勢と共に変容した国民統制のメカニズムを解明する。 大正デモクラシーの風を受け、国会議員には弁護士など法曹出身者や、大衆に支持された無産政党の指導者も多く、治安維持法の審議では迫真の討論が行われた。「国民が萎縮する」「濫用の危険性はないか」「世界の潮流から後れる」「学問の自由を制限しないか」。多くの懸念が表明され、やがて現実となった。 《京都学連事件》《川崎武装メーデー事件》《司法官赤化事件》《唯物論研究会事件》。法廷ではどんな法理論を用いて「目的のためにする行為」「支援結社」などを拡大解釈して無数の有罪判決を導いたのか。被告・弁護士・裁判官・大審院長・思想検事の言葉からは、「専制と暴力
先日紹介した『司法官の戦争責任』より、臨陣格殺の現場を目撃した法律家の回想を紹介する。今回も引用文の中に長い引用文が含まれていてややこしいのでご注意いただきたい。〔 〕内は引用者の注記。 (…)前野〔東京地裁判事から転じて「満州国」総務庁人事処長、司法部次長などを務めた前野茂〕によれば、前記二つの治安法は、「匪賊討伐という戦闘行動中の緊急的措置として許容されたものであるにかかわらず、軍警は司法制度を無視し、この法規を乱用して事を処理しているのであった。すなわち彼らは『犯罪捜査』の結果逮捕したこの種犯人でも、犯罪の証拠ありと認めれば、『現地処分』ないし『厳重処分』と称し、取り調べ終了後直ちに銃殺または斬殺していたのである。しかも、それが匪団の横行する地帯で行われるのならまだしも、私が刑事司長就任後首都新京に於いてすら実行されているのを知ったときは、肝のつぶれる驚きであった。新京の南郊南嶺は文
小林秀夫、『満鉄調査部の軌跡 1907-1945』、藤原書店 上田誠吉、『司法官の戦争責任 満州体験と戦後司法』、花伝社(発売、共栄書房) 正月に解消できなかった「積ん読」の一冊をようやく読了。『満鉄調査部の軌跡』は満鉄調査部*1の歴史を大きく4期に分けている。創立期(1907-1916)、ロシア革命勃発から満州事変まで(1917-1931)、満州事変から満鉄産業部設立まで(1931-1936)、日中戦争から敗戦まで(1937-1945)。著者自身によれば、従来満鉄の初代総裁 後藤新平の個性と結びつけて論じられることが多かった満鉄調査部は、後藤およびその後継者中村是公の退任後急速に影響力を低下させている。再び調査部が重視されるようになるのはロシア革命以降のことで、それゆえ本書は満鉄がおかれた地理的、政治的な位置を重視した分析となっている。 当ブログで普段扱っている話題との関連で言えば、興味
あまりにもラディカルすぎて昨今の議論ではあまり参照されないのかもしれないが、検察側証人が『悪徳の栄え』を読んでどのへんが興奮したのかを陳述させられるあたりなど、なかなか異様なものがある。現代思潮社創業者石井恭二氏による、そもそも「「本」とは何か」からはじまる意見陳述も深い。
特別寄稿/千葉勝美 第I部 第1期(1947年8月~1969年1月) 第1章 真野 毅/尾形 健 第2章 河村又介/赤坂幸一 第3章 田中耕太郎/尾形 健 第4章 入江俊郎/嘉多山 宗 第5章 横田喜三郎/山元 一 第II部 第2期(1969年1月~1973年5月) 第6章 石田和外/早瀬勝明 第7章 田中二郎/川岸令和 第III部 第3期(1973年5月~1990年2月) 第8章 村上朝一/片桐直人 第9章 高辻正巳/巻 美矢紀 第10章 団藤重光/渡辺康行 第11章 中村治朗/笹田栄司 第12章 伊藤正己/齊藤 愛 第13章 谷口正孝/田代亜紀 第14章 矢口洪一/片桐直人 第15章 時國康夫/木下智史 第IV部 第4期(1990年2月~) 第16章 園部逸夫/上田健介 第17章 大野正男/川岸令和 第18章 高橋久子/齊藤 愛 第19章 香城敏麿/木下智史 第20章 滝井繁男/見平
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平沼騏一郎は大正・昭和戦前期にかけて法相・首相・重臣などを歴任した官僚系政治家でありながら、国家主義運動の指導者でもあったという点で、日本近代史の中できわめてユニークな位置を占めている。その政治的生涯の全容を初めて実証的に明らかにし、官僚系の政治家の国家主義とそれらが太平洋戦争への道に与えた政治的影響を解明する。 萩原 淳(はぎはら あつし) 京都大学大学院法学研究科特定助教、三重大学人文学部非常勤講師 京都大学博士(法学) 1987年 滋賀県生まれ 2009年 同志社大学法学部卒業 2015年 京都大学大学院法学研究科博士後期課程修了 主な業績として、「司法官僚としての平沼騏一郎(1)~(3)・完」(『法学論叢』173巻2号、173巻6号、174巻3号、2013年5月、2013年9月、2013年12月)、「両大戦期の政治変動と平沼騏一郎の政治指導(1)~(3)・完」(『法学論叢』176巻
昭和十二年に中国戦線に向かう柳川兵団に帯同、松井兵団とともに南京に入城した軍法務官の日記である。記述は昭和十二年十月から翌年二月までの正味四ヵ月分と短いが、明治八年生まれの筆者はこの時すでに六十歳を超えていて、巻末に添えられた年表によると翌年二月に帰還して、その年に退官している。いわば、最後の勤務の記録である。 猶、この人は甘粕大尉事件や、この前年には2・26事件の軍法会議でも裁判官を務めている(この点については巻末に解題代わりに掲載されている「わが父、軍法務官 小川関次郎」という興味深い記事に言及されている)。 柳川兵団と聞けば南京大虐殺の問題に詳しい人はすぐにピンとくるだろう。正に事件の主役となる部隊の一つであり、それに小川関治郎氏は期せずして帯同したことになる。 本文の日記は昭和十二年十月に戦地に向かう辞令を受けて、大阪から大阪商船のたこま丸に乗船するあたりから始まる。ちなみに、日記
上の写真にもある通り、ミズーリ州セントルイス郡ファーガソンで起こった白人警官による黒人少年射殺事件をめぐり、再び暴動が起きている。ちょうどロースクールの講義でブラウン事件についての話をする日に大陪審の決定が出て、結果、警官不起訴→暴動再燃となったのだった(今ココ)。 twitterでこのコトについて触れたところ、驚くほど一連のtweetsがRTされたりふぁぼられてたりしたんで、来年以降の講義でも、これに関することは触れるから、視覚資料置き場も兼ね、以下、少し整理した上でtweetsの再掲プラスアルファを置いておく。なお、今般の暴動に至るまでの経緯については、とりあえず以下を参照。 ●アメリカ・ミズーリ州黒人青年射殺事件 拡大する暴動とこれまでの経緯 http://matome.naver.jp/odai/2140849272340847901 今回の射殺された黒人少年は、マイケル・ブラウン
☆目次霊柩車 ☆プロローグ令夫人 小生、このHPの冒頭で小説家を目指す?と称していましたが、念願かなって、小説家? 吾妻大龍として、「市長破産」を信山社から出版して頂くことができました。 この本の第一部は92頁の「小説 市長破産」です。内容は、市民を裏切って、公金を組合のために浪費・流用している中部地方の清都市(すでに汚濁市になったが)を舞台に、住民訴訟でその違法の是正に努める住民運動家草の根強子たちと弁護士冨士山家康が下級審で勝訴したのに、、議会の権利放棄議決有効の最高裁判決で挫折しつつ、なお食いしばって、最終的には権利放棄議決無効、市長に賠償責任を負わせて、違法行政を一掃し、我が国は違法行政放置国家から法治国家に前進したという話です。ある程度は現実にあった闘いを借り、ある程度は今後の希望です。第二部は、徹底した法令コンプライアンスと新しい施策、第三部は、法律相談の形で住民訴訟を解説した
太平洋戦争末期、激戦地フィリピンで行われた日本兵の不当処刑。元法務官が戦後に語った証言テープほか未公開資料と軍関係者への取材から、軍法会議の詳細、法務官・遺族たちの戦後を… 戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか [著]NHK取材班、北博昭 昭和史、とくに太平洋戦争の内実を継承するのに、NHKのディレクターの果たす役割は大きい。これまでも中田整一、片島紀男らは資料発掘や新視点などを提示してきたし、定年退局後も幾つかの関連の著作を発表している。 この書は、その系譜に連なるといっていいが、陸海軍内部の軍法会議のからくり、法務官と死刑宣告を受け処刑された上等機関兵の関係者などを丹念に訪ね歩いて戦争と司法のあり方を問うた質の高い書である。放送関係者の筆調は映像的かつ表層的だが、戦争など露ほども知らない世代が、協力者の一橋大の吉田裕教授や近代史研究者の北博昭氏の助言や資料によって戦争の根源的な矛
司法よ!おまえにも罪がある 原発訴訟と官僚裁判官 著者:新藤 宗幸 出版社:講談社 ジャンル:社会・時事・政治・行政 これまでの20件近い反原発訴訟において勝訴したのは2件のみ。それもすべて上級審で逆転されている。なぜ、かくも「司法の壁」は厚いのか。これまでの判決に潜む問題点を指摘し、官… 司法よ! おまえにも罪がある [著]新藤宗幸 原発の安全性をめぐっては1973年に始まった伊方原発(愛媛県)訴訟以来、建設中止などを求める住民らによって、数々の裁判が提起されてきた。しかし、住民側の勝訴は2例しかない。ほとんどの訴訟で裁判所は、行政の判断を支持してきた。 なぜ司法は原発をチェックできなかったのか。本書は、行政側勝訴の判決に共通する論理構造を解き明かし、司法の責任を追及する。 著者が着目した問題点の一つに、裁判所と法務省の人事交流がある。これによって法務官僚(訟務検事)に任用された裁判官が
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