八紘之基柱(あめつちのもとはしら)は、宮崎県宮崎市の平和台公園に位置する塔。現在の名称は「平和の塔」。また正面に彫られた「八紘一宇」の4文字から「八紘一宇の塔」ともいう。 歴史[編集] 八紘之基柱竣工式 八紘之基柱の全景は、1944年に発行された十銭紙幣の表デザインに採用されている。 塔の建造[編集] 1940年の神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝うにあたり、国は紀元二千六百年奉祝事業として宮崎神宮の拡大整備事業を行うことになった[1]。 そして宮崎県当局も「紀元二千六百年宮崎県奉祝会」を立ち上げ、県を挙げて奉祝することになった。当時の知事相川勝六(奉祝会会長も兼任)は、「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を作る事を提案し、実行に移すことになった。 相川知事は大阪毎日新聞・東京日日新聞(いずれも毎日新聞の前身)に頼み、この塔を設計する彫刻家を公募した。そして名乗りを上げたのが日名子実